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再会した透は、大企業のビジネスマンらしいスーツのにあう堂々とした男になっていた。
ヤバい。惚れ直す。と恵子は思った。透もそう思ったのかどうか。やけぼっくいに火がついた、というやつだ。あっという間によりを戻し、すぐに結婚ということばが透の口から出た。
結婚するにあたり、恵子は子どもができても仕事は続けると条件を出した。透はもちろん了承してふたりは結婚した。透二十七才、恵子二十六才のときだ。
うれしい。たのしい。だいすき。蜜月時代はとろりと甘くすぎていく。あいかわらず仕事は忙しいし、休日がすれ違うこともあったけれどしあわせに過ごしていた。
恵子が、おや? と疑問をもつようになったのは、妊娠が発覚してからだった。
つわりがあって、仕事が思うようにいかない。休みたくないのに休まざるをえない。誰かが自分の代わりに自分の仕事をする。担当はわたしなのに。わたしの仕事なのに。腑に落ちない。もやもやする。
透はもちろん妊娠を喜んで、恵子の体を気遣い、家事も率先してやってくれた。
「無理はするなよ。自分ひとりの体じゃないんだから」
わかっている。わかっているけれども。
なぜわたしだけがこんなにつらいのだ。わかっている。しょうがない。産むのはわたしだから。
吐き気とだるさと頭痛をかかえてベッドから抜け出せない恵子を残して、透はいつも通りに仕事に行く。
理不尽だ。
そう思ってしまう。わかっている。透のせいではない。
やがてつわりが収まると、いままでどおりに仕事ができるようになった。もやもやをふり払うように仕事に励んだ。大きくなるおなかをかかえても、出産のギリギリまで仕事をした。だいじょうぶ。やっていける。そう信じて。
うまれた彩香はたいそうかわいくて、透もとてもかわいがった。ともすれば育児の重圧に負けそうにもなったけれど、透は家事も育児もとても協力的だった。
おかげで一年の育児休暇を終えて、仕事に復帰できた。残業はできないけれど、彩香を保育園に預けている間は仕事に専念できると思った。
ところが理想と現実はちがうものである。それをまざまざと突き付けられた。
朝、なんともなかったはずなのに、昼前に保育園から電話が来る。熱があるから迎えにきてほしい。
仕事を投げ出して、あわてて保育園に行く。
「あかちゃんにはよくあるんですよ」
保育士はさらりというが、仕事を投げ出してきたこちらには大ごとだ。三十八度もあった熱は夜にはひいて、朝には平熱に戻っている。保育園に連れていってもだいじょうぶだろうか。そんな不安を抱えて保育園に置いて出勤する。
電話が来なければよし。悪ければまた昼前に電話が来る。いつもハラハラしながら仕事をする。
つかれる。ある日また熱が出たとの電話を受けて、透に迎えに行ってもらえないだろうかと連絡をした。無理だろうなとは思った。でもわたしだって仕事中なのだ。いつも途中で投げて迎えに行くのだ。たまには変わってくれてもいいだろう。
それでなくても、職場ではまたかとため息をつかれるのだ。そんな育児と仕事の板挟みを味わってみればいい。
がやはり返事は、無理だ、だった。
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