家に一人きり

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六つ年下の妻と結婚して五年目、男女の双子と一緒に四人で生活している。 俺の元に中学の同窓会の案内状が届いたのは、双子が二歳の誕生日を迎えた直後のことである。 はじめは欠席するつもりでいた。 それを 「行ってきたら」 と言ったのは、妻である。 「もう何年も会っていないお友達もいるんでしょう?ゆっくり息抜きしてきて」 その言葉に甘えて、出席に丸をつけて返信した。 俺は中学卒業と同時に親父の仕事の都合でカナダに渡り、そこで二十五まで過ごしている。 妻の言う通り、それから何年も会っていない中学時代の友人が大勢いる。 自分も休む間もないほど家事育児に追われているのに、いつも穏やかな笑顔で優しくしてくれる妻の心遣いが嬉しかった。 同窓会当日、卒業以来会っていなかった友人と再会して楽しい時間を過ごした。 だけど、友人との再会以上に楽しかったのが、人生で初めての彼女である唯花との再会だ。 唯花と交際していたのは僅か半年ほどだったけど、歴代の彼女の中で一番美しかった唯花は俺の中で特別な思い出である。 妻と出会う前に唯花と再会していてら、俺は唯花と結婚しただろう。 それは向こうも同じ思いであったようで、 「旦那と会う前に高坂くんと再会していたら、高坂くんのお嫁さんになったのに」 と彼女は言った。 お互いにタイミングが悪かったねと言いながらも、中学時代より美しくなった唯花とこれきりにするのはあまりにも惜しく、携帯番号とメールアドレスを交換、しばらくの間は一緒に食事をするだけの仲だったけど、再会して一ヶ月も経たないうちに俺と唯花は不倫関係に陥ったのであった。 俺を気遣って同窓会に行かせてくれた妻には申し訳ないと思ったけど、そもそもこうなることを予想せずに油断して送り出した彼女にも責任がある。 そう言い聞かせて唯花との逢瀬を重ねたのである。 常に自分を磨き続けている唯花と、家のことと双子の育児に追われて美容院にもネイルサロンにも行かない常にすっぴんの妻。 比較するとどうしても唯花が輝いているように見えてしまう。 不倫関係が始まって一年も経つと、俺は唯花との秘密の付き合いから抜け出せなくなっていた。 ある日、唯花が 「高坂くんの子供に会いたい」 と言い出した。 唯花には子供がいない。 原因は旦那にあるそうだ。 「もしかしたら、私の子供になっていたかも知れない敬吾の子供に会いたい」 そんなことを言われたら断る訳にはいかない。 日頃忙しくしている俺は、家のことも双子のことも妻にほぼ任せきりにしていた。 ただでさえ男女の双子が生まれた時から毎日が戦争状態で、しかも現在は絶賛イヤイヤ期真っ最中で妻はやつれきっている。 部屋中を走り回る双子のそばでぐったりしている妻を見て、俺はあるグッドアイディアを思い付いた。 風呂上がり、晩酌の支度をしている妻の背中に 「今まで双子を任せきりにしていてごめん。休みの日は俺があいつらの面倒を見るよ」 と言うと、妻は難色を示した。 双子は、特に息子の方は母親にべったりで、僅かな間でも妻が離れると落ち着かなくなってしまう。 今より小さい時、祝日に妻を美容院に行かせてあげたことがあるのだが、妻が帰宅するまで息子はギャン泣きして大変だったことがある。 お菓子をあげても好きなアニメのDVDを見せても効果がなく、そんな息子を見て娘までギャン泣きし始めてたった数時間のことなのに、ほとほと疲れてしまった。 それから、俺は双子と三人で過ごしたことがない。 あれから一年以上は経っているし、近所の公園で適当に遊ばせておくから君はゆっくりしていてと言うと、妻は久しぶりに双子から解放されると喜んだ。 そんな妻の様子を見て、これならバレる心配はないとビールを飲みながらほくそ笑んだ。 週末、俺は双子を連れて、唯花の待つ近くの公園に行った。 到着したのは約束している時間の五分前だが、唯花はもう着いていた。 妻がいないことに不機嫌そうにしていた双子も、優しく接する唯花に緊張が緩む。 そして俺達は数時間、アスレチックスペースで遊んで解散した。 「パパのお友達」だと信じきっている彼らは唯花が気に入ったらしく、 「また唯花おばちゃんと遊びたい」 なんて言って御機嫌だ。 