恋愛フラグとその回収

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1  高校に通い始めて、初めて寝坊をした。昨日は中々寝れなかった。おそらく、中学からの友人の川久から「日本史の佐竹先生と、英語の宮島先生が付き合っている」ということを聞いたからだろう。俺は、身内同士の恋愛話に無性に興奮してしまう質なのだ。この春、川久にも彼女ができた。だが、相手はクラスの女子とか、禁断の先生との恋などではなく、塾の生徒だそうだ。心底、がっかりした。俺はあいつと塾が一緒ではないから、相手の生徒のことを知らない。つまり、二人が付き合ってると聞いても、何も気持ちが高ぶらないのである。  やはり、恋愛話というのは身近で意外性があるものにつきる。そういう点では、佐竹先生と宮島先生のロマンスはまさにそれだった。佐竹先生はスポーツマンであり、サッカー部の講師でもあり、学校に一人はいてるタイプの常にジャージを着ている先生だった。恋愛話なんて聞いたこともないし、顔もあまりカッコ良いとは言えない。一方、宮島先生は押しも押されぬ、この学校のアイドル的人気のある先生だった。見た目は、綺麗さもあり可愛さもあるというモテるために生まれてきたような顔立ちで、その声も、うぶな男子高校生を誘惑するには十分すぎる甘さと淫靡さを持っており、それでいて性格は結構毒舌。彼氏に求める条件はかなり多いと聞いていた。だが、そんな宮島先生があの佐竹先生と付き合っているというのだ。その、意外性と、二人がデートしているところを想像できないことが、昨晩俺に定期的な睡眠をさせなかったのだ。二人が夜の街に消えていく様子をずっと想像してしまい、結局寝れたのは午前三時だった。  だが、寝坊したといっても、それが遅刻には直結しない。面倒な歯磨きも意味のない整髪剤をつけることも全て取りやめて、漫画の登場人物のように食パンをかじりながら家を出たので、なんとか朝礼には間に合う時間の電車に乗ることができた。いつもと違う電車の風景は、なんだか新鮮だ。車窓から見える外の景色も、違うものに見える気がする。電車に乗って一駅目に到着する直前、隣の線路を反対方向に走る電車とすれ違った。そして、その電車の一番後ろの車両で、こちらを見てドアの近くで立っていた女子と目が合った。彼女は見知らぬ制服を着ていた。おそらく女子高校生だろう。少し儚げな表情だったが、とても、綺麗な顔をしていた。その子は、どこか「あっ」と何かに気付いた表情でこっちを見ているように見えた。  俺は胸に手を当てた。鼓動が高まっている。ドキドキが止まらない。彼女はなぜ、あんなに俺を見つめていたのだろう。まさか、俺の知り合いなのか? いや、あんな可愛い子の知り合いはいない。それだけは断言できる。そもそも、女子の知り合いなんて、従兄弟の美里と、中学の同級生くらいしかいない。中学の同級生には、あんな顔の子はいなかったはずだ。いくら化粧で変わるといっても、まだ卒業してから二年しか経っていないのに、面影が全くなくなるということはないだろう。では、あの子はいったい誰なんだ? 胸のドキドキは高校の最寄り駅に着くまで続いた。 2  駅に着くと、俺は走った。なんとか遅刻は免れるだろうけど、決して余裕があるわけではない。ここから、信号に全て引っかかる負のサイクルに巻き込まれてしまったらどうしよう? などと考えをめぐらしていると、自然と足早になってしまう。  それは悪い方向に転がった、駅から出て最初の角を曲がるときだった。俺の身体は何かにぶつかって弾け飛んだ。そして、その何かはこっちへ走ってきていた人間だった。よく見ると、俺と同じ高校の女子生徒だ。体重が軽いのか、彼女は俺よりも遠くに飛ばされている。 「怪我はありませんか?」  紳士然とした表情で俺は声をかけた。おでこがズキズキと痛かった。 「は、はい。すいません……大丈夫です」  そう言ってその女子は落ちた眼鏡をつけながら、申し訳無さそうに言った。