金魚

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金魚

 うちの玄関の靴箱の上には金魚がいる。去年の夏の終わりに、私、川瀬美海(かわせ みうみ)の両親が夏祭りで取ってきた金魚だ。  お母さんもお父さんも、最初はそんなに育たないだろうって、小さい水槽で育てていたら、気づいたらむくむく大きくなって、今では立派な大きい水槽に引っ越しをした。  餌をあげるのと、交換用の水を用意するのは私とお兄ちゃんで交互に。水槽の掃除はお父さん。それ以外はお母さん。餌を買ってきたり、体調管理をしているらしい。  金魚は一応、私のことを覚えているのか、餌を持って水槽に近づくと寄ってくる。餌の袋を覚えているだけかもしれない。  夏休み初日の今朝も、そんなことを考えながら餌をまいていると家の電話が鳴った。 「はい、川瀬です」 『あの、根子です。小崎町小(こさきまちしょう)で、川瀬……えっと美海、さんと同じクラスの』 「ニャンタカ? 美海です。どしたの」 『なんだ川瀬か。あのさー、おまえ夜と一緒に夏休み宿題やったりする?』  ニャンタカの質問に自分が嫌な顔になったのがわかった。 「それ、ほのかに聞かれたんでしょ」 『え、いや、それは』  ニャンタカは面白いくらいにキョドっている。わかりやすすぎる。 「ほのかに、そんなものは夜に自分で聞いてって言って。ニャンタカもさーそんなふうに、いいように使われてるから、ほのかの恋愛対象にならないんだよ」 『は、はあ?』  電話の向こうでニャンタカがテンパっているうちに、私は電話を切った。金魚は知らん顔でスイスイと水槽を泳ぎ回っている。 「はー……。面倒くさい」  金魚の餌を片付ける。  今の電話でめちゃくちゃ疲れた。  電話をかけてきたのはニャンタカこと根子孝寿だけど、それは同級生の田崎(たざき)ほのかに頼まれてのことだ。  ほのかが夜を気にしているのは知っていた。わかるよ。夜、かっこいいから。落ち着いていて優しくて、他の男子みたいにぎゃんぎゃん騒いだりしない。  私だって夜のことをずっと好きだもの。ずっとずっと、覚えている限り幼稚園のころから、ずっと。  けど、だからこそ思う。好きだと言うなら、自分でなんとかして。他人を巻き込まないで。  ニャンタカだってかわいそうだ。ニャンタカがほのかを好きなのは、たぶんほのか以外のみんな知ってる。ここで言うみんなとは、小崎町小学校の六年生全員(ほのかを除く)と、ニャンタカのお姉さん。  お姉さんが、ニャンタカの家に近い電柱の陰で 「ふふ、かわいそ。気づいてもらえないで」  って大笑いしながら二人を見ているのを私は見た。  とはいえ、あそこまで言ったんだから、しばらく電話はこないだろう。やめて、ほんとに。 「あーあ」  ため息を吐いてリビングに戻ろうとすると、今度は玄関でインターホンが鳴った。今度はなんだ。 「はいはい」 「美海ー! 遊びに来たよー! 詩音だよー!」 「詩音!」  ドアを開けると、満面の笑顔の詩音と、嬉しそうに手を振る夜がいた。 「あのね、美海にも手紙書いたんだけど、書きすぎて戻ってきちゃった」  そういって、詩音から差し出されたのは、教科書の半分くらいの大きさの封筒で、ぱんぱんに膨れ上がっている。 「重すぎて、定形外なんだって」 「書きすぎでしょ」 「えへへ。美海に言いたいことがいっぱいあったから」  照れたように笑う詩音の後ろで夜が笑った。 「僕には言うことなかったの?」 「夜には会ってから言えばいいやって」  夜が見せてくれた詩音からの手紙は、手紙というより学校のお知らせみたいだった。 「夏休みに行くっていうのと、いつ帰るかしか書いてない……」 「だからちゃんと届いたよ」  なぜか詩音が胸を張る。別に褒めてない。 「……ほのかもこれくらい、はっきりしてればいいのに」  ついこぼれた独り言は詩音にも夜にも届かなかった。それでいい。
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