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利き雨音が利かぬ、と?
日和坊の目からついにぽろりと涙がこぼれた。
「うう、吉野屋先生。聞いて頂けますか」
よほど困っていたのだろう。日和坊は早口で一気に喋り出した。麦茶で喉を潤しながら吉野屋に語った話はこうだ。
日和坊がその手腕を発揮するのは主に夏のことだ。梅雨の季節にたっぷりと水分を取り込んだ農作物や生き物の幼生が、夏の太陽に向かって伸び伸びと大きく育っていく。晴ればかりでもだめ、雨ばかりでもだめ。ふたつは良いバランスを保ちながら、日ノ本の自然の摂理を守ってきた。
だが、今年はおかしい。日和坊の出番を待たずして夏の日照りが始まってしまったのだ。
色めき立ったのは生き物の親や、作物を育てる人々。雨の恵みがなければ育つものも育たない。更に悲鳴を上げたのが雨具販売の関係者。あとひと月は稼ぎ時だというのに、これじゃあ商売上がったりだ!
だが、この異常気象は日和坊にもまったく覚えのないこと。たっぷり眠ってそろそろ出番だというところへ苦情が殺到したのだ。まさに寝耳に水、晴天の霹靂。
日和坊ひとりではどうにも対応しきれず、利き雨音師、吉野屋幻蔵斎に助けを求めて朝イチでやってきたというわけだ。
「ま、だろうな。俺もおかしいとは思っていた。六月の梅雨明けというのは地域によっては気象予報史上初の出来事だ。今週に入って取水制限も始まったし電力需給がひっ迫しているとのニュースも出ている。そもそも梅雨明けの兆しとなる雨音がなかったのは妙だなと思っていたんだ。梅雨というのは、初期中期後期で音が変わるものだからな」
「そうなんですか」
「ああ。中期の雨音までは俺も把握していた。だが、後期の雨音には覚えがないんだ。おや、と思って様子を見ているうちに梅雨明け宣言。まあ梅雨というのは気象予報の中でも最も判断の難しい時期ではあるのだが」
「いえいえ、吉野屋先生の【利き雨音】はそれは大したものだと、モノノ怪界でその噂を知らぬものはおりません。わたしはこのキャラですから今まで先生とはご縁がありませんでしたが、今年ばかりはお力をお借りしないとどうにも」
再び日和坊の目から涙がぽろり。吉野屋は立ち上がった。
「実はな、おぬしのアポなし訪問で午前中の予定を忘れておったが、これから各界の有識者でブレストをするのだ。おぬしの件も忘れずに伝えよう」
「ぶれ……? よく分かりませぬが何卒よろしくお願い申し上げます」
緊張が解れたのか残りの麦茶を一気に飲み干した日和坊は、何度も吉野屋を振り返りお辞儀をしてようやく去って行った。
「さて、とりあえず他の面々の話を聞くか」
だが吉野屋とて【利き雨音】が出来るというだけで、雨雲を呼ぶだとか水を作り出すだとかそう言った能力があるわけではない。湧き起こる大地の声を感じ、雨音を利くのが利き雨音師だ。この異常気象にどう対処すればいいか、図りかねていたところだった。
集まった有識者達も同様で、吉野屋の家の古びたちゃぶ台を囲んだはいいものの、皆一斉にうーむと黙り込んでしまう。
「吉野屋先生。とりあえず日ノ本全国、どんな些細な雨音でも良いので見つけたらキープしておいてもらえますか?」
「承知した。こんな状況では、その土地に合った雨音などと悠長な事も言っていられんしな。早速雨音を利くとしよう」
だがトラブルは直後に起こった。
いつものように雨音を利くためのあれこれ儀式的なアレを施し、いざ雨音を利く体勢に入った吉野屋の耳には、しとしともぴっちゃんも、ぽつんとすら聞こえてこない。
さて一大事。吉野屋幻蔵斎、利き雨音が利かぬ。
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