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彼女は何が起きているのかさっぱり解っていなかった。
そりゃそうだろう。
これは“ナギたん”の問題なのだ。
けれど、これは彼女も理解すべきものだった。
唇が切れて、鼻から血が噴き出している水飼を起こしながら、渚を落ち着かせる。
「渚、彼女が取った行動は“最善”だった。そうでしょう?」
見たことのない彼の裏の姿を見て、あのクソガキちゃんもかなり応えているようだった。
完全に萎縮し、怯えきっている。
あの“優しいだけ”の渚を見ていたなら当然の反応よね。
笑える。
これだから女はムカつく。
綺麗なところばかり見て、都合のいいように解釈する。
現実はそんな甘くないことを、彼女も思い知ることでしょう。
人間、そんな綺麗な塊なわけないよって。
どれだけ残酷で、冷淡で、非道な世界かを思い知ることになる。
「申し訳ありませんでした、若」
ポタポタと垂れている鼻血を拭い、静かに佇まいを直し、礼儀作法として学んだ土下座を彼にしてみせた。
顔を上げた彼の、酷く歪んだ“笑顔”で、渚は言葉を無くしていたのだった。
水飼が若頭として活躍していたが、すぐ補佐落ちになったのには訳があった。
水飼は軽度の発達障害を患っていて、10代の頃からホストクラブで働いていたが、どうも人と相慣れないことに気が付いたのだ。
好みの姫が来ると、決まって彼は諍いが起きるよう仕向けた。
彼曰く、人が怒っている姿を見るのが好きなのだという。
特に、冷静で物怖じしない人が、キレる瞬間見たさに事を起こすのだ。
言葉巧みに人を誘導させ、操り、心をクラッシュさせる。それが彼の特技だ。
若頭として彼ほど適任な者はいない。
それなのに、渚が若頭になるかもしれないという話を聞いた水飼は、すぐに補佐落ちした。
最初は理由こそわからなかったが、今、こうしてその理由が分かった気がする。
「渚さんは、これで終わりにするなんて、お優しい若なのですね」
数発殴られて恍惚としている彼の精神状態は、もはや異常者のように見えた。
ナギたんが怒っている理由すら解っていない彼女に、この複雑な環境を理解出来るはずもない。
「権田っ!」
「はいっ」
目配せをすると、大きな体を揺らして恐怖に震え上がっている如月乙葉を抱き上げ、その部屋から出た。
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