かくしごと

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 今から半日前のことだ。夫の愛人が私に接触してきた。  目的は脅迫。  喫茶店のボックス席で、女は封筒を差し出す。中身は数枚の写真。夫らしき人物が山中で穴を掘り、人を埋めている様が映っていた。  これをバラまかれたくなければ、金を出せということらしい。  この女は何処まで落ちれば気が済むのだろう。――はした金で解決するならと、要求額を用意してやる私も私だけれど。  厄介ごとは金で解決して、その後、速やかに夫と別れるつもりだった。夫への愛はとうに尽きていたし。だが――  写真の中の夫が掘ったという穴――ゾッとするような暗い闇の中、大きく口を開いた虚の底を見て、気が変わる。……変えざるを得なかった。  どうしても気になることがある。  女から写真を買い取り、夫と離縁し、では私はこれにてサヨウナラ……と何処ぞへ去るのを躊躇うほどには気掛かりなことが。  かつての私が夫の不倫相手の身辺を探っている内に偶然知った、どうにも捨て置けない事柄の一端が写真の中にあった。  私はこの半日で早急に準備を整え、そして、今に至る。  持っているバッグの中に潜むのは、女が要求した額の金。  これを渡す為に女のアパートを訪ねたが、今日この時この場所を相手に指定されたわけではない。なんなら、訪問に際し、事前のアポイントすら取っていない状況だ。  私がこの忌まわしい場所に大慌てで訪ねたのは、罪を犯した夫の尻拭いの為ではない。あの人がどうなろうと、私の知ったことか。  今、愛人宅を訪ねた理由は、愚か者に手切れ金を渡す為。そして、もうひとつ。  本当の目的は、探しものだ。  このドアの向こうに、私の大事なものがあるかもしれない。それを見つけ、連れ出す為に、私はここに来た。  ドキドキからバクバクへ、心臓の鼓動が激しくなる。合鍵を持つ手は震え、鍵の先が鍵穴になかなか入らず、酷く焦った。  解錠音をなるべく抑えることはできたが、緊張して早鐘を打つ心臓はそれでも小さな音に震えた。  躊躇いがちに玄関ドアを開け、隙間から中を覗く。 (あ!)  いた。目的のものは、すぐ目の前にいた。  三歳くらいの小さな男の子。  彼はこの部屋にいた大人達を待っていたようで、ドア越しにこちらの顔を見て、待ち人でないと気付くやいなや怖じ気づいたのか、そのつぶらな目に涙が滲む。  ――いけない。怖がらせたくはないのに。 「驚かせてごめんなさい」  怖がらせないよう穏やかな声で告げ、ゆっくりと静かにドアから室内に入り、その子と同じ目の高さに合わせて身を屈める。  間近で見れば、彼の目許は夫によく似ていた。 「こんにちは、はじめまして、坊や。あなたの本当のお母さんが迎えにきましたよ」
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