過去

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 ヒワにすすめられるまま、六畳間の部屋に座った。部屋には家具も何もなかった。しかし、今ここでその理由を訊くより、もっと大事なことがあると思ったので何も言わなかった。ただ、ヒワが口を開くのを待っていた。 「えっと、いっぱい話したいことがあるんですが、とりあえず、変なものを食べさせてしまってごめんなさい。大丈夫ですか?」 「全然大丈夫ですよ。気にしないでく(すく)ださい」 「それは、よかったです。あ、それと、あのドッグフードは私もどこに売っているかわからないんです。ごめんなさい」 「え?あ、ああ、はい。大丈夫です…よ?」 「…貴方って優しいですね。人間がここまで優しいとは、やっぱり実感するまでわからないものですね。」 「……」 「ここまでやってしまったら言うしかありませんよね。本当にあなたが、優しい人でよかった。」  そこでヒワは一旦深く息をついて、話し始めた。 「私、犬なんです。元々ペットショップで売られていました。ショーケースの中から眺める人間の世界に、ずっと憧れていました。あんな風に、友達と一緒に自由に笑ってみたいと思っていました。でも結局、私は大きくなっても外の世界に出ることなく、ペットショップとは違うところに連れていかれました。朝も夜もわからない、とても暗い場所でした。私は檻の中にずっといて、お腹をずっとずっと空かせてから食べる、このドッグフードだけが唯一の救いでした。でも私は、もうすぐ死ぬんだと覚悟していました。でなければ一体、外界と遮断されて姿の見えない私を誰が買ってくれると思いますか?」  一つずつ丁寧に、(すく)い上げるような口調で語るヒワは、例え初対面でこの話をされても信じてしまうくらい、真剣な表情だった。僕は、ただ黙ってずっと聞いていた。この話に相槌を打つことさえ、失礼に思われた。 「ある日、いつものように微睡(まどろみ)の中でじっとしていると、すうっと部屋の扉が開いて、音もなく誰かが入ってきました。私は、ああ、この人に始末されるんだなと思いました。ですがなぜか、恐怖は感じませんでした。私の人生に喜びという感情もなかったので、そうなるのも今考えれば自然なことだったかもしれません」
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