絆、裏切りの代償

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1  兄弟分とは何であろうか?  擬制的親族関係の一種。 すなわち他人との間に、あたかも実の<きょうだい(兄弟姉妹)>のような関係を結び、親密な交際を行う慣習のこと、および当人に対する呼称。分とは、仮に定めた身分を意味する。呼称としては、義兄弟、宿兄弟、参宮兄弟、兄弟契り、兄弟成り、ケヤク、ネンアイなどがる。  なんで俺は大根田なんかと兄弟分になってしまったのであろうか?  兄貴分である角田の命令でもあった。  大根田と兄弟分になるのは嫌だと明確な意思表示をすればよかった。 「松永、おまえ大根田と兄弟分になれよ」角田が言った。  俺は角田の声が聞こえていないようにふるまっていた。 「聞いてるのか松永」 「はい」小さな声で返事をする。 「今日からおまえは大根田と五分の兄弟分だ」  大根田はまんざらでもない顔をしている。  上野に次いでなんで大根田とも兄弟分にならないといけないのだ  宇都宮競輪場の近くの国道に面したローソンの隣の巨光マンションの八階の一室。  角田は部屋の一室で他の組織の組員を迎え入れ今日も麻雀を打っていた。  その時に何とはなしに声を掛けられたのだ  大根田は堅気であった。一応角田の下で活動をしていたが、出川の親分とは面識もない。  角田に言われて兄弟分になったのは上野浩についで二人目であった。  上野も堅気であったがいい付き合いはできていたと思う。上野は俺より歳が二つ年下であった。  大根田は逆に俺より二つばかり年上であった。口ひげを生やしていて見た目にも好きにはなれなかった。  大根田の付き合ってた女はSM嬢で日奈子と言った。  SだかMだか俺は知らない。興味もまるでない。  角田の言葉を聞いて日奈子が頭を下げてくる。 「大根田をよろしくお願いします」おいおい待てよ。頭を下げるのは大根田だろう。なんで日奈子が頭を下げるんだ。  大根田は黙ったままだある ――おまえは出川組の組員でも何でもないであろうが、頭を下げるのはオマエだろうが  角田は何も察してはいない。 「兄弟盃といこう」角田が言った。  俺と大根田は共に持っていたあさひスーパードライの缶をぶつけ合った。  角田は俺の意向など関係ないかのようにことを進めていく。  大根田からはよろしくお願いしますという挨拶もなかった。  年上だから俺の事を軽く見ているのであろうか?  先が思いやられる。  俺は大根田とうまくやっていくことなどできるのであろうか?  ビールで乾杯する際、俺は大根田の事をねめつけた  大根田は視線をそらせた。 2  上野浩とも角田の仲介で兄弟分となった。  上野はトラックの運転手の仕事をしていた。  酒が好きで、よく一緒に飲みに行った。  上野はヤクザの世界に憧れを持っていた。  飲みに行くと必ずやくざの話を持ち掛けてくる。俺の事を持ち上げてくれるのだ。  飲んでる席で兄弟と呼ばれるのはあまり好きではなかった。だが女のいるキャバクラやおっぱぶに行くのはそれなりに好きだったのかもしれない。  一人で飲みに行くこともあった。左手の欠けた小指と薬指を隠し、自衛隊だと噓を言ってお忍びで飲みに行った。  飲み屋の女は皆俺の言うことを信じた。こんながりがりの筋肉のない自衛官などいる訳がないというのに。  上野は色男だったこともあり女をひっかけるのがうまかった。結構な人数の女を落としたのではなかろうか? 中にはソープランドで働いてる女もいた。  ――ああ、俺もイケメンだったらな。 そんなため息がもれる。  大根田の兄弟はどうであろうか? いやいや大根田は兄弟でも何でもないただの知り合いだ。俺は大根田を兄弟と認めたくはなかった。 3 上野の兄弟に言われて取り立てに行ったことがある。相手はソープ嬢であった。  オートロックのマンションだったので部屋番号を打ち込みチャイムを鳴らす。 ――上野の代わりに来ました。俺はそう言った。  返事が返ってきた。 ――今、警察を呼びました。  俺は何が何だかわからなかった。  15分は経ったであろうか警察がやってきた。それと同時に叶という女が階下まで降りてきた。  叶とは言ったが叶姉妹のようなゴージャスな女ではなかった。  顔もぶさいくで体もがりがりだった。よくこんなんで高級ソープランドであるタレントに務めることができたのだと思う。 ――この男ヤクザですヤクザに違いありません。女が言った ――何が起きたんですか? 警察官が俺と女に問いただす。  女の言ってることは支離滅裂だった。 ――何かされたわけじゃないんでしょう。と、警官が言う  警察が来たことで女は少し落ち着いたようであった。 ――おたくは組員のかた? ――俺はただお金の集金に来ただけです ――何の集金? 暴行されたわけではないんでしょう。 民事の事に私ら警察は介入できませんよ  ゆっくり二人で話し合ってください。そういって警官は帰って行った。  女はがっくりと肩を落とした。 「かのうさん俺は三十万円もらえればそれでいいんだ」 「本当にそれだけで話は終わるのでしょうか?」 「上野の何をされたかわからないが、約束するよ」  兄弟という言葉は使わなかった。 「部屋まで来ていただけますか?」  俺には意味がわからなかった。警察を呼んだ女が俺の事を部屋に招待するなんて。  それでも俺は女の指示に従った  部屋は7階であった。  部屋の扉を女が開けた。マルチーズが吠える。  広いリビングであった。ソープランドで働いてることだけの事はある。他にもいくつか部屋があった。  マルチーズが鳴きやまらない。 「まりん、おとなしくしてなさい」マルチーズはまりんという名前であるらしい。  まりんは俺の事を警戒してるのだ。女が言い聞かせてもちっとも鳴きやまらない。  俺の顔を見ては吠え続けている。  リビングのテーブルの椅子を勧められた。  俺は腰を下ろす。  女はだいぶ落ち着いたみたいで、先ほどとは表情も変わって穏やかな顔をしている。 「念書を書いてもらえませんか」女は言った。  上野から聞いた話では目の前にいる女と同棲をしてたらしい。――上野は何でもありか? ゲテモノ食い。  引っ越しの際、上野の私物を女が壊してしまったらしい。その私物が何だったのかは俺は知らない。 ――上野浩との話はこれですべて終了しました。  薄っぺらな念書であった。何の効力もない。  それでも俺は女の言うとおりにペンをしたためた。 