2 鴻野涼介の章

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【 撮影 】 フリスビーに指を掛けることは出来る。 当たり前だ。 そう仕向けられているのだから …… タケルはフリスビーを上下(うえした)逆に ……しかも俺に “ あげる ” と言わんばかりに上向きになるように咥えて挑発してきている。 ならばと、手を伸ばしてフリスビーに触れようとした瞬間、前歯の力を抜いてフリスビーが下を向く。俺の愚かな手は見事に空振りした。 ならばと、そこを予測してフェイントを入れながら下に手を伸ばすと、嘲笑うようにフリスビーが上を向く。 背中から「ふふふ」と聴こえてきた。 ・・・くっ 俺は完全におもちゃにされていた。 口先の力加減だけでおちょくられている。 どっちがペットだかわからん。 それでも奪ってやろうと、左右の手のフェイントを駆使してなんとか指を掛けることに成功すると、今度は口を上下左右に激しく振って俺の手から引き離そうとする。しかも恫喝するような唸り声を発しながら ……。その声にビビって手を離すと、すぐにまたフリスビーを差し出してくる。 結局、フリスビーの引っ張り合いになる。 今度は引く力を入れたり抜いたりの駆け引きが始まった。強く引けば、10キロもなさそうなタケルをズルズルと引き摺る形になる。それでも唸り声を上げながら決して離そうとしない。 「加減しないと前歯がヤバいよね ?」 そう言って振り向くと成瀬はこっちにスマホを向けていた。 「それ何 ?」 「記念撮影 ……タケルの歯はそんなに弱くないよ。ゆっくりならそのままぶら下げても、吊り上げて旋回してもいいくらい」 スマホを向けたまま無責任な答えが返ってきた。 ・・・ フリスビーに犬歯がしっかり掛かっているのを確認してゆっくりとぶら下げてみた。 タケルの足が地面から離れた。 唸り声が止んだ。 への字の目が静かに閉じられた。 ジタバタもせず気持ちよさそうにぶら下がっている。 「これ、どうゆう状態 ?」 顔を上げるとスマホが目の前にいた。 「うーん、きみを100パーセント信頼している状態 ? なのかな ……タケルの表情にまったく不安を感じないもの。そのままぐるぐるまわればもっと喜ぶよ、きっと」 ・・・テキトーか 成瀬は両手でスマホを固定して俺たちの周りを慎重な足取りで動き回りながら喋っていた。たぶん、成瀬は撮影に全神経を集中している。 ・・・まっいいか 俺はゆっくりと自転を始めた。 一回転 …二回転と回ると遠心力でタケルの身体が水平になった。タケルは完全に脱力して、気持ち良さそうに目を閉じている。 ・・・変なわんこ 円盤投げのように回る俺の周りをスマホを構えた成瀬がゆっくりと逆回転で動いていた。 そのまなざしは幼児のように柔らかだった。 “ やっと会えた、よかったねタケル ” あれは …… 俺に会うために何度もここに来ていた、ということなのか。 わざわざ俺に会うために ? ・・・ とにかく …… 彼女は今、最高に美しかった。
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