母の告白

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「いまになって思うんだけど」  と母がいった。 「おとうさんは、わたしにとってずっとあこがれの先輩だったのよ。理想。現実じゃなかった」  ええー。今そこ? 「なんでも思い通りにしてくれる理想の先輩じゃなかったし、それを押し付けられたおとうさんもつらかったんだと思うわ」  それを聞かされた娘はなんと答えればいいのだ。 「結婚は破綻していた。これが離婚の原因。わかった?」  うん、と彩香は渋々うなづいた。いまいちすっきりはしないが。百パーセントの理解は永遠にできないのかもしれない。 「おとうさんは、ずっと不倫していたのよね。いつ気づいたの?」  とてもいいにくいけれど、ここまできたからには聞いておかなくては。 「気づいたのは運動会の件から五年たったあたりかしらね」  と母は考え込んだ。 「はっきりした証拠みたいなものはなかったわ。女の勘?」  それに、と母は続ける。 「よくわからないのよね。不倫という割には連絡を取っていた様子もないし」  母は首をひねる。 「なにより家庭をほうり出すようなことはなかったし。いつだって子どもたちを優先していたのよ。わたしのことも尊重してくれたわ。(ないがし)ろにされたことは一度もなかった」  それはわかる。学校行事には必ず出ていた。父と母が険悪になったのも見たことがない。うわべだけだとしても。 「それに」  と母は続ける。 「ゆるしたわけじゃないのよ。ただ面倒だっただけ」  え? そんな理由? 「その浮気相手だか不倫相手だかを家に持ちこむことはなかったからね、だまっていれば表面上はなにごともなかったのよ」  それでよかったのか? 「だってそこで騒ぎ立てれば、あなたたちだっていやな思いをするだろうし、下手に波風立てて離婚なんてことになったらわたしひとりじゃ生活できなかったしね」  打算だったんですか。 「だから見て見ぬふりをした。おかげで独り立ちの準備はできたし、マンションももらったし。めでたし、めでたし」  そうですか。わたしの気苦労、返してくれませんかね。 「ローンは終わっているし、固定資産税と月々の管理費はおとうさんが払っているのよ」  そうなんだ。すこし父に同情が湧いてくる。でも父は、そういう母の気質も見越しているような気がする。 「ほらあの人、金儲けが好きじゃない?」  いや、いいかた。 「おとうさんにとったら、これくらいはした金よね」  悪びれもせず母がいう。なんだかんだで、この人がいちばんしたたかだったな。  そこに愛はあるんか? と思わずいいそうになったが、母は「ない」ときっぱりいいきりそうだったので、聞くのはやめた。 「こういう話をするとね、あなたたちいやな気持になるでしょう? だからだまってたんだけど」  母は、ふふっと笑った。 「あなたたちの犠牲になったつもりは毛頭ないのよ。円満な離婚。だから気にしないで。それに、いまは一日二十四時間、全部自分の時間よ。とても楽しいわ」  母はいたってあっけらかんとしている。たしかに、二十四時間が全部自分のものとはうらやましい。いまの彩香には、自分のために使う時間はほぼない。 彩香にはもうひとつ気になることがあった。 「略奪されたんじゃないのよね?」  母は笑った。 「ちがうわよ。もしそうだったら、とっくの昔にされてたわ。二十年もたっているのよ」
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