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1ヶ月後、再びイブは信の家を訪ねた。
今回は作詞・作曲を教えてもらう為だ。
「まずは和声法、対位法をしっかりやる。これは絶対飛ばしたらダメ。アナリーゼ(注:楽曲分析のこと)の為にも必要。ここを逃げてたら、いつまで経っても、どれだけ作っても、素人向けの共感ソングレベルを越えられないままになる。で、和声・対位がしっかり出来たら、見よう見まねでいいから、とりあえず作ってみればいいよ。数をこなしていくうちに、自然と自分の型が出来るから」
信はそう言うと、ブラックのアイスコーヒーを1口飲んだ。
「作詞本、作曲本は読まなくていいんですか?」
「読むなら、いくつか作ってからでいいよ。著者にあったやり方が自分にも合うとは限らないし、最初にHow to本を読んで先入観を持っちゃうと、既存の枠を越える発想が出来なくなるから」
「慣れてきたらどうすればいいんですか?」
「質の高い曲を研究したり知識を増やしたりしながら、1曲1曲工夫して作って行けばいいよ」
「コツはありますか?」
「無い。地道にやれる事を積み重ねて行くだけ。ただ、いくら努力してもダメな奴はダメだからね。しばらく続けてみて、向いてないなと思ったら見切りを付けるのも1つの選択肢だよ」
「そうですね。作曲面で意識してやってる事ってありますか?」
「んー、楽譜を綺麗に書く事には拘ってるよ」
「信さんの自筆譜、そのままコピーして出版出来るぐらい丁寧ですよね」
「PCの楽譜作成ソフトを使ったりしないで、手間をかけて丁寧に手書きすると、構造や楽曲のエッセンスが脳に深く刻まれて作曲能力が上がるんだよね。バッハの作曲レベルの高さも、いい作品を沢山写譜した事が大きいと思う」
「なるほど。他に作曲面でアドバイスとかありますか?」
「あとは、古典音律と倍音の知識を早い段階で身に付ける事と、DTM(注:デスクトップ・ミュージックの略。『打ち込み』のこと)に頼らずに作曲する事かな」
「それは何でですか?」
「DTMも楽器も、機械モノは美しい高次倍音が出ないから、音楽の本質を体感出来ないんだ。古典音律に対応していないものは特にね。音楽の美しさっていうのは、倍音の扱い方で決まるんだ。それに、楽器によって音色、音量、倍音の出方が違うから、それも考慮して作曲しなきゃいけないのに、DTMでどの楽器も同じ基準で考えて作ってたら、本物の音楽を作る能力は付かない」
「へぇー、そうなんですね。信さんはどういう流れで作詞・作曲を始めたんですか?」
「作曲は、小1の時に、音楽の教科書の旋律に声部を加えてみたのがきっかけだったよ」
「小1で!? 早いですね」
「でも、サン=サーンスは3歳、モーツァルトは5歳で作曲を始めたよ。同じ5歳でも、俺のはちょっとした和声・対位の練習みたいなもんだし」
「その後は?」
「作詞・作曲ではないけど、小学校の3、4年から6年にかけて漫画描いてたよ」
「漫画ですか」
「そう。少年誌を真似て雑誌を作ったんだ。作風の違5、6作品を同時に連載して、毎号、表紙、巻頭カラー、掲載順を変えたりして。雑誌と言っても、ホッチキスで留めただけなんだけどね。絵心も無いし。プロットやストーリーを作る作業が好きだったんだろうね」
「小説も読んだりしてたんですか?」
「うん。小学生の時だと、ミステリー全般と田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』が強く記憶に残ってる。銀英伝は登場人物も多くて内容も大人向けだから、解らない漢字や言葉を調べながら読んでたよ」
「へぇー。だから信さんの小説と曲にはトリックとか仕掛けが多いんですね」
「そうかもね。その後も、ミステリーはよく読んでたよ。叙述トリックが特に好きだったから、自分で小説を書くようになってからも、叙述トリックよく使ってるし。純愛物とか人情物が多かったら、もっと素直な作風になって、俺ももっと朝日が似合う爽やかな人になってたのにな」
「ですね。信さんが早朝にスーツで外歩いてても、サラリーマンよりは仕事上がりのホストって感じですもんね。アハハ……痛だっ!」
「何か言ったか?」
信は両手で掴んだイブの両頬を広げ、捻りながら上下に動かした。
「あだだだだ……ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。信さんは爽やかです」
「そっか」
信はイブの頬から手を離した。
「うー、痛いよー」
イブは自分の頬を擦り、涙を拭った。
信は、残りが少なく、氷が溶けて薄くなったイブのオレンジジュースを新しいものに入れ換え、グラスをテーブルのコースターの上に置いた。
「ありがとうございます。そうだ、小説の事なんですけど、信さんの文体ってスッキリしてますよね」
「うん、意識して簡潔な文章にしてる。背景描写もワザと少なくしてるし。そこで表現が削られる分は、音楽関連、持ち物、飲み物、食べ物とか、コダワリのある部分を詳しく書く事で、その人物の心理状態を表して補ってる。作曲もだけど、コンパクトにまとめた中に、内容を凝縮させたいんだよね」
「どうすればスッキリした文章になるんですか?」
「主語+動詞を軸にして、形容詞と副詞を減らせばなるよ」
「背景とか雰囲気の描写はあまり好きじゃないんですか?」
「うん」
「それは何か理由があるんですか?」
「うん。解釈が限定されるのが嫌なんだよね」
「どういう意味ですか?」
「背景や雰囲気の描写が増えるに連れて、読者が想像する余地が減るんだ。俺は著者が与える世界観をありがたがって受け取るんじゃなくて、読者が自分の知性と感性を使って隙間を考えて行く作品の方がいいと思ってる。美しい文体に酔ったりとか、受け身でいられる方が読者は楽だけど、それだと読者の感性は磨かれない。俺は感性が磨かれる作品、賢くなれる作品、実用的な作品を提供したい。俺がリドル・ストーリー(注:結末を読者に委ねる物語のこと)を書いたりするのも、自分の頭で色々考えてもらいたいからだし」
「そんな深い考えがあったんですね」
「それに、やたらと文章を飾る人は、プロットやアイデアの質が低い事が多いんだよね。レトリックで誤魔化してるだけで。言葉や表現の引き出しが多い事は、基本的にはいい事なんだけどね」
「オリジナル曲の作詞・作曲を始めたのはいつからなんですか?」
「13歳だよ。中2の時。今の『夕霞(ゆうがすみ)』の後半部分の原型が最初に作った詞と曲だよ。アレンジも含めて」
「えーっ、ほんですか!? どうやったら初めからクオリティー高い曲が書けるんですか?」
「初めからと言っても、それまでやって来た事が全部繋がってるんだよね。既存曲いじりに雑誌作りに漫画描き。ミステリー小説の構造は、クラシック曲の論理的な構造と一緒だし」
「他の分野で作詞・作曲に必要な能力が身に付いてたんですね」
「そう。イブは小学生の時に好きだったものとかやってた事とかある?」
「グレン・グールドのピアノとか『レイヤームーン』のアニメが好きでした。でも、家にいるよりは、外で走り回ってる方が多かったかも…」
「俺も昔グールド好きだったよ」
「一緒ですね、エヘヘ」
「じゃあ、その辺りにイブのスタイルのヒントがあるんじゃないかな? 人って、小さい頃に本質が出てるもんだから」
「なるほど」
「じゃあ、今日はこの辺で終わりにしよっか」
「はい、ありがとうございました」
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