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やがて真司と翔も起きてくる。コーヒーを淹れようか、と父と梨花がならんでキッチンに立つ。エアコンの利いた室内は、寝起きには少し涼しい。熱いコーヒーはありがたい。
というか、父がコーヒーを淹れるのか? しかもハンドドリップで? コーヒーメーカーをセットするのは見たことがあるけれど。
仲睦まじいな。そんな感じ。はじめてみる父。ここに来てからずっとそうだ。
落ち着かない。
梨花を呼ぶ声。梨花を見つめる眼差し。そういったものがあの高校生の深夜を思い出させて背中がざわつく。
聞かない方がいいのかもしれない。
つい、怖気づく。
「はい」
真司がチョコチップのクッキーを口元にあてがった。
「んっ?」
「食べな」
素直にかじる。日本のクッキーよりいくぶん強い甘みが口に広がる。
「むずかしく考えるな」
真司がいった。なんだ、お見通しか。
出かけるまでに真奈が無邪気に聞き出したのは、梨花がここクアラルンプールでネイルサロンを開いていること。東京にいたときはネイルサロンとエステサロンを経営していたこと。移住するにあたって経営を譲ってきたこと、などだった。
真奈、親よりずっと有能だな。
「はい」
父がコーヒーの入ったカップを目の前に出してくれた。
「ありがとう」
父がコーヒーなどを出してくれたのは、はじめてかもしれない。いくぶん戸惑いながらもお礼をいう。強い苦みが頭のもやもやを取り払ってくれる。
「聞きたいことがあるんだろう」
父もお見通しだった。
「長い話だから、追々にな」
うん、そうですね。
クアラルンプールの日没は午後七時を過ぎる。そのころを見計らって六人で外に出た。日は陰りはじめたけれど、まだむっとした暑さは残っている。
マンションから少し歩くと、にぎやかな通りである。レストランやおなじみのファーストフード店。おみやげ屋なんだか雑貨屋なんだか、異国情緒あふれるお店。ファストファッションの路面店から日本の百貨店まで種々雑多だ。
冷やかしのつもりで入った東南アジアらしい雑貨のならぶお店に、妙に心ひかれてしまいあれやこれやと手に取ってみる。
「ママ、これほしい」
真奈が見せたのは、木製のカラフルなビーズをつないだネックレスである。
いかにもだなあ。そして日本でも見たことがある気がするなぁ。
「いいよー。おじいちゃんが買ってあげるよ」
ジジバカ全開だ。
「ぼく、これほしい」
太鼓! ジャンベとかいうやつだ。翔でも片手で持てる小ぶりなヤツ。
「よしよし。おじいちゃんが買ってあげるよ」
どうするんだよ、そんなもの。
梨花は梨花で、
「これ、かわいいー」
といいながら、トロピカルなタイダイのTシャツを真奈にあわせている。
けっきょく、店を出るときには大きな袋を抱えることになった。
「持って帰るの大変かしら」
「うちの大きいキャリーケースを使えばいいさ」
父と梨花が勝手な話をしている。
それにしても。
歩くときには基本手をつなぐんだな。しかも恋人つなぎ。わたしと真司が最後に手をつないだのはいつだったろう。子どもの手が離れたら、またつなぐときがくるんだろうか。こんなふうに。
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