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1話 ここは事故物件ですか?
部屋の何処かで音がする。
そんな気がして、俺は目を覚ました。
枕元に置いてある時計に目をやると、真夜中の2時を少し回ったところだった。
良かった、まだ2時か、と内心ホッとする。
明日は7時には起きないと仕事に間に合わない。
これが仮に6時だったとすれば、また眠ったとしても1時間後には目覚しに叩き起されるわけで、どう考えても良い目覚めは期待が出来ない。
だが、これが2時なら、あと5時間も寝れるわけだ。
そんなわけでまた眠りに着こうと試みるのだが――部屋の片隅からさりげなく響いてくる音が気になって眠れない。
明らかに風や雨の音とは異なる音。
どちらかと言えば、何かを引っ掻くような音。多分それが一番近いだろうか?
何の音だろうか?
俺は確認するためベッドから出た。
音はどうやらクローゼットの中から聞こえてくるらしい。
マジでネズミでも居るのか?
そんなことを本気で考えていた。
一般的にアパートにネズミが居るとは考えにくい。だが、このアパートは築30年ほ経過してると、不動産屋のお姉さんが言っていたが、この部屋の家賃が安いのもそれが理由だとも言っていた。
そんなことを考えながらクローゼットの扉を開ける。
そこにネズミの姿はなかった。
「……やっぱ居るわけないよな」
そう思いながら一応、念の為にクローゼットの中を調べてみた。
結果、俺は白だと判断した。
傷を含め、糞さえなかったからだ。大体ネズミが潜む場所には噛み傷や糞など痕跡があるものだが、そこには痕跡らしい痕跡はなかったのだ。
良かった……けど、今の音って?
そんなことを考えながら、クローゼットの中を見ていると、代わりに気になるものを見つけてしまった。
それは、まるで何年も長方形の何かが貼られていたような跡ーーそれこそ本当にお札のような形。
ハハッ……まさかね……。
背筋に一瞬寒気が走った。
実は前からここは事故物件ではないのかと言う疑念はあった。
実際、この部屋を案内された時、不動産屋の若い女と恐ろしい体験をした。
それはこの部屋ではなかったのだが、やはり因果関係があるじゃないのか?
俺はあの時の体験を思い出していた。
◇
とある理由から大学を辞めたことで家を追い出された俺が格安物件として見つけたのは、平々凡々とした二階建てのアパートだった。
部屋は妹の友人で不動産屋に就職した麻倉深咲に紹介してもらったもので、敷金、礼金なしで家賃2万と好条件の物件だったことも有り、もうほとんど決めるつもりで俺は部屋を訪れていた。
さて、俺の新居はどんな部屋なのかな?
そんなことを考えながら部屋のドアを開けると、
「あっ……こんにちわ」
女の子がそう言って会釈してきた。
「えっと……すいません、なんか俺、部屋を間違えたみたいです」
そう言って、慌ててドアを閉めた。
「あれ?お兄さん、どうかされました?」
深咲が不思議そうに訊いてくる。
妹の友人と言うこともあり、深咲は俺こと依田鑑をお兄さんと呼ぶ。
「おい、ほんとにこの部屋なのか?部屋の中に女の子が居たぞ……部屋、間違ってないよな?」
俺がそう訊いた瞬間、明らかに深咲の表情が変わった――ような気がした。
「えっ、ウソ?!そんなはずはっ!」
少し慌てた様子で深咲はドアを開けた。
そして、部屋の中を確認した上で、
「よかった……」
小さく聞こえないように呟いたあと――俺の顔を見て、
「気のせいじゃないですか?……確認してみましたが、誰も中に居ませんよ」
「はぁ?……だって、さっきは確かに女の子がそこに立って……」
改めて部屋を見てみると、誰の姿もない。それどころか家具すら置いていない普通の空き部屋だった。
おいおい……冗談だろ?さっきのコはなんだってんだよ?
一瞬、本気で彼女言うとおり気のせいかとも思ったけど、釈然としない。
いや、まてまて……あんなハッキリとした気のせいがあるわけねーだろ?
白昼夢にもほどがあるぞ!
そもそも、気のせいが会釈なんかするわけねーだろ?
しかも、こんにちわって言ってきたし……。
「おい、もしかして……この部屋もその……じ、事故物件だったりするの?」
「いえ、違いますよ!」
あっさりと彼女は否定した。
ほっとした反面同時に疑問も生まれた。
なんでこの部屋はさっきの事故物件と同じくらいの金額なんだ?
