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「このは!今までどこに行ってたの!もしかして――」
「お母さん!門限までには帰るから!待っててー!」
呆気に取られたお母さんをよそに、フェンスに掛けられていたボロボロのビニール傘を手に取っておばあさんの元へと走って戻った。ボロ屋敷の前で変なことをする娘を心配そうに眺めていたお母さんも、諦めたのかしばらくして家に戻っていった。後でちゃんと説明しないと怒られちゃうかな。
「でもいっか」
私は、少し先の不安よりも今の楽しさを取った。だってこんなに音が楽しかったことなんて無いんだもん。耳に入る音、零れる音、弾ける音、跳ねる音。全ての音が私と遊んでくれる。そんな様々な音に包まれながら走るこの道はすごく気持ちがよくて、スキップなんかじゃ物足りないくらいで、徐々にスピードは上がって駆け足になっていく。耳元で鳴るどんな雨音も、ひとつ残らず楽しさとなって私の中へと吸収されていった。
「おばあさん!持ってきたよー!」
「いいねえ、いい傘だ。私は傘も好きなんだよ。特にこういうコンビニ傘はね」
ビニール傘のことをコンビニ傘と呼ぶおばあさんのその声がどこか心地よく聞こえた。
「開いてごらん」
バリバリ、と引っ付いたビニールの音がして不格好な傘が姿を現した。それは、誰かに裂かれたのか、自然と裂けたのか、ビニールの部分がボロボロになっている酷い有様の傘だった。
「こりゃ酷いね」
「イタズラ、かな」
「でも――」
おばあさんはそう言うと集音器を傘に当てた。
「――こんなにいい音、久しぶりに聞いたよ。あんた、本当にいい傘だね。えらいえらい」
「わ、私も!」
おばあさんの真似をして音を採っていく。不思議だ。こんなにボロボロで、誰かに悪意を向けられたはずの傘。それなのに、こんなにいい音がする。こんなに優しく私たちに語りかけてくれる。
「……ありがとうね」
私はボロボロになった傘に語りかけてから、傘を閉じた。おばあさんもそれを見て、傘をひと撫でして玄関先に立てかけた。よく見れば玄関先には無数の傘がたくさん立てかけてあって、どれもボロボロだけれど何故か誇らしそうだった。
「そっか」
だからこの家はこんなにものが多いんだ。
そう納得した私は、この家に入ったときのあたたかさの正体を知った。すべてきっと、おばあさんの優しさだったんだ。
嬉しくなった私は、おばあさんの元へ駆け寄って今さっき採った小さな雨音を聞かせに向かった。
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