19人が本棚に入れています
本棚に追加
「僕に見せてくれないの?」
「藤枝さんとあたくしは、今ここにこうしているじゃない。だから大丈夫よ」
何がどう大丈夫なのかわからなかった。そう言いたかったが、給仕がレインの注文したアッサムのカップをテーブルに置いたので、機会を逃した。
「藤枝さん、じゃあおまじない――」
レインは意味深に言葉を切り、おみくじを持っていない方の手で僕の手を握り返した。
「次に藤枝さんとあたくしがきちんとお会い出来たら、どうか結婚してくださらない? そうしたら、きっとずっと一緒にいられるわ」
突然のレインからのプロポーズに、僕は言葉を失った。
――ああ、そうか。
僕はもう二度とレインに会うことはないのか。何故か直感的にそう思った。
💧 💧 💧
雨の音が一瞬大きくなった。扉が開いて外の音が良く耳に入ってきていた。誰かが出ていく気配に僕ははっとして『雨の記憶』を閉じた。栞紐を挟むのを忘れ、読んでいたページを見失う。
「こちら、お下げしますわね」
あまねがやってきて、空のカップと小皿を銀色のトレイに載せた。なんだか夢を見ていたような不可思議な気分になって、僕は辺りを見回す。
「藤枝さん。お時間が許すなら、雨が上がるまでここにいていただいて結構ですのよ」
「ああ……いえ、傘があります」
雨は上がりそうもないが、紅茶一杯で長々と居座られても迷惑だろう。僕の前の椅子の背には、雫に濡れたビニール傘が掛かっていた。あれは僕の傘だ。
「あの……また、明日来てもいいですか?」
こんなことを言ったところで、相手は客商売だ。わかりきった答えを期待してこんなことを聞くのは狡いような気もした。しかし読みかけの『雨の記憶』の続きが気になったのだと、自分自身に言い訳する。
「ええ是非。いらしてくださいまし」
しかし僕は翌日あまねに会うことはなかった。藤枝という僕の存在が、実に曖昧なものであったからだ。
最初のコメントを投稿しよう!