だが、その謎はすぐに氷解する。
「事故物件は隣のこっちなんですよ」
そう言って、彼女は右側にある一番端の部屋のドアを指さした。
事故物件ってそっちぃぃぃ~っ?!
まさかの変化球に俺は素直に驚かずにはいられなかった。
「ウソじゃないですよ……こーゆうのって事前に言っておかないとコンプライアンス違反になりますからね」
「そ、そうなんだ……」
安さの理由――なんとなくだが納得は出来た。誰も好き好んで事故物件の隣で暮らしたいとは思わない。普通に不気味だし、幽霊が出そうな感じがするからだ。
「せっかくだから見ます?ヤバいんですよ、この部屋」
そう言って彼女はノリノリでバッグの中を探る。
「……てか、なんでその楽しそうの?」
「えっ?!だってテンション上がりません?」
「上がりません!」
しかし、即答したにも関わらず彼女は意を介していない様子で、部屋の鍵を取り出すとドアを開く――だが、開かない。
「あ、あれっ?……このドアって、こんなに重かったっけ?」
彼女はあたかもドアが壊れているかのように言っているけど――実は中の方が全力で侵入を阻止してるんじゃないの?!
「ちょ、ちょっと待って……それって壊れてるんじゃなくて……」
俺が彼女の行動を止めようと駆け寄ると、
「あっ、開いた!」
マジですかぁぁぁ~?!
ドアが初代〇イオ〇ザードのような不気味な音を立て、ゆっくりと開いていく。
この音が鳴ってる時点で隣の部屋とは別物のような気がしたが、それを口に出す余裕は今の俺には無かった。
「ほら、見てくださいよ……この部屋」
腹立つぐらいの無邪気さで言ってきたが、彼女に促されるまでもなく傍に寄ってしまったことで視界に部屋の様子が自然に入ってきた。
そこは想像を絶する有様だった。
まるで、今殺人が起こったと言わんばかりに部屋の隅々に血が飛び散り、ドアの入口付近では大きな血溜りが出来ている。
「えっと……ここって事件が起きた時のままなの?」
「まさか……ちゃんとリフォームしましたよ。それも2回も、ね」
そう言って彼女は忌々しいと言わんばかりに親指の爪を噛む。
「2回も?そ、それは大変だったな……」
2回ぃ~?!2回リフォームしてこの様って、どうなってんだ?!もう呪いどころの騒ぎじゃねーぞ!
全力でツッコミたい気分だったが、そんなことしてる場合じゃない!
早く、この部屋から離れないとどんな災いが起こることか――。
そんなことを思っていると、部屋の奥で何かが動くのが見えた。
それは間違いなく若い女性だった。
若い女性が蛇のように身をくねらせ腹ばいで近寄ってくる。
全身血塗れで、着ている服の色さえよく判らない。
ただ、はっきりと判るのはこの女が明確な敵愾心と殺意を俺たちに向けているということ。
「お、おい、深咲……逃げるぞっ!」
「えっ……な、なんで?」
どうやら彼女には目の前に迫るあの化物が見えてないらしい。
そもそも見える見えないとかなんなんだよ!ピーキーな不可視モード付けやがって、どうせなら全員見えないようにしとけって!
内心、化物への恨み言を呟く。
「多分、ここで死んだヤツだ。なんか〇椰子みたいな状態でこっちに迫ってくる。早く逃げないとヤバそうだ」
慌てる俺の様子を見て、彼女もまたヤバいと認識してくれたようで、
「わ、わかりましたっ!」
二人でやたら重いドアを外側から引っ張って、ドアを閉めた。
ドアが締まった途端、ドアに何かが衝突したような激しい音が響いた。
「なっ……な、なんですか、今の化け物は?!」
ドアが閉まってからしばらくして、落ち着きを取り戻した彼女が口を開いた。
「俺が知るか……って言うか管理してるお前の方がここに詳しいだろーが」
「ヤバいですよ!もう完全に〇怨じゃないですか?中に居たの、間違いなくアレですよね?白いの居なかったけど、間違いなくあの人居ましたよね?!」
よほど怖かったのだろう。
彼女は俺の胸ぐらを掴み、大きな瞳に大粒の涙を浮かべ、必死に訴えてくる。
「気持ちはわかるけど……手、離してくんない?」
「あっ……ごめんなさいっ!」
俺に指摘されようやく彼女の手から解放された。
「ま、何にせよ……この部屋を人に貸すって以前に、もうこの部屋は開けないほうがいい」
「何言ってるんですか?アパートに空き部屋があるとかどんだけの損害だと思ってるんですか?私は絶対に諦めません!あの化け物を必ず退治してみせます!」
などと熱い台詞を吐きながら、彼女は顔の前で両拳を握るあざとい系特有のガッツポーズを取っている。
これ、なんのアピールだよ?
