或る選挙活動を見て思ったこと

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 生稲晃子は僕と一日しか生年月日が違わない全く同世代のアイドルだった。未だにアイドル時代の可愛い面影があり優しそうな顔立ちをしている。多分顔同様、根は優しいんだと思う。だけど政治に暗く悪政に関しても無知だから優しさを発揮出来よう筈がない。そんな自分を自覚出来ていないから世の中を良い方向へ変えたいと思いながらも誘われる儘、自民党から立候補した。何しろ本来、世の中を良くしたいなら戦うべき格好の相手である安倍晋三をこともあろうに先生呼ばわりするおつむしか持ち合わせていないのだから・・・  その安部晋三が人気取りの為か、皮肉にも彼女の応援演説をする中で、「政治家として色んな提案をしてもらい、そして実行してもらいたい、そう考えて生稲さんを推している訳であります」と言っていたが、彼女は誰もが働きにくくしている自民党にあって「誰もが働きやすい国へ」とマニュフェストを掲げているものの具体的な政策ビジョンは持っておらず、提案なぞ出来るものではない。その証拠に周知の通りNHKの政策アンケートに於いて憲法改正について賛成の意を表すのみで他の設問には何も回答できなかった。然るに東京選挙区でトップ当選する勢いだ。改めて民意の低さを痛感する。  憲法改正についても何も分かっていないんだと思う。彼女だって戦争には反対だと思うが、改正とは名ばかりで平和を守る為の憲法を戦争できる憲法に自民党は変えようとしているのに賛成している訳だから。  自民党は外国だって憲法を変えてるじゃないかと言うが、憲法には法律部分と憲法部分とがあって法律部分しか変えておらず、変えるのは御法度であり憲法の精神である憲法部分は変えていない。然るに自民党は憲法改正と言いながら国民主権、平和主義、基本的人権、この日本国憲法の精神たる三本柱をぶっ壊そうとしているのだ。だから改悪なのであって審議するまでもなく自民党の憲法改正草案に反対するべきなのだが、どうも大半の日本国民は生稲晃子を応援する聴衆を見ても分かるが、一事が万事この有様で国民投票となった場合、日本国憲法の成り立ちや構造について何も知らないからロシアによるウクライナ侵攻を受け、今のままでは国は守れないとして第九条に自衛隊を明記せよと主張する改憲派に押し切られ、或いは抱き込まれ、或いは感化されて自民党の憲法改正草案に賛成してしまう者が過半数を超えてしまう恐れが十分あると僕は大いに危ぶんでいる。  また自民党は今の日本国憲法はアメリカからの押し付けと言うが、民主主義を阻害する明治憲法そのものを国民に押し付けようとしているのに違いなく、日本国憲法は人民主権、民主主義を謳い、フランス革命に大きな影響を与えたジャン・ジャック・ルソーの社会契約論に由来しているのであって、それを学んだ鈴木安蔵を始め日本の法学者たちとコートニー・ホイットニーを始めアメリカの法学者たちによる日米合作であるからアメリカからの押し付けではなく謂わばジャン・ジャック・ルソーの子孫たちが作った最も進んだ現代的憲法なのである。従って自民党が勧める全体主義国家主義軍国主義たる近代的憲法とは一線を画すものなのである。そして日本国憲法は第九十九条にあるように天皇、国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は憲法を尊重し擁護する義務があるが、国民だけはその義務を負わない立場にあり、謂わば政治家や官僚に対して法律を守れと指示する国民の国家に対する命令書なのである。  然るに自民党は政府が議会を抜きに政令を出して法律と同じ力を持つことになる緊急事態条項を創設しようとしている。つまり現日本国憲法とは正反対に国民を命令の下に支配しようとしているのだ。正にナチスの全権委任法と同一と言って良い。だから自民党が緊急事態条項を創設したら好き放題に出来るようになり、言論の自由や表現の自由を奪い、政府を批判する者を弾圧するのは勿論の事、台湾有事は日本有事とばかりに台湾海峡で何かハプニングが起きたりトラブルが起きたりしたら安保法と緊急事態条項というダブル違憲によって集団的自衛権を行使し、中国と戦争に発展するなんて怖ろしいことも起こり得るのだ。  そもそも安倍が自分勝手に解釈して集団的自衛権を持つに至った自衛隊を第九条に明記しようというのは違憲であって平和主義に悖る。生活困窮者を支援しないというのも基本的人権に悖る。そして国政のあり方を最終的に決定する権限を与えられながら選挙に投票しないのは国民主権に悖る。  国民は須らく第二十五条の生存権を文字通り実現することを目標に掲げ、緊急事態条項に断固反対する意志を明確にする平和主義者たる山本太郎氏並びにれいわ新選組の候補者を応援するべく投票するべきである。そう出来るリテラシーのある国民が多くなれば、世の中を良い方向へ変えられるのだが、生稲晃子のように何の具体案もなく綺麗事を言うだけでは何も変わらない。  コロナが再び感染拡大する中、地球温暖化が確実に進んでいるようで6月だというのに真夏のような暑さで熱中症にも気をつけなければならない時に生稲晃子もご苦労なことだが、安部晋三の応援演説を聞いていると、相変わらずソフトな語り口で立派なことを志しているようなことを言うので我知らずいい人のように錯覚し兼ねないのである。本当は万死に値する極悪人なのに本性を噯にも出さない巧みさには今更ながら驚くのである。生稲晃子に先生と呼ばれるだけのことはあると皮肉りたくもなるのであるが、ポピュリスト(衆愚政治家、大衆迎合主義者)よろしく巧言令色とレトリックの限りを尽くしてアホな国民どもを騙しているのかと思うと嫌気が差し、サクラも雇っているんだと思うが、安部の言うことに一々そうだ!そうだ!と叫んでいる奴らの声を聴いても嫌気が差すから是非ともこいつらの声を掻き消す梅雨らしい雨音が聴きたくなったし、雨でこいつらの頭と大地を冷やして欲しいものだと思った。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!