第二章 貴志川雅尚 4

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第二章 貴志川雅尚 4

拓海との約束の週末、雅尚は待ち合わせのゲイバーのドアをくぐった。 「アラ、ナオ!!久しぶりじゃない、アナタ~!」 「久しぶり、ママ。元気そうで良かった」 「元気よ、元気~!アンタも相変わらずお肌ツルツルねっ」 顔を見るなり嬉しそうにママが駆け寄ってきてくれた。ママの顔を見るとそれだけでホッとする。やっぱりもっと頻繁に顔を出そう、とママとハグしながら雅尚は思った。 このゲイバー『マジックアワー』のママは、雅尚が家出した直後に路頭に迷っていたのを助けてくれた人物だった。 どこの誰とも分からない雅尚を、何も訊かずにここの2階に住まわせてくれたのだ。さらには引っ越し費用が貯まるまで、しばらくここで働かせてくれもした。雅尚が体を売って生活しなくて良くなったのはそのおかげだった。 まだまだ世間知らずだった雅尚を、社会人としてまともにしてくれたのもママだった。今の職場にバイトから社員に登用してもらえたのも、そのおかげだと思っている。もちろん今住んでいるあのアパートに契約出来たのだって、ママがいてくれたからだ。 だからここは雅尚にとって実家のような場所で、あれから何年も経った今でも縁を切れずにいたのだった。 「タクは来てる?待ち合わせしてるんだけど」 「あ、タクちゃん?来てるわよ~。奥の席で飲んでるハズ……って、アラ、ユウタに絡まれてるわぁ」 全くあの子も困っちゃうわね、と笑うママを反射的に押しのけて雅尚は走った。 「えっ?!ちょっと、ナオ?!」 店の奥の暗がりに見慣れた後ろ姿が見える。ユウタが壁に手を付いているせいでよく見えないが、その向こうにも人影が見えた。 「タクに何してんの?」 ユウタの襟首を掴んで後ろに引くと、雅尚は低い声でそう言った。 「うぇっ!何だよ?!……ってなんだナオちゃんじゃ~ん!」 拓海から自分を引き離したのが雅尚だと分かると、ユウタはニヤニヤと笑った。 「久々に会えたから挨拶してただけ~。ね?タクさん」 「……っ」 ちょっと困ったような顔で曖昧に笑う拓海を見て、雅尚はますます目をつり上げた。 「タクにはちょっかい出さないでって、散々言ったよね?!タクを困らせるようなことしないでくれる?!」 今までずっと、拓海に遊びで近づこうとする人間は雅尚が排除してきたのだ。中でもユウタは、拓海に最も近付けたくない人物だった。 それというのも、雅尚がさんざんお願いしたにもかかわらず、以前ユウタが拓海に連絡先を渡しているのを見付けたことがあったからだ。その時は雅尚が慌ててそれを回収した。けれどそれ以来、ユウタと拓海が鉢合わせしないよう雅尚は気を付けていたのだった。 「ちょっかいって……ただちょっと仲良くしようと思っただけじゃん」 ユウタは悪びれもせず、拗ねたようにそう言った。 「それをちょっかいって言うの!!」 「え~?だったらナオちゃんがオレをもっとちゃんと捕まえといてくれないと」 「はぁっ?!」 「あ、ねぇ。それよりこの前の話、真剣に考えてくれた?」 雅尚の怒りなど素知らぬ様子で、ユウタは雅尚の首に腕を回しながらそう言って笑った。雅尚はその腕をすげなく振り払うと、ユウタの腕を掴んで店の反対側へと強引に引っ張っていった。 「おっ!ナオとユウタじゃ~ん」 「久しぶり~」 「一緒に飲もうぜ」 知り合いが次々と二人に声を掛けてきた。けれど雅尚はそれに答えることなくズンズン進んで、突き当たったところでようやくユウタから手を離した。 「ねぇ、さっきの返事は?」 雅尚が振り返った瞬間、ユウタは雅尚の首筋を指でなぞりながら訊ねた。 「ふざけないで。今日は拓海と大事な話があって来たの。邪魔しないで」 雅尚は抑揚の無い低い声でそう言って、ユウタの手を払いのけた。 「安心してよ。オレ別にタクさんとどうこうなりたいとか思ってないから。ってか怒った顔もキレイだね、ナオちゃん」 「意味分かんない。だったら尚更タクに話し掛けないで!」 話しが噛み合わずイライラする雅尚の頬をユウタは笑いながら撫でた。 「嫉妬?」 ユウタはそう言って、怒りで頭から火を吹きそうな雅尚のおでこに軽い口付けをした。 「はぁ??!……もういい!話になんない。とにかく金輪際タクに話し掛けないで!」 「約束するからオレとのこともちゃんと考えてよ」 「バカじゃないの?」 埒が明かない、と雅尚はユウタを押し返して拓海の元へと戻った。 「ごめんね、タク。もっと早く来られれば良かった」 拓海の元へと戻った雅尚は、顔の前で両手を合わせて拓海に謝った。拓海はフフフと笑ってビールに口を付けた。 「気にしないで。お仕事お疲れ様。ユウタくんはたぶんさ、ああやってナオの気を引きたいだけだと思うよ」 「まっさか~。アイツは誰に対してでもあんな感じなだけだよ。……あ、ママ!ビールちょうだい」 雅尚が声を掛けると、ママがハーイと元気に答えた。 「そうかなぁ……」 拓海は節目がちにそう呟いて、もう一口ビールを飲んだ。 雅尚は拓海のその一連の仕草を可憐で羨ましいと思いながら横目に眺めた。 雅尚がガードしているせいで本人は気付いていないが、拓海には有象無象を引き寄せてしまう色気がある。隙あらばと狙っている人間があちこちに居ることを雅尚は知っていた。そうした人物の中には良くない噂のある人物も何人も含まれていた。 拓海自身はしっかりしていて芯のある人物だが、歳より幼く見える見た目のせいか、庇護欲、性欲、はたまた被虐心まで掻き立ててしまうらしかった。 「ところでタク、この前はごめんね。せっかく泊めてくれたのに」 雅尚が改めて頭を下げると、拓海は大きく首を横に振った。 「全然!あの時は俺が無理矢理引き留めたんだし」 「そんなことない。嬉しかったよ」 「なら良かった」 そう言ってホッとしたように笑う拓海を見て、雅尚は胸がチクチクと痛んだ。 心から自分を心配してくれる人が居ることは雅尚にとって本当にありがたいことだ。けれど自分はその気持ちにいつも上手く応えることが出来ない。それが罪悪感となって心に降り積もって、時々耐えられなくなりそうになる。 だから拓海を変な輩から守ることは、雅尚にとって拓海へのせめてものお返しなのだった。
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