「連絡先を教えてください」女は言った。 「連絡先を知りたいのであれば、先ずは自分の連絡先を教えるのが筋だろう」 「筋なんて言葉を使ってやっぱり堅気ではないんですね」 「そんなことは関係ないだろう」なるべく怒らないようにやさしく語りかけた。  俺は目の前に座っているぶさいくな女にまるで興味はなかった。ただ優しくしておけば何かあった際利用できると思っただけだ。ちなみに今目の前に座っているぶすは、タレントという高級ソープランドで働いていて、一回の入浴料込みの値段が10万円と馬鹿高かった。  俺はどんなにいい女でも10万なんて金支払わないが、今、目の前にいるぶすに10万なんて金払う人間がいるかと思うと不思議で他ならなかった。  女の名前は叶みち子というどこにでもいそうなありきたりな名前であった。 4 俺にはいったい何人の兄弟分がいるのであろうか?   博徒でありながら他の組織のテキ屋にも兄貴分はいた。茨城は水戸に組を構える極東会の組員である、中宮隆治。福島県郡山市に住んでいる今は堅気となってしまったがかつては同じ稲川会に籍を置いていた和幸。住吉会の本部で部屋住みをしている佐藤。山口組の章友会の島根貴彦。稲川会大野一家にも兄貴分はいた萩原民夫。同じく稲川会の林一家の成田正一。それに上野に大根田もいた。  出川組には当然であるが、兄貴と呼ぶ存在は角田ただ一人である。  五分の兄弟分は佐藤に島根に和幸それに上野に大根田、5人もいる。兄貴分はどうかというと角田に萩原、中宮に成田。  どうしてこんなにも縁を持ってしまうのであろうか?  本来であるならば兄貴分は一人でもいいはずである。俺の先輩でもある仙波さんは兄貴分も兄弟分もいないという。それを教えとして授かったのかもしれない  角田の事を兄貴と呼ぶようになったのは、堅気の頃山口組の三次団体の組員と、当時付き合ってた女を寝取られて復讐するためにだけであった。別に角田に惚れて舎弟になったわけではない。それでも付き合いは古かった。  一緒にレンタカーを借りて偽装の事故を起こし保険金詐欺で捕まった過去もある  萩原の舎弟になったのも俺が勘違いしての縁組であった。  成田と中宮には俺から舎弟にしてくれと頼み込んだ。惚れてしまったのだと思う。  二人とも時期は違うが福島刑務所で知り合い舎弟にしてもらった。  中宮は茨城は水戸に組を構えるテキ屋、極東会の組員であった。左手の小指と薬指、右手の小指、左手の親指まで落としていた。  中宮は親指を落としていたこともあり刑務所で着る作業服の袖口がボタンではなくマジックバンドであった。その中宮の兄貴も自ら命を絶って今はいない。  刑務所に務めている際の所作に惚れた。  成田にも惚れて自ら舎弟にしてくださいと言った。成田の兄貴は二十ばかり年上であった。稲川会林一家の最高顧問を務めていた。  成田の兄貴はヤクザ感をまるで出さず、黙々と刑務作業に取り組んでいた。その姿に惚れてしまったのだ。  佐藤と島根はなんとなく気が合っただけだ。  俺にも出先の舎弟が5人ばかりいた。自分で言うのもあれだが、あまり出来のいい舎弟ではなかった。  男が男に惚れる。それが一番の理想の兄弟だと思う。  一度契りを交わしたらそれは一生ものだと言われている。  俺はあまりにも軽く考えていたのかもしれない。  稲川会岸本一家の岸本親分のボディーガードをしていた高野俊司の言葉が思い出される。 ――自分の下は作ってもよいが兄弟分や兄貴分は作らないほうがいい。  何か含めることもあって言ってくれたのだと思う。  兄弟分とは何なのであろうか? 兄弟分のためなら命を投げ出す時も必要なのであろうか? 覚悟。そんな覚悟、俺は持ち合わせてはいなかった。 5 「もう少し大根田と仲良くしろ」角田に言われた。 「普通にしてますよ」とぼけて見せた 「ろくに口もきかねぇじゃねえか」 「そんなことないですよ、なあ兄弟」俺は仕方なしに兄弟(・・)という言葉を使った。 「そうですよ角田さん、兄弟の言う通りです」大根田は角田の事を兄貴とは呼ばず、角田さんと呼ぶ。だが大根田は角田の舎弟である。  それにしても大根田に兄弟と呼ばれると胸糞が悪い  大根田は出川組の事務所には一度も来たことがない。  上野は毎週日曜日、それは刺青を彫りに事務所に通い詰めていた。  俺の刺青を入れる際の金はすべて出川の親分が支払ってくれた。上野は自腹である。  刺青を彫り終えると必ず親分にお礼の言葉をかけにいった。  出川の親分からすれば上野は堅気の若い衆で、角田の舎弟だという認識があったのかもしれない。俺と兄弟分だとは知らせていなかった。  俺が日光の責任者を任され金貸しをしてた頃、顧客の一人である青木という人間から相談を持ち掛けられた。自分の娘が付き合ってたパチンコ屋のマネージャーと別れる際、パチンコ屋の駐車場で飼っていたゴールデンレトリバーを引き取り青木さんの庭でその犬を飼っていたらしい。その犬を誰かに引き取ってもらいたいとのことであった  ゴールデンレトリバーの名を太郎と言った。ありふれた名前  太郎と俺は青木さんのところに集金に行くといつも顔を合わせていた。  基本ゴールデンレトリバーは吠えない。なのに青木さんちのレトリバーは吠えまくる。  また動きがせわしかった。  俺の目の前で太郎を青木さんが蹴とばしていたのを何度か目撃したことがある  その太郎がある日脱走した。  太郎は近くに住む高齢の女性に覆いかぶさって腰を振り続けたという。女性は被害届を出すと言ってきかなかった。強姦未遂? 笑えない話であった。 「何とかならないですかね、このくそ犬」俺は相談を持ち掛けられた 「当てがないわけではないので聞いてみるよ」  俺は叶みち子に電話をかけて理由を説明した。  みち子は俺の願い出をこころよく引き受けて承諾してくれた。  人の縁とはわからないものである。あの時俺が上野の取り立てを断っていたら、太郎もどうなっていたかはわからない。  みち子の取り立ての際、金は好きなように使っていいと上野には言われていたので、取り立てた三十万はすべて懐に入れた。その代わり上野の兄弟をキャバクラに連れて行った。  人と人との縁は一期一会だなと改めて思う。  兄弟分との縁も一期一会だったのであろうか? 刑務所で佐藤とまた島根と出会うことがなければ契りを交わすこともなかった。  和幸は別である。飯沼という俺の舎弟に紹介されて兄弟分になった。  和幸は俺より三つ下だったが気が合った。それに仕事に関しても段取りが速かった。  