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Stage1, Roll Up
「Uh……ha,ha」
小さな部屋、色んなステッカーが幾重にも貼られて、黒いインクのサインが踊る壁。
高音の伸びがまだいまいちな自分の発声を認めながら、低音と高音を繰り返す。
隣でスティックを振りぶつぶつと消えそうな声でメロディを口ずさむ、ロングヘアの紗枝(さえ)は、鳴らす音に比べて華奢な身体を黒いTシャツに包み、真っ黒な髪を揺らしていた。
「なんか変な感じ。合同練習がリハのみで本番とか」
アンプにつながずにベースをいじっていた杏美(あみ)が、癖のある茶髪をてっぺんでまとめてお団子をつくり始めた。今は大ぶりの黒縁眼鏡をかけているけれど、ステージに眼鏡姿で立ったことはない。
「通える範囲にスタジオがなくなっちゃったからね。ライブできる場所が残ってるだけでもラッキーだよ」
「言えてる」
「オンラインだと、やっぱテンポずれて合わせてる感じしないしね」
杏美と会話をしていたのは、このバンドで一応リーダーということになっているギターの優梨愛(ゆりあ)だった。メンバーの中で一番華があって男にもてる。どこにでもいそうな女子大生の雰囲気で、話し方がちょっと舌足らずで、独特の可愛らしさがあった。
みんなが会話をしている間も、あたしはずっと発声練習を繰り返す。ちょっとだけ高音が出るようになってきた。低音も良い感じ。
「今日のセトリ(セットリスト)、しょっぱなは紗枝に掛かってるよ」
「順番が最初ってだけで、そのうち優梨愛のギターソロだってあるでしょ」
「杏美のベース兼キーボードも」
そんな話をしていた3人が、相変わらず発声練習をしているあたしを見る。
「真琴(まこ)は普通だね」
「ほんと、普通」
「緊張とかしないの?」
あたしは発声練習を止めずに首を縦に振ってピースサインを送る。
みんな分かっているくせに。
あたしからこれを取ったら、どれだけ何も残らないか。
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