初恋は雨の下

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 六月の雨がしとしとと降っている。雨はまるで死者を悼む涙のように、電柱の根元に置かれた花束を濡らしている。  電柱の側には『目撃者を探しています』と、一週間前に起こった交通事故の情報提供を呼びかける看板が立っている。  立て看板の側に佇む女性は、自分のために捧げられた花に目をやることなく、不自然なほどに首を下に傾けてうつむいている。  黒い傘を差して供花を見下ろす男性に、私は声をかけた。 「警察の方ですよね。この場所で、ひき逃げされて死んだ井川詩織の同級生です。彼女とは高校が同じでした。私は……犯人を知っています」 「だ、だれが犯人なんだ……」 「あなたです」  私は死者が見える。  詩織は地縛霊となって、ここにいる。詩織のうつろな手が、男性を指さしている――。  取引をしたいと言って、自ら進んで男性の乗用車に乗った。  後部座席に身を沈め、男性の後頭部を見つめる。量の多い黒髪に白髪が混じっている。思っていたよりも、男性は歳をとっているのかもしれない。  私は口止め料として高額な金額を請求し、払えないなら職場と家族にバラすと脅した。   「バラされたくなければ、私を殺してください」  男性が急ブレーキを踏んだ。信号は赤。危うく前の車に衝突しそうになったのだ。  辺りは薄闇に包まれ、ライトをつけた車が通り過ぎていく。ライトが雨を照らし、車のタイヤが水を弾いていく。  濡れているアスファルトに映る滲んだ赤色が青へと変わり、車が再び動き出す。  沈黙を破ったのは、男性のほうだった。 「なぜ?」 「自殺する勇気のない臆病者だからです。死にたいのに死ねない者は、殺してもらうしかないでしょう?」 「何歳だ?」 「二十歳です」 「まだ若いのに……」 「死ぬのに年齢など関係ないでしょう? 死者が見える恐怖と無力感、疎外感をあなたは分からない。……死者の絶望に、私を閉じ込めたいんです」  憎悪するほどに自分が嫌いだ。理由なんてない。ただ自分の存在を厭い、醜い感情を持つ自分を死者の世界に閉じ込めたい。もう二度と輪廻転生などできないよう、他者の人生と幸せを奪う重罪を犯して、死にたい。    男性は私の指示通りに、山へと車を走らせる。手間をかけないよう、事前に穴を掘ってきたことを伝えた。   「首を締めたらその穴に入れて、土を被せてください。雑に扱っても、呪ったりしません。この山は祖父の所有物です。家族ですらこの山には入りませんから、見つかる心配はありません」  車を止めるよう指示すると、男性はライトをつけたままエンジンを消した。静寂が支配する。  雨は強くなっており、車窓に当たる雨が幾条もの筋となって流れていく。  男性は前を向いたまま、重低音の声でぽつりぽつりと話しだした。 「子供の頃、雨を眺めては想像していた。雨は循環し、出会いを繰り返している。――砂漠にようやく降った雨に喜びのダンスをしている人。大きな葉っぱを傘にしているおじいさん。病院の窓から雨を見ている男の子。濡れている野良犬。そんな想像をしては、一人きりの退屈な時間を紛らわせていた。……雨に涙が混じっているような気がしてね。昔泣いた人の涙が自分の手のひらに落ち、悲しみや寂しさを共有している。そんな感覚が、孤独を薄めてくれた」  男性は車外に出ると、大きめの黒傘を差した。  私はどうせ死ぬのだからと濡れるがままでいると、男性に腕を掴まれて、傘の中に入れられた。 「相合い傘、ですね……」 「そうだな」  黒い傘に雨がぶつかる。  ボツボツボツ――。  この音は雨の音。知っている。そんなことは知っているけれど、でも……雨音は記憶を呼び起こす。  ――十年前。小学生だった私が手を振ると、交番勤めの警察官も笑顔で手を振り返してくれた。  突然の雨に走っていると、その警察官に声をかけられ、傘を貸してもらった。  私はその優しい警察官に、恋をした……。    男性は私の首に手をかけたが、すぐに力を抜くと、自首すると言って運転席に戻った。ハンドルに突っ伏し、慟哭する男性。  男性の左手の薬指に指輪があった。男性と男性の家族の人生は、めちゃくちゃになるのだろう。  時間は戻らない。犯した罪は消えない。思い出を憎んでも、甘い記憶は優しく寄り添い続ける。  私は冷たい雨に打たれながら、激しく泣く初恋の人を見ていた。  無邪気に挨拶を交わしていたあの頃を懐かしく思い、泣くなら外で泣いて欲しいとつぶやいた。  腕を上げ、手のひらに雨を溜める。この雨には男性の孤独だった子供時代、そして涙脆かった詩織の涙が混ざっているのだろうか?  自分の体を埋めるために掘った穴に、雨水が溜まっていく。
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