序章

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 毎日外来にオペに、時には学会と、目が回るくらい忙しい。外科医は体力勝負とはよく言ったものだ。 「岩鬼先生、よかったんですか? あんな態度取って」  大知を慌てて追ってきたのは、医局秘書の伊東閑(いとうしずか)。彼女が脳外科の医局秘書になって、もうすぐ三年になる。  すらりと背が高く、ストレートの長い髪はいつもクリップでとめられていて、猫のようなつり目がちが特徴的。今年三十歳になるが、いまだ独身で、彼女を射止めようとしている関係者は少ないくないと聞いている。だが誰にも靡かないと有名だ。それは大知にも。だから大知は閑を信頼していた。  これまで大知に玉砕し、辞めていった秘書は数えきれない。この容姿で外科医とくれば女性が放っておかず、あからさまに媚びてくる。それは昔から。大知は尻尾を振って寄ってくる女性が大嫌いなのだ。  だが閑は違う。公私混同せず、仕事だけに力を注いでいて、仕事も的確。そんな閑を、入社してきたときから信頼していた。 「上司の顔色を伺うのが俺の仕事じゃない」  ぴしゃりと言いきる大知を、閑は困ったように笑っていた。  大知の言い方は毒舌すぎるところがあるが、いつだって患者の気持ちに寄り添った診療をする。  怖いという人も多いが、心は熱い人。わかり辛いのが難点だが、誰かにわかってもらおうとすら思っていないから厄介である。  エレベーターホールに着き待っていると、白衣のポケットにしまっていたプライベート用のスマホが鳴った。見れば、妻の杏だった。
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