付き合っていてストレスを感じることがなかった。 6  そのころ俺のしのぎと言ったら覚醒剤の横流し。テーブルゲームの経営。日光市内での金貸し、これは親分の手伝いである。他に盗難車の横流しもあった。角田の知ってることもあったし、知らないところでも金になることは何でもやった。恐喝も半年に二件か三件入ってきていた。  一度金を貸してる客が金利を支払うことができず、その客から頼まれたことがある。別れた男から金をとってもらいたいという話であった。男とは結婚を約束してたのにその約束が反故にされたという話らしかった。俺はその話に乗った。  男はHONDAのプレリュードで来た。  ファミリーレストランで話をすることになった。 「加藤忍さんはあなたと結婚するつもりでいたそうですよ」 「なんで二人の話に第三者が出てくるんですか」 「婚約を破棄された女性の気持ちがわかりますか」 「ひょっとしてあなたはヤクザ者ですか?」 「そんなことはどうだっていい」 「俺にどうしろというんですか」 「それ相応のお金を支払ってもらいたい」 「そんな金あるわけないじゃないですか」 「そんな金を作るのがあなたの務めです」 「いくら払えばいいんですか」 「それはあなたが決めてください、ただ十万、二十万の話ではないですよ」丁寧な言葉遣いを心掛けた。 「わかりました」男は決心を固めたようであった。  こんなに簡単にいくとは思ってもみなかった  角田にそのことを報告した。  約束の一週間後男はやってきた。 「これが今俺にできるぎりぎりのお金です。五十万あります。これで話はなかったことにしてください。 その話は角田の耳に入れておいたので、無事集金が済んだことを告げた。  その時大根田が横から口をはさんできた。 「俺なら百万は取れたな」頭にきた。 「オマエ誰に物言ってんだ」喧嘩口調になってしまう。 「ごめん、ごめん。悪気はなかったんだ」大根田は俺の容赦のない怒りを感じ取ったようだった。  恐喝した五十万円を角田が分配した。  角田が二十五万。俺が二十万。大根田が五万。  なんで大根田が金を受け取る必要があるのだ。意味がわからなかった 「兄貴この金は親父が貸してる金利及び元金の返済もあるんですよ。大根田は何もしていないじゃないですか、大根田が受け取った金を元金の返済に充ててください」 「おまえの取り分からあてればいいだろう」角田はにべもなかった。 「なんで大根田の兄弟が報酬を受け取る必要があるんですか」俺は食い下がった。 「松永、なんだっていつも大根田にかみつくんだ。兄弟分なら少しは仲良くしろ」 「なんで兄貴は大根田の兄弟の肩ばかり持つんですか?」 「大根田は仕事をしていないんだ。そのことを少しは理解してやれ」  納得がいかなかった。取り立て、それは一歩間違えば恐喝であった。リスクはそれなりにあった。大根田が何をしたというのだ。  我慢がならなかった。それでも俺は我慢した。  やくざの世界の理不尽さを改めて思いしらされた。  俺はこの先も大根田の事を兄弟と呼ばなければならない。屈辱以外何物でもなかった。 7 叶道子から連絡があった。 「太郎を引き取ってくれる方が見つかりましたよ」 「ありがとう」俺はお礼の言葉をかけた。俺はヤクザであっても礼儀正しいのだ。 「散歩もしてなかったでしょう」 「そうみたいなんだ」 「犬は散歩が大好きなんですよ。散歩しないとストレスが溜まってしまいます」 「わかった、わかった。俺には犬の事はさっぱりわからん」 「茨城の知り合いの方が引き受けてくれるそうです」 「また何かあったら頼むよ」 「上野浩の事はごめんですからね」 「上野の事は念書を書いただろうが」 「とにかく引き取り手が見つかったので連絡いれた次第であります」  電話は切れた。  上野の兄弟の念書。あんなもの何の効力もなかった。それだというのにこの女はあの念書を信じて疑わずにいる。馬鹿だった。馬鹿に違いあるまい。  でも上野の兄弟の依頼がなければ叶みち子と知り合うことはなかった。  上野にはこの女と連絡を取っていることを話してはいない。  上野の兄弟は好きにしていいと言ったので、その言葉に甘えているだけだ。  上野とは兄弟分なのだから事のすべてを話したほうがいいのかもしれない。でもあえて口にすることはなかった。 8 角田が事務所に顔を見せなくなった。毎週金曜日が本部の当番日というのに電話の一本もない。 「松永、角田の部屋を見てこい」班長である石川が言った。 「わかりました。探しに行ってきます」 「見つけ次第連絡を入れろと伝えてこい」  班長と俺の言葉のやり取りを親分は黙って聞いていたが、「また、くすりにぼけたか」と言った。  俺は角田を探しに歩いた。競輪場通りの巨光マンションにまず行った。いなかった。  角田の借りてる部屋は八階。そこに角田はいなかった。4階に住んでいる大根田の部屋にも行った。 ――兄貴が当番にも顔を見せていないんだけど心覚えないか  大根田は知らないと言った。  平出に借りているマンションにも行った。そこにも角田はいなかった。  市内の姐さんが住んでいるマンションのある大曾にも行ったが、来ていないという。  きっとどこかのモーテルにでもふけこんでいるのであろう。それしか考えられなかった。  シャブを決めているのだ。シャブを打つと角田はいつもきまって事務所に顔を出さない。  それで何度指を落としたであろうか?   俺もたまには手を出していた。だが俺は注射ではなく炙りだった。  親分に疑われたこともある。そんな時親分は俺の顔をじっと見つめてくるのだが、俺は決して視線をそらさなかった。そらしたら俺の負けである。シャブを使用している事実を認めたことになってしまう。  角田から俺のもとに連絡があったのは一週間後であった。  事務所に顔を出し親分に言い訳をしていた。連絡も取れなかったのであるのだからシャブ以外になかった。それだというのに角田はシャブの使用を認めなかった。  泣きながら親分に言い訳をしていた。みっともなかった。なんで俺はこんな男の舎弟になってしまったのであろうか? 神崎ヒカルという山口組の三次団体の組員からけじめを取るためであった。ただそれだけで、角田という男に惚れたわけではなかった。  結局、角田は指を落とすことになった。  角田は何回指を落としたのであろう? 親分は全部くすりだと言っていたがそればかりではない。その事実を俺は知っている。  角田が右手の薬指を落とした日、俺は事務所から一歩も外に出なかった。出ることが許されなかった。その日は俺が当番だったからだ。  