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とあるアパートのドアの前で、私は酷く緊張していた。
ドキドキ、と心臓が早鐘を打ち、部屋の合鍵を持つ手は震えている。
この部屋に住む大人がいないことは調査済みだ。
女は先週から留守にしているらしいし、男は暫く見ていない、と大家が告げていた。
独居でおしゃべり好きな高齢女性が大家であることに異論はない。だが、私が部屋の住人の家族だと名乗り、住人が日頃から世話になっているお礼だ、と高級菓子と分厚い封筒を渡すだけで気を許すのはどうだろう。
まあおかげで、私は探偵を雇わずとも色々な情報を得られたから、大家には感謝しよう。――このアパートの一室を借りたいとは、到底思えないけれど。
今からもう何年も前のこと。我が家で鍵を拾った。
私のものでもなければ、家中の鍵のどれとも違う。見覚えのない鍵は果たして何処のものなのか、答えにはすぐ見当がついた。
だって、ねえ?
玄関の鍵によく使われるタイプのそれが会社のものであるとは思えない。ならば、後は大体、想像がつくでしょう?
――女の家の鍵、とか。
ああ、嫌だ。あまりの汚らわしさに、想像しただけで吐きそう。
夫は自宅に最も落としてはいけない物を落とすような、詰めの甘いだらしない男だから、不倫の証拠だって私はいくらでも拾っていたの。
それでも見ざる言わざるを続けていたのは、私にも負い目があったからだ。
あと、夫についてはとうに失望している。今更期待はしない。
負い目は待望の子どもが何年かかってもできないこと。
失望は夫たっての頼みで、結婚前にできた一人目の子を産んであげられなかったこと。その意識は無念と罪悪感として今も心に影を落とす。
失望の要因はまだある。
夫は二人目の子どもができない原因をすべて、私のせいにしたのだ。
私が子どものことで舅と姑からどんなに責められても、あの人は私をフォローする気が微塵もない様子から、期待するのも馬鹿らしくなって止めた。
それでも私達が夫婦でいる内は、夫もいつか火遊びに厭きて、私のもとに戻ってくるだろうと思って待っていたのだ。
別に、夫への愛を貫いているわけではなく、これはただの惰性に過ぎない。
不妊と夫の不倫という、結婚してから受けた精神的なダメージに疲弊して、問題から目を逸らしていただけだ。
気付けば年単位で現状を維持していたなんて、我ながら呆れるけれど。
醒めはしたが一度は愛した人だった。
飼い殺しの妻として惰性で過ごした日常も――不快な問題を無視さえすれば――つまらないながらもなんとか過ごせる。
離婚のゴタゴタや独り身での再スタートが面倒なことを思えば、このぬるい日常も手放しがたいものがあった。
そうやって、夫婦の問題を見て見ぬ振りを続けたせいで、そのつけがとうとう回ってきたようだ。
夫とその愛人の周囲――私の預かり知らぬ所――で、こちらがどうにも見過ごせない、見捨てておけない事態になっていると、気付いた時には遅かった。
本当に仕様もない愚か者達のせいで、私の碌でもない日常が、もう間もなく終わろうとしているようだ。
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