「ああ、がんばってな」
正直付き合ってられないと思い、部屋から離れようとすると、
「どこ行くんです?」
どこか狂気じみた雰囲気を醸し出すキュートな笑顔を浮べた彼女に腕を掴まれた。
「決まってるだろ、別の部屋を探すんだよ。こんな〇怨アパートなんざ住んでられるかよ!」
「ダメです、契約を頂くまで離しません!」
「てめえ、コンプライアンスはどうした?明らかな違反だろーが!」
「アレを見られた以上、帰すわけには行きません」
「ふざけんなっ、誰が住むか!こんな化け物屋敷!」
◇
「っきしょー、深咲のやつめ……がっつり事故物件じゃねーか!」
俺は慌ててスマホを手に取って、連絡先を開く。
多分、あの流れでなんでお前、この部屋住んでるの?って思うと思う。
それは俺も同じ気分だ。
あの出来事の後、恐怖に慄いて逃げようとした俺を捕まえ、口論すること数十分。
深咲が出してきた、半年間家賃なしと言う好条件に俺は膝を屈してしまった。
賃貸契約は一年間だ。当然契約を反故にすると違約金が発生する。今の俺にそんな余分なお金を払う余裕はない。
だからと言って泣き寝入りはしたくはない。
込み上げてくる怒りを抑え、俺は麻倉深咲と表示された画面の電話マークを押す。時刻は2時を回っている。出るわけないかと思っていたら、
「はい、もしもし」
意外にもあさっり繋がった。
「なんでこの時間に起きてんだよ?」
「……だいたいこの時間はふつーに起きてますよ。今は絶賛ゲーム中です!」
楽しそうで何よりだな、こんちくしょーが!
内心、毒づきながらも俺は話を進める。
「……お楽しみ中に申し訳ないんだが、明日時間空けられるか?」
「ええぇぇぇ~っ?!なんですか、なんですか、もしかしてデートのお誘いですかぁ?」
こいつ、完全に深夜のテンションだな。
「お前に相談したいことがあるんだ。明日、俺の部屋に来てくれないか?」
「再会して早々に家に招待されるとか……これはもう私に気があるってことで間違いないですよね」
ウザいな、こいつ……。
「……いいから四の五の言わずに来い!」
それだけ言って、俺は通話を一方的に切った。
◇
翌日。
13時を少し回ったところで部屋のインターフォンが鳴った。
出てみると、当然ながらそこには麻倉深咲の姿があった。
「……悪いな、わざわざ来てもらって……」
「いえ……お兄さんの頼みなら聞かないわけにはいけませんから」
そう言って力なく微笑みを見せると、靴を脱ぎ、部屋に上がる。
「で、今日は私に何の用なんです?」
「……実は昨日、部屋で妙なものを見つけてな。それで、お前なら何か知ってるかなって思ってさ」
「……妙なもの?」
深咲は俺の言葉に首を傾げる。
どうやら、彼女に心当たりはないらしい。
俺は深咲をクローゼットへ案内する。
「ここを見てくれないか?」
そう言って、俺は深咲に判りやすいように例の御札が貼られたような跡を指さした。
「……これって、もしかして……?」
やはり、深咲も俺と同じ答えに行き着いたらしい。
多分、隣の部屋と以前の体験のせいだとも言えなくないが。
いずれにしろ、深咲の顔色が青くなっているのは容易に理解出来た。
「かわいい、ですよね~」
呆然と痕跡を見つめる深咲の横顔を眺めていると不意にそう訊かれ、
思わず「そうだな、かわいいな」と答えてしまった。
「お、お兄さん……?」
多分予想すらしてなかったであろう俺の言葉に深咲は、信じらないと言わんばかりの驚いた表情を見せる。
「深咲、気にすんな!誘導尋門だっ!」
「き、気にしないなんてムリですよ~……だって、お兄さんが私のことかわいいって……」
とてもさっきま青ざめた表情をしていたヤツとは思えないほど、彼女の表情は赤くなっていた。
ったく、青くなったり赤くなったり忙しいな……信号機かよ、お前は……。
「気のせいだ。そもそもお前がヘンなこと言うから……」
「いえ、私……何も言ってませんよ?」
「はあっ?!じゃあ……さっきの声って……?」
「そ、そういえば、さっき聴いたことのない声が……」
明らかに第三者と思われる声の存在があると言う事実に俺と美咲は顔を引きつらせ、お互いの顔を見合わせた。
「はい……あたしです」
声のする方に即座に振り向く俺と深咲。
「誰?!」
「誰だ、お前はっ?!」
「あ、見えてます?……やっほー」
そんなお茶目なことを言いながら、その少女は俺と深咲に向けて、両手を振っていた。
彼女の言うとおり確かに見えはしていた。
だが、あくまで見えているだけでその身体は半透明であり、背にした壁の模様がハッキリと見えていた。
「はわぁっ?!……」
余程驚いたらしく深咲は意味不明な擬音を口にしながら、気を失った。
「おっとっ!」
俺は倒れかけた深咲の身体を慌てて支え、半透明な少女に視線を戻した。
その少女に俺は見覚えがあった。
初めてこの部屋を案内された時に遭遇した少女だ。
あの時は目の錯覚だと思っていたが、どうやらガチな幽霊だったらしい。
「あんたはこの前の……」
「あ、やっぱりあの時見えてたんですね?あれから、あたし、あなたに何度も話しかけたんですよ……全然気づいてもらえなかったんですけどね」
そう言って少女は苦笑いを浮かべる。
つーか、なんなんだこのフレンドリーな感じは?
