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ひとしずく
「いーよねェ、雨。湿気っぽいから鉛筆のノリはよかないけど、絵の具は潤うのよ。んでこれ、すっげェよ。描いててわかる、前代未聞ななんかのイイもん!」
なんかのイイもん、とは今描いている新作のことだ。
物心ついたときから、や、へたこいたらもうガラガラより先にクレヨンにぎってたらしい静司の絵は、すごい。
なんかもう怖いくらい。
見ているとなつかしくなる。
日常と非現実がまざりあう雨の世界の青い絵の数々は、どれも見る者を圧倒する。
魅了する。
もしかしたら前世を描いているのでは?
などと、えらいことロマンチックなコメント申してくれたえらいヒトも居る。
おかげで子供時代からパトロンに困らんカネに困らん静司は、かなりの自由人に育った。
あとひとなつこい性格もさいわいしたに違いない。
うらやましいけど、こうなりたいとは思わねェな。
ふりかえって軽薄に笑ってるおさななじみに、秀彦はおだやかなまなざしを返した。
「え? なにー、なんかふきげんそう。おなかすいた? お菓子あんぜ?」
「俺はいつもこうだろが」
「うん!」
まったく、と、秀彦は思った。
ぜんだいみもん、なんて言葉よく知ってたなその脳が、まァ本は読むほうだよな、などと、いつもどおり。
カンバスにむきなおった静司は絵筆を動かす。
絵の具をたくみにあやつり、世界を作る。
俺ちゃんって神さま!
絵についてそんなことを俺言ったな、と、静司はうっすら昔を思いだした。
秀彦に言ったんだ。
困ったように笑われちったな。
そんなふうに、雨の日ほどふたりは何かを思いだすことが多い。
広いアトリエは静かだ。
画材や資料が、秀彦の手で整然と棚に並べられた白い部屋。
静司の周りはカオスでも。
雨降りの本日にて、ふたりの会話以外は、ただ雨音が絶え間なく続く。
ぱたぱたぱた。
と。
たたた、ざあァ、ととん、と。
水と風のおりなす地球のシンフォニ。
雨音に包まれるのは、星のささやきに包まれているようで心地良い。
「闇の中聞かされ続けると、トチ狂うのは水滴の音と雨の音、どっちだったか?」
秀彦が訊いた。
静司の左斜めうしろより、腕組んで絵をながめて。
「んー、さァ? どちらにしろ、俺はそれ不思議と癒されるよ。雨のほうね」
ふりかえらずに返事した。
「俺もだ。言いだしっぺがなんだが、聞きたかったのはそれなんだ」
ンもう!
絵筆持ったままの静司に抱きつかれた秀彦の普段着は、そう云うことが多すぎて青いマーブル模様が多い。
数日を経て前代未聞ななんかのイイもんな絵は完成した。
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