二十四時間の当番を終え、俺は角田のもとへと向かった  右手には包帯が巻いてある。  親分に対する文句ばかりをたれていた。  破門、絶縁になるよりかはよっぽどましである。俺にしてみればどうでもいいことだが。  俺の本音は角田なんて破門にでも絶縁にでもなってしまえばいいのに。  角田はいつ絶縁になっても不思議でなかった。  角田はまたヤクザの世界でしか生きることのできない人間でもあった。  商売というか才覚はあったと思う。  麻雀もそれなりに強かった。頭は悪くないのだ。  角田は俺にも大根田にも覚醒剤を使用している事実を隠していた。  俺も覚醒剤をあぶっている事実を隠してはいた。 ――覚醒剤には絶対手をだすんじゃねぞ 角田の口癖  俺は角田の事を兄貴と呼んではいたがそれは口先だけで尊敬も慕う気持ちもなかった。  いずれ角田はこの世界から去っていくであろう。そんな確信だけはあった。 9 晴れた秋晴れの夜のこと、角田は克美しげると連れ立って飲み歩いていた。  俺は紹介されるまで克美しげるの事を知らなかった。  NHK紅白歌合戦にも出場したことのある事実。  愛人を殺し十年刑務所に務めていたこと、覚醒剤でも服役の過去があること。  克美しげるがシャブを食ってることは一目瞭然であった。  そんな克美しげるを飲みに連れ歩く角田。  どこかで見たことがある。それが思い出せない。克美しげるの事は知らないはずなのに、どこかであった気がしてならない。  駅東口の飲み屋街。スナックに飲みに行った。  克美しげるは演歌歌手だったらしく、それはそれは歌がうまかった。  宇宙戦艦ヤマトを歌っていた。  店内で働いてるホステスは克美しげるの事を知らなかった。それもそのはずである。世代が違うのだ。  克美しげるは紳士だった。とても人を殺めたようには見えない。  克美しげるは角田に金を借りていた。また角田からシャブも引いていたらしい。  会話の途中にそれらしき話が出てくる。  角田は顔が広いのだ。  稲川会大前田一家二代目小田組の事務所にも連れていってもらったことがある。  組長は金子といい角田よりも一回り恰幅がよかった。歩くのにも苦労しそうな巨漢である。角田は金子組長の舎弟にもなっており、金子組長の事をあんちゃんと呼んでいた。  角田がなぜ一家違いである金子組長の舎弟になったのか知りたかった。  だがそんなことを聞くのはためらわれた。  俺の知ってる限り、角田の兄弟分は兄貴分にあたる金子組長。他には北海道の小林組の可児の兄貴。可児さんとは五分の兄弟分であった。  可児さんは角田の五分の兄弟分であるから俺からしてみれば兄貴分にあたる。  可児の兄貴は一度、自分のおふくろを連れて塩原温泉に遊びに来たことがある。  角田と可児の兄貴が兄弟分になったのは角田が前橋刑務所を務めた際、可児の兄貴、いや親分にあたいする小林喜八郎親分と一緒になり、その縁で兄弟盃を交わしたらしい。  兄弟分とはやはりその程度のものなのであろうか?  角田も小林親分の勧めもあって可児の兄貴と兄弟分になったのだ。誘いを断ることもできたはずだ。そこには自分の意志が存在したのであろうか?  俺の意志は存在しなかった。角田に言われ上野とも大根田とも兄弟分になった。  大根田に対しては兄弟分どころか嫌悪しかない  ヤクザの基本原理。子は親のために命を惜しんではならない。親分のために命を懸けるのだ  なら兄弟分の関係はどうなのであろうか?  佐藤、島根、和幸、上野に大根田。大根田に限っては論外であるが。  疑似家族。そう考えればいいのであろうか?   俺には妹と姉がいる。その姉妹のためなら命を投げ出す覚悟はできていると思う。  なら渡世の兄弟ならどうだ? 俺には命を投げ出すことなんてできない。  俺はヤクザ社会の事がまるきしわかっていないのかもしれない。  親分ならきっと俺の質問に明確な答えを出してくれるであろう。だがはばかられた。  俺は親分のために命を懸けることができるであろうか?  親分に惚れていたのは事実である。  看板にも惚れていた。稲川会岸本一家出川組。  ごろもカッコよい。だが岸本の親分は引退、除籍を余儀なくされていた。  今は稲川会の直参で稲川会出川組だった。 10  6月30日――。俺は水戸インターを出て笠間方面へと向かった。  自ら命を絶った兄貴、中宮隆治の命日であった。  ジャスコで菊の花を買い、その足で兄貴の眠っている墓に向かった。  横置きの香炉、線香に火をつけてそれを手で振る。息を吹きかけて消してはいけないそうだ。そのことも組に出入りするようになって知った。煙の立ち昇る線香を香炉の横に寝かした。 ――兄貴、兄弟分てなんなんだろう ――兄貴、俺は兄貴に惚れて舎弟になったんだよ ――兄貴、なんで自ら命を絶ってしまったんだよ ――兄貴、会いたいよ  本来であるなら兄貴のご冥福を祈らなければいけないのであろうか?  物言わぬ墓石。俺は言葉にして語りかけていた。 ――兄貴、また来るね。  墓石にお供えとして日本酒とセブンスターをおいた。  本来の教え、それはお供えをした際はその品々を持って帰らなければいけないらしい。  普段テレビなど観ないのであるが、事務所当番の日に放映してたテレビを目にして知った。  自分が無知であることを知るべきだ。そこからすべては始まる。  親分と共に出かけるようになって多くの事を学んだ。それは義理ごと葬儀のマナーを学ぶことができた。  中宮の兄貴に対しては礼儀もマナーもなかった。それでも兄貴は許してくれるであろう。中宮のためなら命を投げ出す覚悟はできていたと思う。  中宮の懲役を終えるのを待っていた順子姐さん。自らの身体を売り、メルセデスの新車を出所祝いにプレゼントしていた。  出川の親分は二代目川内組の若頭である平山満のおじきと兄弟分であった。また中宮の所属する極東会の組長は平山のおじきの舎弟でもあった。そんなことから中宮の兄貴とは義理場でよく顔を合わせた。その際組長の運転手を務めていて、乗ってくる車は順子姐さんがプレゼントした現行のメルセデスであった。  俺は車の事はよくわからないが、ホイールもタイヤも純正のものとは違いとにかくかっこよかった。  中宮とは福島刑務所の同じ工場で刑務作業に励んでいた。舎房も一緒であった。  惚れるのにそれほど時間を必要としなかった。 「舎弟にしてもらえませんか」俺は言った 「出所してからにしよう。その話は」 「何か問題でもあるんですか?」 