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「藤枝です」
「まあ。藤枝さん、風流なお名前ですわね」
「この辺ではわりと多い苗字ですよ」
「左様でございましたか。あたくしの故郷のほうには、藤枝さんという方は身近にいらっしゃらなかったので……」
「あまねさん、どちらのお生まれですか?」
「遠いお空の向こうですのよ」
はぐらかされたのだろうか。深追いしても仕方ないので、僕はあっさりと諦める。
「立ち入ったことを、すみません」
「あら、かまいませんわ。――藤枝さん、珈琲と紅茶でしたらどちらがよろしいですか? 中国茶などもございますが」
そうだ。あまねにお勧めを聞いていたのだ。うっかり失念していた。
「ええと、では紅茶を」
「アッサムなどいかが? コクがあって美味しいんですの」
「アッサム……確か紅茶の種類ですよね。はい、ではそれを」
「ミルクティーが合いますが、ストレートでいただいても美味しゅうございます」
にこにこと説明するあまねの表情はとても魅力的だ。茶房を開いているだけあって、本当に珈琲や紅茶の類が好きなのだろう。
あまねはこの店を女性一人で切り盛りしているのだろうか? 共同経営者、あるいは夫の存在など、一介の客が考えなくても良いようなことを僕はぼんやりと考えていた。
「ミルクティーをお願いします。……あの、僕の名前関係ありました?」
「お名前を伺いたかっただけですの」
「え、どうして……」
「――もしよろしければ、お待ちいただいている間書棚の本などいかがでしょう」
僕の質問には答えず、あまねは壁際の書棚に視線を移した。小さな書棚には本がきっちりと並んでいる。試しに背表紙を眺めてみるが、どれも聞いたことのない本ばかりだ。共通項として、どの本にも『雨』という字がタイトルに入っていた。わざわざ集めたのだろうか。僕は適当に『雨の記憶 - remembrance - 』という本を書棚から取り出し、ぺらぺらとめくってみる。
外の雨音が急に強くなった気がした。
窓を見ると、雨粒が窓ガラスをぽつりぽつりと叩いている。まだ止みそうにもない。驟雨ではなく本格的に降ってきてしまったようだ。傘を持ち合わせていないので、雨が弱まるまでの間ここで時間を潰すことにした。
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