同じ高校だが、見たことのない顔だった。目が合った。おでこの痛みがなくなり、それが胸に移行したような気がした。またドキドキが止まらない。気付けば、俺は立ったまま微動だにしないでいた。まずい、このままじゃ遅刻だ。  だが、その思いとは裏腹に俺はその女子に話しかけていた。 「同じ高校だよね? 大丈夫? 遅刻しない?」 「はい、たぶん間に合うと思います。いつもこの時間なんで。でも、駅のトイレに傘忘れたの思い出しちゃって。今日、夕方から雨が降るって聞いてたから、慌てて取りに行こうと思ってたところに……すいません」 「あっ、それで急いで逆走してたんだ。僕はいつも余裕をもって朝通学するから、不安でさ。慌てなくてもいい時間なのに、つい慌てちゃって。でも、傘取りに行くんだったら、もう行かないといけないね。君、名前はなんていうの?」 「私、朝日っていうの。朝日優。君は?」 「俺は、天野優。じゃあ、気をつけてね」  そう言って俺は、精一杯格好をつけてその場を立ち去った。腹からではなく、喉の上部から声を出して、渋さを演出することを心がけた。自分の対応に一応の満足をしていたが、さっきの朝日さんの名前は聞いたが、学年を聞くのを忘れていた。もしかしたら、同じ学年の生徒かもしれないし、後輩かもしれないし、先輩の可能性だってある。胸はまだドキドキしていたが、彼女の名前しか聞かなかった後悔も出だしてきていた。だが、同じ「ユウ」という名前を持つ自分たちは、どこかでまた巡り合うという変な運命めいたものも感じていた。  教室に着くとほぼ同時に担任の先生が教室に入ってきて、朝礼が始まった。朝日さんは間に合っただろうか。彼女は遅刻するようなキャラには見えなかったので気になってしまう。 「えー、今日は転校生が来たから皆に、紹介する。皆、仲良くしてやってくれよ」  突然の通告に教室中が沸き上がる。一人別の性質のドキドキをしていたのは俺だけろう。「まさか彼女が転校生では」  その思いが胸をかすめたときに教室の扉が開いた。入ってきたのは、短髪で地黒の肩幅が先生よりもありそうな男だった。  「ウス。石松誠也です。下の名前の漢字は、マコトナリって書いて誠也です」  石松誠也は水泳の国体選手のような見た目をしていた。胸のドキドキは一気に落ち着いた。あぁ、朝日さんは、いったい何年何組にいるのだろう。物欲しげな表情で校庭の隅を見つめる。 「じゃあ、石松くんの席は空いてる窓側の一番後ろの席に行ってくれ」  次の瞬間、俺と校庭が見渡せる窓の間に石松くんが現れた。  「よろしく」  そう言って、石松くんは笑った。僕は愛想笑いをした。別の意味で胸がドキドキしていた。 3  一年の間で最も憂鬱な期間はテスト前の一週間だが、その次に憂鬱な期間はテスト後の一週間だ。なぜなら一生懸命勉強しなかった不本意なテストが帰ってくるからである。 「天野くん」  案の定、自信もへったくれもないのに、名前の順に帰ってくるテスト結果は誰よりも早く呼ばれる。今回の英語はいつにもまして自信がなかったが、そういう予感は得てして当たる。結果は二十六点、今までで一番悪い点数だった。 「えー、というわけで、今回の平均点は六十点です。ちょっと難しかったかな? とはいえ、あまりに悪すぎる点数は問題ですね。そうね、平均点の半分以下、三十点以下の人は放課後職員室まで来てください」  その外見とは裏腹に、厳しいことで知られる宮島先生は恐ろしいことを口にした。そして案の定、俺の点数は二十六点。見事に、放課後説教部屋に行かないといけない点数なのである。  結局その日の放課後、いつも一緒に帰っている川久を先に帰して、俺は職員室の前に立っていた。そこで、嫌な予感が胸をかすめた。まさか? 俺の他に呼び出しの生徒はいない? 先生は、誰が呼び出し点数の三十点以下かということはわかっているはずだ。もし、俺一人だったら? 意図的に俺一人を呼び出した? 