そのノート、小説につき

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 縛られているわけでもないから俺の腕は自由だ。だから気を取り直して杏樹の両手首をつかんで持ち上げれば容易に首から手が離れる。 「なるほど。やっぱり実際にやってみると大分違うんだな」 「まあね。ミステリのトリックも実際やってみたら他の理由で無理だったなんてことはよくあるらしいし」 「なるほど」 「それから多分押し倒すとかでも無理だと思う。これで須走を殺すなら縛るとか動けなくするしかないんじゃないかな」 「だから嫌な事言うなよ」 「ありがとう林平さん」 「いえいえ、どういたしまして。面白かった。また実験するなら是非呼んで」  ガラリと教室から立ち去る杏樹をよそに、原町はノートに仔細を書き込み続けていた。これが始まるとなかなか次には進まないんだ。どうやら後に回すとリアリティを忘れてしまうらしい。  それで俺はというとやっぱり首を締められるというちょっとした非日常になんだか酷く落ち着かず、喉が未だに杏樹の手の形に熱を持っているような妙な感覚に苛まれていた。 「須走。検討した結果、首を絞めるのではなくナイフで刺すことにした」 「ナイフ? それじゃ死因はナイフだ。自分がやったとは思わないだろ」 「結局体格差があるだろ? そうそう簡単に刺せない。だからお前をバットで殴りつけて上手く動けなくしたところで、(あと)から来た林平さんが刺す、でどうかな」 「後から?」 「お前が言った通り、抵抗は容易だし周りに防げるものもある。なのに防御創もなく腹を刺され、そのまま死んでる」  リアリティ、と呟く原町の表情はなんだか少しだけ怖かった。 「防御創ってなに?」 「刺される時に防ごうとして腕とかにできる傷。それがないってことは抵抗してないってこと。不自然だろ?」 「うーん、そう言われるとそうかも」  杏樹はこの非日常に味をしめたようで、その日から放課後にちょくちょく集まって実験をすることになった。  パウルを殺すためにどこを刺したらいいかとか、抵抗されないためにどうするかとか。途中からはマジック用の刃先が引っ込んで刺すと中に仕込んだ水が出るナイフまで持ち出された。 「俺、本当に殺されそう」 「いいね、リアリティがある」 「リアリティってお前さ」  けれども実際、これ杏樹に本当に殺意があれば結構やばいんじゃないかと思う行為をたくさん試した。妙な怖さを感じる一方、俺は殺されるその度に、これまでの日常を飛び越えて非日常に移行するような、その妙な感覚にじわりと妙な興奮を覚えた気はする。  原町はその度にノートをとり、納得がいった時は満足そうに淡く微笑んだ。  そうして何度目かの改稿作業の後に渡されたノートを見て困惑した。 「おい原町、これはどういうことなんだよ」 「そっちの方がリアリティある気がして。駄目かな」  駄目かどうか。返答に困る。  何故ならそのノートに刻まれた名前はジョゼ、パウル、シャザリンではなく原町、俺、杏樹の名前だったから。確かに名前が身近な方がイメージというものは湧きやすいかもしれない。けれどもそれにしたってなんで俺が寄ってたかって殺されなきゃならないんだよ。  この話のネタバレは、結局のところ俺が杏樹に刺し殺されるんだ。  バットで殴られたことは本当はたいして影響していない。殴られた場面を見ていた杏樹が朦朧としている無抵抗の俺を刺し殺す。  ミスリードするための伏線もより詳細になった。そして何故俺が仲がいい従兄弟だったはずの杏樹に殺されることになったのか、それは最後にシャザリンの遺書で明らかになる。杏樹は最初は原町に罪を被せようとしたけれど、それが不可能になって最後に自殺するのだ。まぁ、推理小説ではよくあるパターンなのかもしれない。  それでその話をフルスケールで読んでいると、なんだか本当に俺が杏樹に殺される気分に陥った。沢山の模擬的に殺されるシミュレーションの記憶がフラッシュバックし、足元がふらふらして妙に落ち着かない。
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