母の告白

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 わかっている。主任になったばかり。なによりも仕事に集中しなければいけない時期だ。わかっている。  でもわたしだって無責任に仕事をしているわけじゃない。自分の仕事は全うしたい。現実に仕事はアシスタント的なものに変えられている。  三回目に断られたときに、もう透に期待するのはやめようと思った。つわりのときに覚えたもやもやは、なくなったわけではなくてずっと心の奥底にたまっていたのだ。  ずっと携わっていた企画の仕事をあきらめ、定時で帰れる事務職に移動してもらった。彩香がもうすこし大きくなって落ち着いたら戻してもらう約束をして。 「時間に追われなくなってよかったじゃないか」  そういった透にうっすら殺意が湧いたのはだまっていた。  そうこうしているうちに、優香を妊娠してしまい、仕事と家事と育児につわりが加わり、通勤もままならなくなってくじけてしまった。あれほど執念を持っていた仕事をあっさりと辞めてしまった。  彩香自身は、自分の仕事にそれほど情熱を持っていたわけじゃないし執着もなかったから、真奈の出産間際まで働いてなんの未練もなく退職してしまった。だから母の気持がわかるかといえば、正直なところちょっと微妙だ。  育児に専念してもよかろう。子どもが大きくなって手が離れたら、また働けばいい。そんな考えだ。考え方の相違、といってしまえばそれまでだが。  透を突き放したのはほかでもない自分だ。と恵子はいった。  仕事を辞めたことで保育園をはなれ、新しく幼稚園に入園した。その幼稚園の運動会。彩香をビデオに収めながら、にこやかにあいさつをする透に猛烈に腹が立った。  なにをいまさら、父親面して。  いってはいけないのはわかっていた。でも口が勝手に開いた。 「あなたはいいわよね。こんなときだけいい父親面して」  背中に向けて放ったことばを、透がどう受け止めたのかはわからない。でもあきらかにそこから夫婦の関係は変わった。  表面上は何事もない。日常は過ぎていく。 「それからおとうさんは、ずいぶんとわたしに気をつかうようになったわ。痛々しいくらいに。それがつらかった」  当時を思い出してか母の顔は深く沈んでいく。 「それと同時に、いくらことばを尽くしてもおとうさんにはわかってもらえないとも思ったの」  完全なすれ違いね、と母は小さく笑った。 「おとうさんはね、それからも家事にも育児にもたくさん協力してくれたわよ」  懺悔のように母はいう。 「そのときにわたしが全部水に流せていたらまた変わったのかもしれないけどね」  両親の間に流れるよそよそしさの正体がそれだったのかと彩香ははじめて知った。そしてそれが自分に起因していることも。  顔に出ていたのだろうか。母がいった。 「そんな顔しないの。あなたも優香も大事な娘だもの。後悔しているわけじゃないのよ。いまこうやってフラワーアレンジメントの仕事ができて、独立もできたわけだし」  うーん、と彩香は考え込む。 「あなたたちが結婚したら、親の役目は終わりって決めてたのよ。わたしもおとうさんも。ふたりとも早めに結婚してくれてよかったわ」 「じゃあ、いつまでも結婚しなかったら離婚はしなかったの?」 「したわよ。そんなに遅くない時期に。いつまでも待てないもの」  そうか。どっちにしろしかたなかったのか。
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