俺の胸はまたドキドキし始めた。胸に手を当てて息を整える。だが、その瞬間、職員室の扉が開いた。そこには宮島先生が立っていた。 「あら、やっと来たのね、天野くん。遅いから、逃げちゃったのかと思っちゃった」 「いえ、そんな。逃げるわけないです……」 「そうよね。あんな悪い点数とって、逃げるなんてしたらただじゃ置かないしね。さぁ、ここで話すのもなんだから、ちょっと教室に行きましょう」  宮島先生は、おそらく自分が担任をつとめるクラスの教室の鍵を持って、俺を先導した。そもそも、先生と放課後に二人っきりで歩くだけで緊張するのに、あの佐竹先生と付き合ってると噂の宮島先生とだなんて。俺は歩いてるときも、無意識に周りに気を配った。万が一、佐竹先生に見つかったら大変なことになるかもしれない。俺のドキドキは増すばかりだった。  だが結局は無事に、誰にも見られることなく、三年四組の教室に入った。初めて入る教室ということが緊張感をあおった。 「適当に座って」  宮島先生は、そう言って鋭い眼光でにらみつけてきた。俺は真ん中あたりの列の、前から三番目の席に座った。そして、気になっていたことを口にした。 「あの、先生。もしかして、今日呼ばれてるのは僕だけですか?」 「そうよ。あなたの次に悪かった子でも四十点はあったわよ」  宮島先生は冷たい表情に変わった。クラスの圧倒的なおバカキャラの牛尾よりも俺の点数は悪かったのか。落ち込んでいると、宮島先生が高いヒールのかかとを鳴らしてこっちに近づいてきた。なんだ、なにを言われるんだ。怯えていると、宮島先生はなぜか俺の前で頭を下げた。 「ごめん! 天野くん! 私、あなたがここまで勉強ができないとは思ってなかったの! 放ったらかしにしててゴメンなさい。牛島くんとか、垣内くんとかは、このままじゃヤバいと思って、先に補講しておいたの。あなたもそのメンバーに入れておくべきだったわ」  俺は呆然とした。なんと、宮島先生は予めテストの点数が悪くなりそうな生徒には、こっそり補講を実施していたらしい。俺はこんなにひどい点数を取るとは思われていない伏兵のロースコアラーだったようだ。結局、宮島先生は俺に対して非常に真摯に、俺がわからないところなどを、教えてくれた。いつしか胸のドキドキは消え去っていた。 4  久々に一人での下校だった。普段はうっとおしく感じるほどおしゃべりな川久がいないからか、やけに寂しく感じる。一人になると、つい冷静に過去を振り返ってしまう。それにしても、今日は色々とあった一日だった気がした。朝日さんとの出会い。隣の席の石松くん。佐竹先生と付き合ってるはずの宮島先生からの呼び出し。いや、待てよ。何かを忘れている気がする。たしかに、さっきあげたどれもにドキドキさせられたが、もう一つ何かを忘れた気がする。何だったか。しかし、思い出せない。頭の中に何かがずっと引っかかっている気がした。  だが、そうこうしてるうちに、終点である俺の家の最寄り駅に着いた。胸騒ぎがした。  そうだ、俺の家の最寄り駅は終点だ。そして、何もない駅だ。ここで降りる学生はほとんどいない。なにせ、駅の近くには高校もない。学生で降りるとすれば、俺のように高校から帰ってくる学生くらいだ。  だから、おかしいんだ。  朝、この駅に向かってやってくる学生がいるなんてことは。今朝、俺はこの駅から出発してすぐ、すれ違った電車の中にいた女子高校生と目が合った。そしてドキドキした。なぜ、あのときに気付かなかったんだ。朝、この駅で降りる学生なんて、いるはずがない。だとすれば、あの子はいったい何者なんだ? そういえば、あの子が着ていた制服、見た記憶がない。あれはどこの制服だ?  電車から降りると、そこにはおびただしい数の警察官がいた。  今日一番の胸騒ぎがした。  外は雨が降り出していた。
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