このチャンスを逃すものかと思った。 「またおばちゃんと遊びたいなら、ママには内緒にしてなきゃいけないよ」 不思議そうにしている双子に、 「おばちゃんはとても恥ずかしがり屋さんなんだ。ママに話すと、もうおばちゃんと会えなくなるぞ。嫌だろう?」 純粋な子供を騙すというか脅すようなことをして申し訳ないと思ったが、子供達から唯花の存在をバラされるのは困る。 小指を絡めて約束を交わし、子供同伴の密会がスタートしたのである。 「今日は楽しかった。出来る限り、双子と一緒の時間を取るようにするから、君はゆっくり休んで」 と言うと、妻は嬉しそうに俺に抱きついた。 妻はインドア派なので、外に出なくても家の中でのんびりと本を読んだり映画を観たり、手の込んだ料理やお菓子をつくることでストレス解消となるタイプである。 双子を遊びに連れ出してくれるものと思っており、不倫を疑う素振りも見せない。 なんて完璧な作戦なのだろうと自画自賛した。 それから月に二度のペースで、俺は双子を連れて唯花と会った。 公園で本物の家族のように一緒に遊び、妻の心尽くしの弁当を食べる。 妻に対抗して唯花も弁当をつくってくることもあり、その時はたくさんのおかずを前に双子はテンションマックスになり、 「ママのコロッケも唯花おばちゃんのグラタンも美味しい」 二人の女の弁当のおかずを褒め倒す。 手料理を褒められて唯花はすっかり御満悦。 「これからは必ずグラタンを弁当に入れる」 と言って双子を喜ばせた。 双子の心をがっちりと鷲掴みにした唯花と会う頻度は増える一方だった。 小学生になると、双子は 「この人はただの友達ではない」 と疑いの目を向けるようになったけど、彼らの欲しいものを買い与えて機嫌を取った。 この頃になると、唯花の嫉妬心が少し面倒になってきた。 俺が双子を可愛がっていると 「その子達じゃなくて私も構ってよ」 と怒り出す。 そんな時は双子がショッピングモール内のゲームコーナーで夢中で遊んでいる隙にキスを交わしたりボディタッチをして愛情をアピールする。 俺が唯花より家族との時間を優先すると、 「どうせ私は二番目よ」 そう言って泣きじゃくる。 俺自身、唯花との隠れた恋に酔いしれていて、妻に悪いと思う時はあっても関係を精算しようなんて微塵たりとも思わなかった。 関係に疲れた唯花から別れを切り出される度に高価なアクセサリーやバッグを買い与えて繋ぎ止めた。 自分の貯金やへそくりを切り崩して唯花に高価なプレゼントを贈り、双子が妻に告げ口しないようにあの子達の欲しがるものを買い与えてる。 小学二年生になった頃には独身時代の貯金は空になり、唯花を手放さない為に双子の貯金や老後の蓄えにも手を出して、教育保険も解約した。 計算が苦手な妻に代わって俺が家計を管理していたのでバレることはない。 その頃、妻は近所にオープンしたカフェでパートをはじめて、月九万円前後は稼いでいた。 妻のパートの給与日になると、先に稼いできた九万円を徴収してから小遣いとして三万円を妻に手渡した。 六万円は 「双子の通帳に振り込む」 と言っていたが、その金は唯花と双子のプレゼントに消えた。 今思えば、双子の貯金だけではなく妻が稼いだお金も不倫に使うなんて狂気の沙汰だしクズの極みでしかない。 それほど唯花との関係に溺れきっており、妻では満たされない何かを唯花と密会することで満たしていたのだ。 永遠に続くと思われていたこの関係は、ある日、呆気なく終わりを迎える。 中学生になった双子は、なんと、揃って 「私立大学付属の高校に進学したい」 と言い出した。 何の根拠もなく 「双子は学費の安い公立高校に行ってそのまま就職する」 と思っていた俺には青天の霹靂。 理由を問うと、娘がそこに進学したい動機は 「コスメ開発の仕事をしたいから」 だそうで、そのためには薬学やバイオテクノロジーを教えてくれる理系学部のある大学に行く必要があると担任に教えられて調べると、某私立大にピッタリと当てはまる学部があり、家の近くに付属高校があることを突き止めたそうだ。 それを息子に伝えると 「実は、俺もそこを目指してる」 偶然の一致に驚いた。 