3 雨音 amane

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3 雨音 amane

 初めて訪れる店、《茶房あまね》では、レトロな雰囲気のある別嬪さんが出迎えてくれた。散歩に出掛ける前には降っていなかったが、丁字路に差し掛かる手前で天気が崩れた。 「本日はお足元の悪い中お越しいただき、ありがとうございます。あたくし、店主のあまねと申します」  丁寧に挨拶してくれた店主はにこりと僕に笑いかけ、「お好きな席へどうぞ」と促した。他の客は誰もおらず、静かで落ち着いた店だ。   「すみません、急に降られまして。しばらく雨宿りさせてもらえませんか? あ、勿論注文はします」 「ええ、結構でございますよ。どうぞ、こちらがお品書きとなっております」  僕は店の奥の二人がけの席を選び、膨大な品数のお品書きをぼんやりと見つめた。何を選んだら良いのかわからないくらい、たくさんある。   「あの……お勧めはありますか?」 「そうですわねぇ……。お客さん、お名前を伺ってもよろしいかしら?」  あまねはのんびりと僕に名前を聞いてくる。 「梅宮(うめみや)です」 「まあ。梅宮さん、風流なお名前ですわね。……梅宮さんて、()()梅宮さん?」  この辺で梅宮家は有名だ。地元の名士と言ったら聞こえはいいが、いわゆる成金だった。僕はそこの人間だ。    なんとなく以前もこのようなやり取りをしたような気になったが、それがいつなのか思い出せない。 「――梅宮さん、珈琲と紅茶でしたらどちらがよろしいですか?」  あまねに言われて、話しかけた目的を思い出した。お勧めを聞いていたのだった。 「紅茶がいいかな……」 「ではアッサムなどいかがでしょう。ミルクティーが合いますが、ストレートでいただいても美味しゅうございますよ」  また感じた既視感(デジャヴュ)に、目の前のあまねをじっと見つめてみたが、既視感の正体は掴めなかった。   「じゃあ、ミルクティーを」 「あら、ストレートもお勧めですのよ? ……よろしければ書棚の本などお好きにお選びくださいな」  あまねは丁寧に一礼して僕から離れた。注文したアッサムミルクティーが来るまでの暇つぶしにと、僕は書棚から『雨の記憶』という一冊の本を選ぶ。ぱらぱらと中身を確認すると、栞紐(スピン)の挟まっているところで指が止まった。  誰か他の人がここまで読んだということだろうか。どうせ最後まで読むことはないし、暇つぶしの一環であったので、僕は途中からその本を読むことにした。 「梅宮さん、おまたせ」  やってきたアッサムミルクティーを飲みながら読書をしていたら、ふと声を掛けられた。店を見渡すと、待ち合わせをしていたあでやかな女性、レインが店の入口付近で僕に手を振っていた。 「やあレイン。傘はなかったのか?」 「そうなの。ワンピースが濡れてしまったわ」 「拭いてあげようか?」 「うふふ、梅宮さんたら。あたくしに触れたいだけじゃなくて?」    レインは蠱惑的に笑んで、僕の目の前の椅子に腰を下ろした。雨に濡れた肌がなんだかなまめかしく感じられ、どきりとする。抱き寄せてしまいたい衝動に駆られたが、僕たちはそういう関係ではなかった。
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