「刑務所だとほかの目もあるだろう」  確かそんなやり取りだったと思う。  俺のほうが先に出所した。  ハガキを入れておいたので中宮の兄貴の出所したその日に電話がかかってきた。  俺から水戸まで出向くと言ったのに中宮の兄貴は自分から宇都宮まで足を運ぶと言ってきかなかった。 初めて娑婆で会うことができたのは三月ではなかろうか  偕楽園でたこ焼きを売っていた忙しい時に時間を作り会いに来てくれた。  順子姐さんも一緒だった。  姐さんは美しかった。中宮の兄貴にお似合いであった。  俺の事をまっちゃんと言ってかわいがってくれた。  今も中宮の兄貴の思い出を思い返す日がある。  中宮が亡くなってしまい実家にも足を運んだ。遺品として靴とスーツをもらった。それも刑務所に出たり入ったりしてるうちに紛失してしまった。あるのは思い出だけである。  思い出と言っても宇都宮で順子姐さんと共に会った思い出。それに一度だけ順子姐さんと同棲しているアパートに遊びに行ったことがある。  順子姐さんも犬を飼っていて、その犬に吠えられた思い出がある。それにしても俺はよく犬に吠えられる。  中宮の兄貴の代わりは誰もつとめることができない。あるのは中宮孝治がいないという事実だけである。 11  また角田が事務所当番に顔を見せなかった。  指を落としてからまだ三か月もたっていない。  覚醒剤とはそんなにやめられないものなのであろうか?  自分でもたまに遊ぶくせして馬鹿なことを思う。  覚醒剤は一度手を染めてしまったならそれで終わりなのである。  一度手をつけたら辞める意志があっても辞めたとは言えない。死ぬまでやめ続けなければいけないのだ。死んで初めてやめたと言える。  刑務所の中ではもう薬には手を出さないと言っておきながら辞めた人間を見たことがない。  俺は一生覚醒剤を辞めないと口にするものがいる。そんな人間は自分の弱さを悟ったのだ。そう断言するほうがどれほど気持ちがいいものか。 「角田の写真を探してこい」親分は言った。 「写真ですか? 兄貴ではなくて、兄貴の写真を探してくるのですか?」 「絶縁状に載せる写真だ」  わかりましたと俺は親分に言った。  急いで角田の住む巨光マンションに向かった。。  角田は何事もなかったかのように平然とした顔をしている。 「兄貴、親分が絶縁状を出すと言ってますよ」 「今回ばかりは仕方ねえな」  角田はヤクザを辞めて食べていけるのであろうか? 「事務所に顔を出したほうがいいですよ」  角田は俺の話を聞いているのかいないのか、どこかに電話をかけた ――絶縁状が出るらしいです ――はい。そうみたいですね ――いやそんなつもりはなかったんですけど走ってしまいました  いったい誰と話しているのであろうか? ――ご面倒をかけてすいません。どうかよろしくお願いします。 「誰と話をしてたんですか?」 「小林親分だよ。知ってるだろう可児の兄弟のところの」 「何をお願いしたんですか」 「絶縁を回避しようと思ってな」 「それで小林会長はなんて言ってくれたんですか」 「宇都宮まで足を運んでくれるそうだ」  小林喜八郎さんは有名な親分である。小林会長が間に入ってくれれば話はもしかしたら治まるかもしれない。  俺にはどっちでもよかった。角田が絶縁になろうがなるまいが。そんなことちっとも関係なかった。  舎弟としては失格であった。  角田の絶縁を回避しなければならない。そう思うのが、またそのために奔走するのが舎弟の務めだ。 「親分に俺はなんて言えばいいですか?」 「写真はなかったと言えばいい話だろう。俺と会った事は話してもいい。喜八郎親分からもう電話は言ってるであろうから」 「なんか事務所に行きづらいですね」 「事務所に顔を見せると言っておいてくれ」 「兄貴、絶縁かもしれないんですよ。こんなこと本来であるなら言うべきことでないかもしれませんが、自分で電話してみたらどうです」  角田と小林会長は前橋刑務所で一緒だったのは知っている。それでもそんな簡単にことを頼めるものであろうか?  指を詰めてから三か月もたっていないのに再び覚醒剤に手を染めてしまった角田。  小林の親分が間に入って絶縁を回避しようとしている。なんだかカッコ悪かった。それでも俺はそんな角田の舎弟なのだ。舎弟としてできることを努めなければならない。  角田の言い分を聞いたがそれは言い訳でしかなかった。  親分に角田と会ってきたことを伝えた。 「写真はありませんでした。兄貴とは会って話をしてきました」どこか日本語がおかしいような気がしてならない 「今さっき、小林の親分から連絡があった。あいつも卑怯な男だな」 「絶縁になるんでしょうか?」 「北海道からわざわざ宇都宮に来るんだ、小林の親分の顔も立てなきゃいけないだろう」 「はい・・・・・・」 「それにしても情けない野郎だ、角田って男は」 12  なんでそこまでする必要がる。角田はヤクザでしか生きられない男だからか。  角田の兄弟分は俺の知る限り可児の兄貴しか知らない。  小林喜八郎親分がどれほど名が知られてるかは知らないが携帯のネットで探すとすぐに名前が出てきた。北海道苫小牧市に本部があるらしい。  日光東照宮を見物した日が思い出される。  可児の兄貴のおふくろさんを背負って東照宮へと続く階段をのぼった。それに続く可児の兄貴と姐さん。 ――ありがとうな  可児の兄貴の兄貴がお礼の言葉をのべた。  小林の親分さんが来るなら可児の兄貴も来ることであろう。  俺は可児の兄貴の事が好きだった。理由はわからない。  可児の兄貴も長い間、懲役に務めていたらしい。それは角田との話の流れで分かった。  可児の兄貴は角田の事を兄弟と呼んでいたが、実際のところどう思っていたのかはわからない。  兄弟分とは何なんであろうか?  角田は絶縁を回避するため小林の親分に電話をかけたのだと思う。可児の兄貴にはその前に電話を掛けたのであろうか? どこかで筋道を外してはいないであろうか?  今回、仮に絶縁を回避できたとしてもまた再び覚醒剤に手を出してしまうのではなかろうか?  なにせ三か月で同じ過ちを二回も繰り返している。  覚醒剤を辞められるのであろうか? それは俺にも言えた。  俺は適当にごまかしてはいたが、覚醒剤を断ち切ることができない。  覚醒剤が原因で渡世を去ることになった人間を何人も知っていた。俺自身覚醒剤から足を洗うことができないのだ。  出川の親分は小林の親分の顔を立ててくれるかもしれない。もしそうだとしても何かしらのけじめは必要である。  