妻と同じく料理や菓子づくりに夢中の息子は、中学入学前から 「キッチン甲子園の常連校に行きたい」 と思っていたのだが、偶然にもそれは娘の行きたいと思っている私立大学付属高校だった。 どちらかならともかく、二人揃って私立に進学となると多額のお金が掛かる。 それでこうして相談してみようという結論に落ち着いたという。 目の前が真っ暗になった。 小学生五年生になったあたりから、流石に唯花との秘密のデートにも同伴させることもできなくなったけど、妻がパートから正社員に切り替えたタイミングで、唯花と会う頻度が増えた。 妻の給与額が増えても月三万円しか渡さず、残りは唯花の為に消えている。 そんなこととは露知らず、 「目標があるのはいいことよ」 妻は笑顔で双子にエールを送る。 「お金なら心配いらないわ。お父さんはね、あなた達が生まれた時からコツコツお金を貯めていてくれたのよ。教育保険だってあるんだから」 安堵の表情を浮かべる双子。 俺は彼らになんと言ってやればいいのか分からず混乱した。 教育保険なんてだいぶ前に解約しているし、貯金も使い果たしている。 すべて唯花と双子のプレゼントに使った。 何と言い訳すればいいのか頭をフル回転させていると、息子が追い討ちをかけてくる。 「父さんは反対なの?」 俺は返事が出来ないでいた。 銀行の教育ローンを利用することも脳裏に浮かんだが、今の生活でもうカツカツなのだ。 生活費に加えて教育ローンの返済にもお金を充てるとなったら、俺は何歳まで働かなくてはいけないのだろう。 そんな不安から 「公立高校に行ってくれ」 と静かに言った。 「うちには私立の高校に行かせてやれるお金なんてないんだ。出来れば大学進学も断念して欲しい」 その言葉に、妻が真っ先に反論した。 「そんなことはないはずよ。教育保険は信頼できるところのものだし、貯金だってしてくれていたじゃない」 そう、妻は俺を全面的に信じてくれて、 「通帳を見せて」 なんて言ったことは一度もなかった。 だからこそ、俺は安心して双子の貯金に手をつけていたのである。 「頼む、コスメ開発の仕事も、キッチン甲子園も諦めてくれ」 俺にはそれしか言えなかった。 それでも妻は 「この子達には好きな道に進めるように教育保険もかけていたし、貯金だってかなりしていたじゃない。どうしてそんなことを言うの?」 と食い下がる。 そのためのお金を、俺は不倫のために溶かしてしまったのだなんて言えるはずもなく黙っていた。 項垂れていると、妻はそっと俺の肩に手をおいて、 「分かったわ。何か言えない事情があるのね。心配しないで。私が仕事を掛け持ちして稼ぐから、力を合わせてこの子達の行きたい高校に行かせてあげましょう」 そう言って、穏やかな笑みを浮かべた。 妻の優しさに感激していると、娘がとんでもないことを言い出した。 「仕事を増やす必要なんて、ないよ。コイツと唯花に慰謝料請求すればいいじゃない」 すると、息子も 「それから使い込んだ貯金と母さんのパートの給料も返してもらえば、姉ちゃんも問題なく理系の大学に行けるんじゃね?」 そう言ってニヤニヤする。 背筋がサーッと凍りつく。 青ざめる俺を見ようともせず、彼らは俺の秘密を妻に洗いざらい暴露する。 「コイツ、超サイテーなの。私達が小さい時から不倫なんてしていたんだよ」 「その言い訳に俺たちを利用して、女性と会っていたんだよ。バラされたら困るってんで、俺や姉ちゃんに玩具とか服とか買ってた」 「貯金も教育保険も私達と不倫相手のプレゼントに使ったんだよ、たぶん」 欲しがるものは何でも与えていたのに、こんな形で暴露されるとは思わなかったので、俺はかなり狼狽えた。 「馬鹿なことを言うな。父さんが家族を裏切る理由なんてないだろう」 だけど、二人とも冷たい視線を送るだけ。 一瞬の沈黙の後、 「だったら俺が電話してあげようか?唯花と番号の交換してるから、かけてやるよ」 息子が慣れた手つきで携帯を弄り出す。 俺は慌てて息子から携帯を取り上げて庭に放り投げたけど、その行為が双子の言うことは事実だと認めたようなものである。 妻は無言で立ち上がった。 冷静さを失っていなかったことが、俺には却って恐怖だった。 「とりあえず、お夕飯にしましょう。話は後で聞きます」 動じずに夕食の支度を始める妻とそれを手伝う息子と娘。 それから四人で夕食を食べた。   