標本

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 夏も終わりに近づいた昼過ぎ。お昼ごはんの片付けをしていると詩音が遊びにきた。 「美海、お邪魔してもいい?」 「もちろん」  詩音を縁側に通すとお兄ちゃんがお茶を持ってきてくれた。 「ありがと、お兄ちゃん」 「かわいい子は大歓迎だからな」 「下心~」  あとでおやつも出すぞと言って、お兄ちゃんは引っ込んでいった。夜にはあり得ない対応で、兄の下心に呆れる。詩音は私たちのやりとりをみて、面白そうに笑った。 「美海のとこは仲いいね」 「そうかも。前に二人だけになったことがあるから、余計にね」 「そうなの?」  首をかしげる詩音に、前に祖父の介護で両親があまり家にいなかったこと、その間兄が世話をしてくれていたことを話す。 「そっか。いろいろあるんだね」 「いろいろあるよ。そのせいでお兄ちゃんの家事能力が上がりすぎて、キモいって彼女にふられたし」 「ひどい」 「ほんとにね」  詩音はうわあと顔を引きつらせた。それからお茶のグラスを揺らす。 「詩音はそういうの全然だから、できるの憧れるけどな」 「お兄ちゃんに言ってあげて。喜ぶから」 「うん」  それから二人でお茶を飲む。よく冷えたお茶は緑茶みたいだけど、なんだかすーっとしておいしい。 「あのね美海。私、明日には帰るんだ」 「もうそんな時期なんだ。早いね」 「うん。帰りたくないな」 「でもいつまでもいられない」 「うん」 「またおいで。私はここにいるから」  詩音はしょんぼりした顔で、それでもちょっと笑った。 「夜と同じこと言う」 「夜も言ってた? じゃあなおさら。いつでもおいで」 「ありがと」  帰ったら本格的に受験勉強だと詩音は言う。私にはわからない世界。でも詩音が頑張ると言うのなら、私はそれを応援するだけだ。 「美海も頑張って」 「なにを」 「夜のこともそうだし、美海だって来年になったら隣町の中学校でしょ。きっと全然違うよ」  言われて思い出す。そういえばそうでした。小崎町の小学校は六年間ずうっと一学年一クラスだった。でも大戸ノ町の中学校は違う。一学年に何クラスもある。 「不安、かも」 「そうだよね。詩音も不安」  二人でやだやだと笑いあう。  夏の終わりに先のことに不安になって、それを友達と分けあって。 「お手本みたいな夏休みだ」  ふと思いついたことを言うと詩音は笑ってくれた。 「そだね。標本みたい。夏休みの正しい過ごし方」 「またこんなふうに話せるかな」 「もちろん」  しばらくしゃべっていたら、予告通りお兄ちゃんがおやつを持ってきてくれた。 「前に作ってたやつだ」 「そうそう。美海が美味いって言ってたから」  差し出されたのはジャーパフェ。ガラスのジャーにクリームや果物がたんまり盛り付けられている。 「……なんか、詩音のは豪華だね」 「当たり前だろ、お客さんなんだから」 「ありがとうございます」  詩音は目を輝かせてパフェを受け取る。 「お茶のおかわり置いとくから、ちゃんと水分補給しろよ」 「はーい、ありがと」  兄は去っていき、詩音はニコニコしながらパフェを食べた。 「おいしいね。すごいなあ美海のお兄さん。私にもあんなお兄さんほしい」 「兄としてはあげられないけど、彼氏にならいいよお」 「詩音、そういうのわかんないからなー」 「そうだよねえ」  詩音はまたちょっとしょんぼりしつつ、手は止めずに食べ続ける。 「相手が詩音を好きでいてくれても、それを返せないのは申し訳ないし、匠海さんは友達のお兄さんでしかなくて……ごめん」 「私に謝ることじゃない。そもそもお兄ちゃんは詩音になにも言ってない」 「それもそうだ」  パクパクとパフェを食べて詩音は立ち上がった。 「じゃあ、そろそろ帰るね」 「うん。手紙書くよ」 「楽しみにしてる。受験勉強で返事は遅くなっちゃうけど、でもちゃんと読むし、遅くなっても返事書くから」  ジャーを台所に置いて二人で玄関に向かう。詩音は金魚を少し眺めてから、 「またね」  と言って出て行った。まるで明日も会えるような、そんなあっさりした別れだ。でも詩音が『また』と言うのだから、また会える。  私たちは、そう思えるだけの友達だ。
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