角田はバルタン星人のようになってしまうのではなかろうか? 笑えた。自分の兄貴の事なのに笑ってしまう自分が薄情者のように思えてきた。  角田は小林の親分、それに同行してくる可児の兄貴が宇都宮に来るまで事務所には顔を出すことはないであろう。  俺は角田の事をどう思っているのであろうか? 惚れた兄貴ではない。  本音を話せば角田が破門になろうが絶縁になろうが知っちゃこっちゃなかった。  もしかしたら角田の絶縁を望んでいたとしても噓ではあるまい。  俺の中では兄貴と慕う角田の役目は終わっていた。  角田を通して出川の親分と出会うことが合出来た。 ――組員にしてください。そう親分にいうこともできたであろう。いや俺にはできなかった。  俺がヤクザになったのは神崎ヒカルという山口組三次団体の組員のせいでもあった。  角田のことは何とも思っていなかったが、出川の親分には惚れてしまった。  やくざの世界もそれほど悪くはないと思った。 13  小林の親分が宇都宮にやってきた。だが俺は小林喜八郎親分には会うことができなかった。  可児の兄貴から電話があった。 ――兄弟は? 家事の兄貴が言った。 ――多分部屋にいると思いますけど。 ――何回電話かけても出ないんだ。 ――自分も電話かけて部屋まで見に行ってみます。 ――悪いけどそうしてくれるか。 ――わかりました。ご苦労様です。電話が切れるのを待つ。  角田に電話をかけた。繋がらない。  いやな予感がした。  巨光マンションの部屋を見に行く。  ノックした。返事はない。ドアノブを回してみると鍵はかけられていないようであった。  部屋にあにきーと言いながら歩を進める。誰もいないようである。  角田が借りてる部屋をすべて回った。  どこにも角田はいなかった。  角田はまたシャブに走ってしまったらしい。  角田は小林の親分の顔までつぶしてしまったのだ。  角田の絶縁を回避するため北海道からわざわざ遠路はるばる足を運んでくれたというのに。  いったい何を考えているのだ。正直、頭にきた。  今感じている怒りは角田に対し言葉にできるかもしれない。  舎弟と言ったって兄貴に意見をぶつけることはできる。  普段は唯々諾々と兄貴に従っているだけだが、俺の怒りは頂点に達していた。今なら兄貴分である角田に対し文句の一つもいう事ができる。  出川の親分と小林の親分はどこであったのであろうか? 多分事務所ではない。事務所の前にある東日本ホテルのロビーかどこかであろう。  俺は可児の兄貴に電話をかけた。 ――ご苦労様です。松永です。すいません兄貴とは連絡が取れません。探してみたんですけど見つからないんです。本当に申し訳ありません 何で俺が謝らなくてはいけないんだ。舎弟だからか?   可児の兄貴はしばらく黙っていたが、ひとことわかったと言った。  小林の親分は帰路に就いた。  角田のヤクザ人生の終焉であった。  それにしても許せない。自らが覚醒剤を使用して事務所に顔を出すことができず、絶縁になるのを防ごうと北海道から小林の親分が出向いてくれたのに、また覚醒剤に手を出すとは。  俺は覚醒剤を使用しても炙りだから理性が働くのか?  俺は間違っても間に入ってくれる人の顔をつぶさない。  角田はいったい何を考えているのだ。おそらく何も考えてはいないのであろう。  角田の事が許せなかった。もう電話がかかってきても出るのは辞めにしよう  角田の絶縁は避けることのできない事実なのだ。 14  角田の絶縁状が回った。宇都宮所払いの絶縁である。  絶縁であるからもちろん赤字である。顔写真も貼ってある。  写真は俺が探し出してきたものである。  その後俺から角田に電話することはなかった。  絶縁とはヤクザ社会で一番重い処分である  角田はヤクザのほかに何ができるというのであろうか? 俺が心配する事でもあるまい。  顔は広かった。若い衆もそれなりにいた。  覚醒剤ですべてを失ったのだ。  絶縁。それはヤクザ社会からの永久追放であった。  もう復帰することはないであろう。宇都宮所払いまでついている。所払いというのは指定された土地をいうのだ。  角田はもう宇都宮に住むことさえ許されない。  好きなだけ覚醒剤を打てばいい。  角田の絶縁状を見ても何の感慨もなかった。そもそも惚れて舎弟になったわけではないのだ。  角田のいいところもあった。親分の金貸しをしていて集金の際、お金が足りないこともあった。そんな時、きまって角田は助けてくれた。それを恩義に感じなかったわけではない。  高いレートの麻雀の代打ちもさせてくれた。俺は雀荘で働いてたこともあり麻雀はそこそこ強かった。と言っても麻雀を打つ人間はきまって自分が強いと思っている。  俺は負けなかった。一局清算の麻雀。ものの五分もしないうちに何十万円の金が動く。  角田がよく打っていたのは三人麻雀。闇金の社長や不動産屋の社長。  角田もそこそこ強かったが、それでも俺に代打ちを頼み、その都度十万円の小遣いをくれた。 闇金の社長は麻雀が下手であったが大好きでもあった。下手の横好きであった。  本部に出入りしている他の組長連中もへたくそばかりであった。  俺はどれだけ小遣いを稼がせてもらったかわからない。  角田が絶縁となればもうその場に出向くことはない。それぐらいの礼儀はわきまえている。  角田の絶縁状が出されたことにより、その噂はすぐに広まった。でもその理由を聞いてくるものは誰一人としていなかった。  角田はヤクザでありながらポン中だったのだ。周知の知る事実。  角田が絶縁となり俺は出川組の直系となった。出世ではない。でも二次団体の直参というのはそれなりに気分のいいものであった。それもまた長くは続かないのであるが。  角田が絶縁になったことを上野の兄弟には伝えた。上野は堅気でトラックの運転手をしてるのだ。 ――角田が絶縁になったよ 兄貴とは呼ばなかった ――なんでまた ――兄弟だってうすうすは感づいているだろう ――覚醒剤か ――大当たり 俺は笑って答えたと思う。 ――兄弟はどうするんだ? ――俺は親分の直参で組に残る。  角田が絶縁になった時親分にどうするのかと聞かれた。おまえは角田の舎弟なのだからやめるならやめるで好きにしてもいいと言われたのだ。 ――自分は組に残りたいです。親分の下で侠を磨かせてください。 そう言葉にした。  親分はわかったと、ひとこと言って俺の願い出を気持ちよく引き受けてくれ  大根田の事は上野の兄弟も面白く思っていなかった。  