この日は俺の好きなアサリのしぐれ煮がメニューにあったけど、体の震えは止まらず味なんてしなかった。 それから俺は、双子の立ち会いの元、中学の同窓会で再会した唯花と不倫関係にあること、デートに双子を同伴させたこと、教育保険も貯金も双子と唯花のプレゼントに使い果たしてしまったことを告白させられた。 それから妻は、当然のように俺と唯花に慰謝料を請求した。 だけど、俺との離婚はしないとのことで、それに一番驚いていたのは唯花だった。 「どうして不倫したと知ったのに離婚しないのよ。あんた馬鹿?この人が離婚したら、私も旦那と別れてこの人と結婚するつもりでいるのよ。何年その時を待ってたと思ってるの?別れなさいよ」 この時、俺は唯花は旦那と離婚して俺との再婚を望んでいると知った。 嬉しくなって唯花と俺も一緒になりたいと思い、別れてほしいと頭を下げたが妻は断固として離婚を拒否した。 「別れた後にあの子達の養育費を払い続けていけるのですか?あなた達の愚かな行いのせいで、あの子達が不幸になるなんて私には耐えられません。あなたには、死ぬまで私と子供達といてもらいます。金銭運搬人として勤めてください」 妻の言葉が肩に重くのし掛かった。 その日から、家の中で肩身の狭い思いをして過ごしている。 食事は四人で一緒に摂るが、俺との会話なんてない。 妻と双子の楽しそうな会話に入ることも出来ない。 高校生になってアルバイトをはじめ、初めての給与でプレゼントを買ってくれたが、息子が俺にくれたのは安物の粗悪なワインで娘は百均で買ったハンカチと巾着袋だった。 妻にはブランドものの財布をプレゼントしていたというのに。 娘の大学進学と息子のイタリア留学が決まった祝いの食事会にも、俺は呼んでもらえなかった。 彼らが俺の両親と高級イタリアンを楽しんでいる時、俺は家でカップ麺を啜っていた。 唯花と不倫していたことを妻は誰にも言わないでくれたけど、祝いの食事会に俺の姿がないことを不思議に思ったお袋が娘に理由を尋ね、それが原因で両親にもバレてしまった。 翌朝早くに親父から連絡がきて 「お前はもう私達の子供じゃない。私達の家族は嫁と孫二人だけだと思うことにする」 と言われ、更に嫁と二人の孫にはこれから出来る限りの援助をしていくが、お前がどうなろうと私達の知ったことではないとまで言われてしまった。 自業自得とはいえ、事実上の勘当宣告はキツかった。 お袋にも 「恥知らず、あちらの御両親にも申し訳ないよ」 と泣かれてしまった。 唯花とは、あの話し合いの日から連絡が取れない。 一緒になりたいと言っていたのに、妻と離婚しなかった俺に失望したのだろう。 唯花が今、どうしているのか分からない。 大学の勉強が忙しくて滅多に家にいない娘だが、いる時は妻ととても楽しそうにしている。 俺のことなんて汚物か何かだと思っているようだ。 年末年始はイタリアに遊びにおいでと息子が連絡をした相手も、妻と娘だけだった。 送られたチケットも妻と娘の分だけで、俺のチケットはない。 妻と娘は、久しぶりに息子に会えるとはしゃいでいる。 家族の為に買った家で、家族と生活しているのに俺は一人きりでいる。 自業自得とはいえ、これはあまりにも辛すぎる。 耐えられなくなり、妻に別れてほしいと頼んでも 「金銭運搬人の役目を放り出すつもりですか?留学中の息子と薬学部に入った娘がいると忘れた訳ではないでしょう?」 冷たくそう返されるだけ。 妻と娘がイタリアに行った日の夜、俺は一晩中泣いた。 どうして不倫なんてしてしまったのだろう。 秘密のデートやスリルを楽しんだ代償が今の状態なんて知らなかった。 知っていたら、絶対にしなかったのに。 ある日、幼馴染みから電話をもらった。 結婚して奥さんと三人の子供がいるのに、取引相手として再会した初恋の女性に 「時々でいいから会ってほしい」 と誘われているという。 何度か初恋の女性とデートをして、一泊二日の温泉旅行に行こうと言われて迷っているらしい。 「どうしよう。だけど、バレなきゃ大丈夫だよな」 という幼馴染みに、俺は 「やめておけ」 と忠告した。 俺のようになる前に引き返せ。
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