うらめしや~的な感じ、一切ないじゃん!
「一つ聞いていいか?」
「はい、なんです?」
「あんた……本当に幽霊か?」
俺がそう訊ねると、彼女は首を横に振り、
「いえ、違います!」
「いや、がっつり幽霊だろーが!サラッと否定すんなよ!身体めちゃくちゃ半透明じゃねーか!」
「……ほんとなんです!だって、あたし、殺されてないからっ!」
「 殺されてないって、どうゆうこと?」
「……はい。その前に聞きますけど、あなたは隣の部屋のことご存知ですか?」
彼女にそう訊かれ、あの時のイヤな思い出が鮮明に頭に浮かぶ。
「……えらい化物に出くわした。なんなんだ、あれ?」
「あたしも隣りで何が起こったかまでは知らないんです」
彼女は申し訳なさそうに顔を伏せる。
どうやら、本当に深い事情がありそうだ。俺はしばらく彼女の言葉に耳を傾けることにした。
「なら、判る範囲でいい。何が起こったのかを話してくれるかい?」
彼女――藤香は高校に通う傍らローカルアイドルとして活動していたと言う。
そんな彼女は進路について親と口論となり家を出て、似たような境遇だった同じグループ内の女の子とこの部屋でルームシェアをしていた。
そんなある日、たまたま同居のコがクローゼットを掃除していて、お札のようなものを見つけたと言うのだ。気味悪がったそのコは御札を剥がしてしまう。
そして、異変はその夜から始まった。
クローゼットから何かを引っ掻く音が夜な夜な聞こえてくるようになったと言うのだ。
形の見えない恐怖は徐々に二人の精神を蝕んでいった。
我慢の限界に達したそのコはクローゼットを開いてしまった。
クローゼットの中には隣の部屋から大きな穴が空いていて、その中から血塗れの女性が出てきて、いきなりそのコに襲いかかってきたのだと言うのだ。
藤香はその時の恐怖で気絶してしまいそれ以降のことは何も知らないらしい。
次に藤香が目を覚ました時にはそのコは部屋から姿を消し、藤香もまた身体を失っていたと言うのだ。
「にわかに信じがたい話しだな……」
一通り藤香の話を聞いて、抱いた俺の感想がそれだった。
ただ一概に嘘だとは言えない真実味を帯びた箇所もある。信じがたい話だが、自身も彼女と似たような体験をしているため、不思議と疑う気にはならなかった。
「あんたの友達はどうなったんだ?」
「判んない……気が付くと居なくなってたから……」
気がつくとすべてが終わっていて、状況も呑み込めないと言ったところだろう。
それに藤香が気付いてない内にすでに彼女の命も絶たれてしまっている可能性すらある。
だが、腑に落ちない点もある。
なぜ、彼女は自身が死んでないと断言出来るのだろうか?
身体がないのなら死んでるのかも知れないのに。
俺はその疑問を彼女にぶつけてみた。
「……なら、どうして自分は死んでないと思えるんだ?身体が無いなら死んでるかも知れないだろ?」
すると、彼女は何も言わずにスッと一ヶ所を指差した。
その方向に目を向けると、いつからそこに居たのか、一人の少女が立っていた。
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