角田は俺と大根田とを兄弟分にしたのだから上野の兄弟とも縁組させるかと思っていたがそうではなかった。まあそんなことを言われたら上野の兄弟もきっと困ってしまったであろうな。  大根田は女の稼ぎで生活しているひも男であった。最低である。  俺もかつては、福島県いわき市で明子という女のひもをしてたから人のことをとやかく言えないが最低の男であった。  日奈子はけっしていい女ではなかった。今日は聖水プレイをさせられたとかわけのわからないことを言っていたのが思い出される。日奈子はMか? 15  角田が絶縁になって困ったことが起きた。小遣いが稼げないのだ。  日光で金貸しをしてる途中、週に二回ばかりであったが麻雀は欠かすことがなかった。  月にしたら百万円近い収入があった。それが失われたのだ。これは痛い。  金貸しは自転車操業であった。  返してもらってない客の金利及び元金を自分で埋めて返済していた。親分の喜ぶ顔が見たいばかりに。  麻雀でのあがりを失った今、俺は借金に駆けずり回ることになる  金策に走り回る日々。同じ稼業人からも十日で二割の金を借りた。  にっちもさっちもいかなくなってしまった。  はてどうしたものであろうかと考えた。  いい案が思いついた。大根田から金を引っ張ろう。それも借りるのではなく恐喝だ。  大根田なんかに借金を申し込むのは俺のプライドが許さない。  思ったが吉日。そう日光の事務所で決意を固めたとき、携帯が鳴った。上野の兄弟からの電話であった。時刻は昼過ぎであった。 ――どうした兄弟 俺は電話に出るなり言った。 ――今どこにいるんだい? ――日光の事務所にいるよ ――今から行ってもいいかい? ――どれぐらい時間かかる? ――いや、もう事務所の下にいる これには俺も驚いた。日光の事務所まで兄弟が来ているというのだ。なんで日光の事務所までくる必要があったのであろうか? 疑問しかわかなかった。 ――事務所は四〇五号室。鍵開けておくからチャイムはいらないよ  それから三分もせずに上野は部屋を訪れてきた。  部屋に入るなり物色している。 「何があったんだよ一体。日光まで来るなんて。今じゃなきゃいけなかったのか」  兄弟ごめんそう言って上野は俺に土下座して頭を下げている。 「おいおい、待ってくれよ。何があったか説明をしてくれ」 「真由美がふけてしまったんだ」真由美というのは上野がおっぱいパブでひっかけた女だ。上野の兄弟と同棲していた。 「なんでどけ座して頭を下げる必要があるんだ」うすうす感づいてはいたがあえて聞いた。 「兄弟が匿っているかと思って、本当にすまない。許してくれこの通りだ」  俺はあきれるしかなかった。  俺と上野は気が合って兄弟分になった訳ではなかった。角田に言われて兄弟分になっただけだ。  だが、いざ兄弟分になってみるとそれなりに気もあったしよく飲みにも出かけた。上野のおごりの時もあれば俺がおごるときもあった。  飲み屋でそれはキャバクラが主であったが働いてる女と電話番号の交換もした。  真由美はおっぱぶである越後屋で働いていた女であるが、俺は電話番号すら知らない。  上野が住んでいるアパートには何回か遊びに行ったことがある。  上野は女をひっかけるのはうまかったが、そのあとがいけなかった。俺が遊びに行っても女をうなり飛ばしてばかりいた。真由美もその犠牲者の一人である。  上野はとっかえひっかえ女を変える。  真由美にはこの調子だと本気で惚れてたらしい。  だが、なぜ俺を疑ったのであろうか?  俺は出川の親分から教えを受けていた。  服役中の男の女房に電話をかけてはいけない。もし電話がかかってきてやむをえない事情があって女に会いに行く場合は一対一であってはいけない。男二人で会いに行けという教え。  自分で言うのもおかしいが俺はそこら辺のところはしっかりしてたと思う。俗に言う貞操観念というやつだ。  上野に疑われて、俺は頭に来るよりも先に悲しかった。角田に言われて兄弟分になったとはいえ、大根田とは違い上野にはだいぶ心を許していたつもりである。兄弟と呼ぶのにもそんなに抵抗はなかった。 「頭を上げてくれよ兄弟」俺は言った。「男がそんな簡単に頭を下げるもんじゃねえ」  上野の兄弟は顔を上げた。 「ふけちまったものは仕方がねえんじゃねえのか、来るもの拒まず去る者は追わずという言葉があるくらいだから」 「真由美の野郎、俺が買ってやった車ごといなくなりやがって」  上野の兄弟の言葉にはやはり違和感がある。  男がてめえの器量で買ってやった車だろう。そんな事、根に思ってどうすんだ。さすがに言葉にして口にすることはなかったが。  兄弟分ではあるものの上野と俺はやはりどこか別な人種のような気がしてきた。 「兄弟許してくれよな」上野はしつこかった。 「もう、なかったことにしょう。この話は」  俺は一方的に話を終わらせた。 16 「兄弟ところで金いくらか回せないかな」 「真由美に車を買ってやっちまったから今はねえんだ」また話が振り出しに戻る気がしたのでやめにした。  兄弟分て何なのであろうか?  角田は兄貴分であった。俺とは兄弟分というのであろう。たぶん。 やくざの世界の事がまるで分っていない俺。まあいいか。そんなことよりお金づくりに奔走しなければならない。  大根田を恐喝するのだ。  そのことは上野の兄弟には話していない。うまくいったら折半にされてしまっては困る。  俺には金が必要なのだ。親分に任された仕事、それは金貸しであったが使い込んでしまっている事実。  今までは麻雀の稼ぎ、儲けで埋め合わせができたが、角田が絶縁になり俺の副収入は減った。  副収入などではない。麻雀のあがりは俺の収入であったのだ。だからといって角田が付き合っていた人間と卓を囲むほど俺は人の道に外れた行動はしない。  上野が日光に足を運んだ夜、大根田を宇都宮以内のココスに呼び出した。  あえて五分ほど遅れてファミレスに行った。  駐車場には大根田の車が停めてあった。  しゃこたんのセドリック。マフラーが飛び出している。いつ見てもダサい車だ。センスを疑う。という俺もTOYOTAのターセルというサラリーマンの乗る営業車だからあまり人の事は言えない。だが親分に買ってもらったという矜持がある。  日本全国探してもターセルを運転している極道なんていないであろうな?  青森の田舎のほうに行けばいるかもしれない。そんなことないか  店に入ると奥のテーブルに大根田は座っていた。それも上座に。頭にきた。なんで大根田が背もたれのあるソファーに腰を掛けているのだ。