第1章

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第1章

 ある暴風雨の夜。  M博士は長年身を置く郊外の某大学病院別館の研究棟に、彼の屋敷の庭師に借りたピックアップトラックを走らせていた。道なりに続く街路樹は強風に今にもなぎ倒されそうに大きく揺らいで、視界を遮る横殴りの雨はフロントガラスを割らんばかりに叩きつけている。  時折り不連続な稲妻の光が、博士の嬉々とした興奮と偏執病的に狂気をはらんだブルーグレイの瞳を、運転席の闇の中にギラリと不気味に浮かび上がらせた。  曲がりくねった道の先の高台にある研究棟の裏門に、大きく水飛沫を跳ね飛ばして車を滑り込ませた博士は、すぐにフードが付いた黒色のレインコートで全身をすっぽり包み、大蝙蝠のように闇に紛れた。そして豪雨の中を通用口に走り、鍵を差し込む間ももどかしくドアを開けると、右手屋上への階段を五十六歳という年齢をものともせずに駆け上がった。  研究棟の建物とその周辺一帯はつい数分前に大きな落雷の音とともに電力を落としていた。どこかで電柱が敢え無くなぎ倒されたか、落雷にやられた樹木が電線にもたれてショートさせたか。  一瞬で暗闇となった地下ニ階にある機械室は停電後すぐに、非常用自家発電装置が小刻みに震えて起動し始めた。怪鳥の悲鳴のごときモーター音は、外の暴風雨の音に完全にかき消されている。  博士が通用口から建物の中に駆け込んだ時にはすでに建物の主要部分には電灯が灯っていたが、自家発電の頼りない電力でかろうじて闇の中に朧げに浮かんだ研究棟は、外部からはますます孤独に老いて見えた。  それに反しM博士はここに来て実年齢よりも十歳ほど若返ったように機敏に動いた。彼は瞬時にエレベーターに乗るのは危険だと判断し階段を上る方を選んだが、ほとばしるアドレナリンの成せる技か、さほど息を上げることなく最上階の七階踊り場にたどり着き、今早る気持ちを整えている。
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