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死なない君×わたし
静かな木漏れ日の中。
古びた神社の前。
背の低い草の間に石畳が見えるこの場所は、時
間が止まっている。
この短い人生の中の一瞬を大事にしたい。
一度しかない一生の中で君に会えてよかった。
そんな歌を歌っていた。
「やあ。今日も来てくれたんだね。」
「こんにちは。」
声のあった方に振り返る。
背の低いわたしとそう広くない差の身長の男の
子。
いや、男の子という表現は正確ではないな。そ
う思い直す。
彼は神様だ。
この神社の、この空間の主。
「素敵な詩だね。続きを聞かせてくれる?」
そう低くない優しい声。穏やかなこの空間にま
るで響くように聞こえる。
歌は好きだが人に自信を持って聞かせられるほ
ど上手ではない。
でも、さっきからそこにいたなら聞いていただ
ろう、と開き直って、また歌う。
風が頬を撫で、木の葉を揺らす。
あたりの草が靡く音に混じって、彼が隣に座っ
た。
いつか人は死ぬ。この歌の中で、いや、この世
のどんなことにもそれは大前提として根を張っ
ている。
終わりが来る人生。永遠には続かない時間の中
で会えたこと。
それがどれだけ特別なことかを伝える歌。
そんな詩に感動するわたしたち。
じゃあ、この人は?
ずっとここにいて、時が進まない神社に一人暮
らすこの神様は?
静かに目を閉じて歌を聴いているこの人は、わ
たしが成長して、老いて、死んで、それでもな
おこの場所に居続けるのだろう。
わたしがここに来る前も何年も何百年もここに
居たのだろう。
時間の、命の制限の概念がないこの場所で、こ
の大前提は消える。
「この場所が無ければ経験できなかっただろう
な。」
ここに初めてきた時からずっと思っていたこと
を、やっと口に出す。
そういうと、神様は目を開けて、
「なにを?」
「緑に囲まれて、穏やかな気持ちで、のんびり
午後を過ごすこと。
自由な放課後にずっと憧れてたの。」
すると黒い瞳が笑って
「そう。いつでも来たらいいよ。これからもず
っと待ってるからさ。」
ポンと頭を撫でられた。
「そろそろ帰る時間だよ。」
わたしには少し過保護な母親がいて、週の何日
かは習い事がある。
用事が済んだら帰らなくちゃいけない。寄り道
なんてできない。
自由な放課後に憧れていた。
静かに友達と過ごす時間が欲しかった。
そんな願いは、時が止まる帰り道の途中のあの
場所があって初めて可能になる。
だから大切な場所だった。
大事な友達だった。
わたしは明日、遠いところに引っ越す。
田舎に分類されるであろうこの街に帰ってくる
のは難しい。
彼は、それを分かっててああ言ったんだろう。
もしかしたらもう二度と戻ってこないかもしれ
ない。
この場所のことさえ忘れてしまうかもしれな
い。
分かっていて、待っていると言ったのだ。
「お別れ、言えなかったな。」
言わせてくれなかった、の方が正しいだろう
か。
頭から手が離れた後、わたしはあの神社の入り
口のベンチに座っていた。
ベンチから立って、最後の帰り道を歩いて行
く。
また時間が動き出す。
この短い人生の中の一瞬を大事にしたい。
一度しかない一生の中で君に会えてよかった。
「行ってほしくない…なんてね」
人生の終わりがなくたって。
~時止まる神社で
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