だが口にはしなかった。  四つ足のテーブルを引いて腰を下ろした。 「兄弟、話ってなんだい?わざわざファミレスに呼び出したりして」わざわざ?カチンときた。 「兄弟っていうのやめろや!俺とオマエとは兄弟でもなんでもねえ」 「どうしたんだよ、いきなり」 「返事しろやおい!耳はあるんだろう」大根田の顔色がすぐに変わるのがわかった。 「わかった。わかったよ」 「わかったよじゃねえ、わかりましただ」大根田は言葉を失ったように黙り込む。 「おまえいつだったか俺が別れ話の仲介に入った時、俺なら百万取れるとかわけのわからぬことほざいてたよな」大根田は下を向いてしまった。 「あの時、俺は五十万を取り立てた。残りの五十万お前が払ってくれよ」完全なやからだった。自分の言ってることは支離滅裂もいいところだ。だがそれを突き通した。 「金が払えないんじゃ指つめろや!それに兄貴が絶縁になったからオマエとは兄弟分でも何でもない。それを忘れるな」  大根田は下を向いて黙ったままだ。一言も言葉を発しない。  俺は大根田の指なんて要らなかった。目的は五十万円だけだ。  どれほどの時間がたったであろうか。大根田が口を開いた。 「わかりました。指つめます」おいおい待てよお前の指なんて欲しくはないんだよ。一銭のとくにもなりゃしない。俺が欲しいのは五十万円。さっさと払えこら。  俺は瞬時に考えた。そして大根田の言葉を耳にしてすぐさま言い返すことができたと思う。 「小指なんていらねえよ、本気で悪いと思っているんなら足の親指つめろや」  また大根田は黙ったしまった。  沈黙が続いた。やがて大根田は言った。 「足の親指は詰めることができません。少し電話してきてもいいですか」大根田との会話は先生と生徒のようなものに変わった。心地よかった。  電話をかけに行ったのは日奈子にかけに行ったのであろう。日奈子なら金を持っているに違いない。なんていったってSM嬢なのだから。  大根田が戻ってきた。 「松永さんの希望はわかりました。明日まで待ってもらえますか」  大根田が俺の事を松永さんと呼んでいる。納得がいった。  五十万は大金ではないが、日奈子が納得したのであるならば今日中に金をおろせばいいのに。ATMはどこにでもコンビニに行けば設置してある。  まあ、この辺で良しとしておこう。明日になれば金が入るのだ。心のうちは喜びの舞を踊っていた。 「明日何時でもいい。金ができ次第連絡くれ」 「わかりました。失礼します」そう言って伝票を取り、レジに向かおうとしたので、俺はその伝票を奪い返した。 「ここはいい。俺が払っておく」 「ありがとうございます」完全なしもべだった。  大根田がMで俺がS。俺はSMの世界は知らないが日奈子の存在がそうさせてのであろう。  大根田とも兄弟分の縁を断ち切ることができたし、その日はホンマ気分がよかった。  大根田の車が駐車場で爆音をあげている。手を振ってやりたくなってくる。そこは抑えた。 17  俺は大根田より先に駐車場を出た。  本部へとターセルを走らせる。  驚いたことに本部の前にパトカーが停まっていた。なんかあったのであろうか?  俺は何事もなかったかのようにターセルを駐車場にバックで入れた。  車から降りるなり警官に松永さんかと聞かれた。俺はもちろんうなづいた。 「ちょっと署までご同行願えますか」 「俺が何をしたというんだ」その時覚醒剤は摂取していなかったので俺は強気に出た。 「今ここで話してくれよ!俺は忙しいんだ」 「ですから署に行って詳しくお話ししますから」なんだか悪い予感がしてきた。  パトカーの後部座席に乗り込んだ。悪い予感しかない。 宇都宮中央署の取調室。 「大根田勇を知ってるな」やはり予感は的中した。 「はい。友達です」俺は噓をついた。 「大根田勇に金銭を要求してないか」 「何ですかその話は」俺はとぼけて見せた 「大根田は恐喝まがいの事を要求されたと言っている」 「まったく意味が分かりません」警察に噓が通用するわけがあるまい。 「事の内容はよくわからないが阿波日奈子という大根田がお付き合いをしてる女性から連絡があり今の現状を何とかしてもらいたいということだ」  日奈子だ日奈子が警察に電話したのだ。あの時大根田はちょっと電話させてくださいと言って日奈子に電話をかけた。その際、事のすべてを話したのだきっと。 「まだ、正式な被害届は出ていないから安心しろ」  あんしん? なんだか無性に腹が立ってきた。 「署に来てもらったのはそ事実を確認する為でもあるが、それだけではない。この紙に署名捺印してくれるか?指印でかまわないから」  俺はその用紙を見た。  内容は大根田勇の半径200メートル以内に入ってはいけないという内容のものであった。  俺は怒りで頭が燃えていたが、少し冷静に考える能力も持ち合わせていた。  一歩間違えば恐喝でパクられていた。逮捕されなかったのがラッキーだったのか? 尿の提出も求められなかった。  俺は仕方なくその書類にサインして、右手の人差し指で指印を押した。  俺の事を連行したくせに帰りは歩きで帰った。  帰る際、大根田の住む巨光マンションのすぐそばを通る。警察はわかっているのであろうか?  それにしても大根田の事を思い返せば頭に来ることばかりである。借金を申し込んで踏み倒してやればよかったか、日奈子は金を持っているに違いないのだから。いやいや大根田に借金を申し込むのには頭を下げなければならない。それだけはごめんだった。でもよく考えれば頭を下げなくてもお金を引っ張る方法はいくらでもあったかもしれない。  今となっては後の祭りである。 18 翌朝、俺はターセルを競輪場通りから日光街道へと向かうべき道を走らせていた。  大根田の半径二百メートル以内に入ってはいけないというのであれば俺は、この道さえ通っていけないことになる。そんなことを考えて走っていたらあろうことかどこからともなく爆音が聞こえてきた。信号機を右折する車がある。大根田であった。  俺の怒りの感情がふつふつと湧き出てくる。  面と向かって一言浴びせかけてやろうかと思ったがやめにした。  法の前では無力でしかないのだ。  文句をたれることはできる。だが、今度は半径200メートルではなく恐喝で逮捕されるかもしれない。それだけはごめんだった。  俺のヤクザ人生の中で後悔があるとするならば、その一つは大根田勇という男と兄弟分になったことであろう。
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