2 鴻野涼介の章

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【 失望 】 一瞬で汗が引いた。 “ 逆転サヨナラエラー ” 平凡なゴロをトンネルした。 確実に捕球することを怠った。 送球を迷ったわけではない。 打球から目を離した、ただの注意散漫なプレー。 ゲームセット ー 一塁側スタンドは歓喜に沸いてるわけでもなく、選手たちは淡々と整列を始めていた。 三塁側もただ呆気にとられたように無言の空気だけが流れていた。 球場全体が肩透かしを食らったような中途半端な空間になった。 瞼も頬も口元も突っ張ったような感覚だった。表情筋が麻痺していた。 視線が痛いとも思わなかった。視線に晒されてる感覚がなかった。 きっと気を遣っている …球場にいる誰もが、取り返しがつかないエラーを犯した俺を気の毒がっているような気がした。 俯かないように意識的に顔をあげて整列に向かう。ここで俺が泣いたりうなだれたり、悲観的な行動をとる事こそ、ここに居る全員にとって迷惑な話だろう。 月島の手が肩に回ってきた。 反対側から慶が来て二人に挟まれる形になった。 「ごめん」 掠れた声がでた。 「こういうこともあるさ」 慶の言葉も掠れていた。 「何度も救ってきたんだ」 労るような月島の言葉が痛かった。 “ 絶対に泣くわけにはいかない ” ただそれだけを思った。 チャーターバスで学校に戻ってすぐに解散になった。バスの中でも、花大さんもみんなもずっと優しかった。慰めと励ましの嵐。 俺は声をかけられるたびに、ただ頷いた。 ただただ頷くことしか出来なかった。 帰り道 …… 5時を過ぎていたけど、まだ昼間のような明るさだった。 自転車のカゴにバッグを放り込んだ。 漕ぐ力が湧かなかったので引いて歩いた。 亀が当然のようについて来た。 「ちょっと ……一人がいいかな」 小さな声でそう言うと、泣きそうな顔で「また明日ね」って言って引き下がった。 タラタラと自転車を引いて歩いた。 通学途中に小さな公園があった。 公園には誰もいなかった。 車止めのところに自転車を置いた。 ブランコに腰を下ろす。 影がゆっくり揺れていた。 西日が作った俺は大きくて堂々としていた。 あの時、絶望と一緒に何もかも諦めた。 何にも期待せず、何も得られないことを当然のように受け入れる覚悟を持った。 あの絶望に比べたら、何が起きても大したことじゃないと思える、と思っていた。 なのに俺はこっちに来てから、いろんな人に支えられていろんなものを貰い、いつの間にか何かを期待する生活を送っていた。 俺は支えてくれた多くの人たちを失望させた。 そんな自分に対する失望は “ あの絶望に比べたら ” なんて単純なものではなかった。 ・・・ 誰もいない公園に、突然黒い犬が現れた。 黄色いハーネスをつけた柴犬が興味深そうにうろついている。 あちこちの匂いを嗅ぎ回りながら、こっちに近づいて来た。 ・・・迷子か ? ブランコまで5メートルくらいのところまで近づくと、そこで立ち止まり俺をじっと見ていた。 きれいな顔をした賢そうな柴だった。 「どうした ?」 声をかけるとちょっと小首を傾げて、すぐに体の向きを変えて、入口に向かって駈け出した。 そこに人が立っていた。 「この子、タケルって言うの」
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