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「ずっと一緒にいられるようにってお願いしたのにね」
無垢な経帷子をまとい、まるで静かに眠っているかのように睫毛をそろえている。けれども冷えた指でその頬に触れても、暖かみは感じられない。唇が動くことも、ない。
「姉さん、ずっと一緒にいられるようにってお願いしたのにね。いつも姉さんがわたしをおいていっちゃうんだね」
細く、細く、糸を垂らすように語りかける。責めるようにいいながらも声は穏やかだ。だってわたしは怒っていない。姉のすがたを映す瞳は、悲しいほどに乾いている。
ずっと一緒にいるのだとおもった姉が、離れていったのは五年前のことだ。姉は親に相談することもなく都会の大学に進学を決めた。当然まわりは反対した。けれど彼女はひと度決めたことは決して譲らない。
そうして彼女は都会にいき、わたしだけがここに残された。
わたしは親の勧めもあって大学にはいかず、ふたりの経営する料理屋で働いている。
姉が帰ってきたのは今年の春のことだった。都会の洗練されたふんいきをしゃなりと纏い、ますますに美しくなった姉は、ひとりではなかった。腕に赤ん坊を抱き締め、隣には見知らぬ男を連れていた。
結婚したのと、姉はいった。
わたしはそのとき、彼女の唇だけをみていた。うす紅に縁どられた唇が軽やかにまわる。
けっこんしたの、ケッコンしたの、結婚したの……両親や昔ながらの知りあいのひとたちが怒るやら喜ぶやらで大騒ぎする様子を、遠巻きにぼうと眺めながらわたしは、握りつぶした紙の感触を想いだしていた。硬い紙の折れ目がてのひらの柔らかなところに刺さる、鈍い痛み。傷にもならない、痛み。
「ねえ、なんで姉さんはいつも、そんなふうにかんたんに択べたの。択ばれなかったほうがどんな想いをしていたのか、考えたこと、あった?」
沈黙。沈黙。わかっている。
「……いいの、訊きたかっただけだから。それにもう、いまはふたりきりなんだもの。ここにはわたしと、姉さんのふたりだけ」
死んだ姉の髪を梳き、頬に散らばったそれを耳の縁に掛けてやる。左前の衿が悲しい。彼女は遠い都会にいき、今度はもっとずっと遠いところにいってしまった。
姉は一昨日の晩に亡くなった。帰郷してから約一週間余り。急死だった。
わんわんと泣き続ける赤ん坊を抱き呆然とする、姉の連れてきた男の顔はあんまり憶えていない。脳梗塞だとか心筋梗塞だとか、医者はいっていたが、それも憶えていない。どちらもどうでもいいことだった。
姉は死んだ。それがすべてだ。
あとは彼女をどう葬るか、だった。
親族はもちろん実家の墓にいれるといった。このあたりは昔ながらの土葬だ。棺桶にいれて、土に埋める。後は腐るに任す。男は火葬にして都会にある彼の実家の墓にいれるといった。そのほうが赤ん坊がおおきくなったときにも墓に参りやすいからと。
みなが雑然と言い争うなか、だめですと声をあげたのはわたしだった。その声は異様なほどに徹った。鼓膜に触れたそれは、姉の声と聞き紛うくらいだった。
姉を、勝手につれて、いかないでください。
日頃からおとなしくて主張のないわたしがはっきりと拒絶を表すとはおもわなかったまわりのひとびとは驚いていたが、すぐにそうだそうだと騒ぎだした。姉はこの土地の人間だ、だからここに埋めるべきだと。
死んでしまったとはいえ、姉がまた都会にいくなんてぜったいに嫌だ。けれどわたしは、ここに彼女を縛りつけたかったわけでもない。こんな寂れた町は姉にはふさわしくないことも知っていたから。だから都会にいくといったあなたを、わたしだけは喜んで送りだしたのだ。
姉さん。あなたの翼を折らないから、誰にも折らせないで。
ずっと、そう、願っていた。
だからこそ結婚したといわれたときにがく然とした。姉の翼を折ったのはいったい、誰なのか。姉は誰に、その捷い翼を折らせたのか。例えばそれが、恐ろしく凶悪なものならば、わたしは許せたかもしれなかった。荒れた海のように激しく、うねり、猛るものならば。
なのに、姉の隣にいたのは冴えないただの男だった。眼鏡をかけて、ちょっとばかり猫背で、全然都会らしくもない。けれど男、だ。男だったのだ。
だから、わたしは決めた。
姉を月葬にすると。
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