第二章 貴志川雅尚 5

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第二章 貴志川雅尚 5

雅尚は地元では有名な病院の次男として生まれた。 そのレッテルのせいか、はたまた家族が家族として機能していなかったせいかは不明だが、雅尚には友達が出来なかった。 高校はわざと両親が望んだ所ではなく、地元から遠く離れた、本来の学力よりも少し下の学校に進んだ。自分を知っている人間がほぼ居ない環境で、新しく人生をやり直してみたかったからだ。 しかし皮肉なもので入学後直ぐに家の噂は広がって、雅尚はまたクラスで浮きがちになってしまった。今までまともに友達がいなかった雅尚には、そこからどう関係を築いていけばいいのか良く分からなかった。 そんな雅尚に話し掛けてくれる数少ない人間の一人が、拓海だった。 拓海はスポーツ推薦で入学していて、入って直ぐからサッカー部の1軍に所属していた。中学まで勉強ばかりで部活などまともにしたことがなかった雅尚は当然ながら4軍で、雑用ばかりをこなす日々だった。 だから接点など無いはずだったのに、時折拓海は雅尚のところに来ては他愛ない話をして帰っていった。雅尚が先輩達に“金持ちのボンボン”として嫌がらせを受けた時には、拓海が盾となって雅尚を守ってくれたりもした。 「どうして助けてくれたの?あんなの放っておけばそのうち飽きるのに」 ある日、雅尚は先輩達に泥だらけにされた自分のシャツをジャブジャブと水道で洗いながら訊ねた。 「だって貴志川くんの磨いてくれたボール、いつも誰よりも綺麗だから。まともに練習もしない人達に、あんな風に言われるの悔しい」 拓海は目に涙を溜めながら、奥歯を噛み締めるように答えた。 雅尚は拓海が自分のことをそんな風に見ていたことに驚いた。そして同時に、その大きな瞳が怒りに燃え盛ているのを見て、こういう時は怒ってもいいのだと初めて知った。今までは“家の恥”になるからと、雅尚は何をされても反撃することはおろか反論することも許されてこなかったのだ。 2年になって同じクラスになると、拓海はますます雅尚に話し掛けてくるようになった。常に話題の中心にいるような拓海と一緒にいることで、雅尚もようやくクラスメイトと打ち解けることが出来たのだった。 「ねぇ、貴志川君のこと名前で呼んでもいい?」 ある日拓海にそう言われて、雅尚は一瞬躊躇った。その躊躇いを拓海もすぐに感じ取って、気まずそうに顔をゆがめた。 「あ、嫌だったら全然、このままでも……」 「ち、違う!嫌なのは……自分の、名前……」 雅尚が「先祖代々の“雅”の字が入った自分の名前が嫌い」なのだと正直に打ち明けると、拓海はフム……と一瞬考えて、パッと笑顔になった。 「じゃあ雅の字取ってナオは?どう?」 「ナオ……」 たった一文字を取っただけで、こんなにも響きが違うものかと雅尚は驚くと共に感動した。 「うん、ありがとう!いいね!じゃあ俺はタクって呼んでいい?」 「うん!じゃあ、ナオ、改めて宜しくね!」 「うんっ!」 “家を捨ててしまえば良い”という考えが初めて浮かんだのはこの時だった。 もちろん拓海はそんなつもりで徒名を付けた訳ではないだろう。けれどあの時の雅尚にとって、それはそのぐらい衝撃的な出来事だった。 今にして思えばこの時が“家に捕らわれている必要は無い”と初めて教えて貰った瞬間だったと思う。 そこから雅尚は部活を辞め、バイトに明け暮れる毎日を過ごした。少しでもお金を稼ぐため、そして家に帰らなくて済むからと、年齢を偽って体を売り始めたのもこの頃だった。 今雇われ店長をしているスポーツショップもバイトし始めたのはこの頃だ。他にも色々な所でバイトをしたが、あそこだけは辞めなかった。おそらくそれは、サッカーとの縁を切りたくなかったからだと思う。部活は辞めてしまったもののサッカーは好きだったし、自分を変えるきっかけをくれたのがサッカーだったから、少しでもそこに携わることをしていたかった。 そして、そのお陰でフットサル用品を買いにきた拓海とも偶然再会出来たのだった。 「ところでどうなの?例の人とは。あれから連絡来た?」 雅尚がそう切り出すと、拓海は淋しそうな顔で首を横に振った。拓海がそんな表情をするのを雅尚は初めて見た。 「タクから連絡してみればいいのに」 「……うん」 何かそう出来ない理由でもあるのか、拓海は口をキュッと結んで手の中のケータイを見つめた。雅尚は拓海にこんな思いをさせる男の顔を拝んでやりたいと思った。 ブーッ、ブーッ…… その時、拓海のケータイが光って震えた。表示された名前を見た途端、拓海の表情が喜びに輝いた。 「例の人?」 「……うんっ」 信じられない、という喜びと戸惑いに満ちた顔で拓海は雅尚を見つめた。 「早く出なよ。待ってたんでしょ?」 「……うん!」 もしもし、と言いながら拓海は店の外へと駆け出していった。雅尚はその姿を嬉しくも淋しくも思いながら見送った。 「ねぇ~、ナオちゃ~ん」 雅尚が一人になった瞬間、後ろからユウタが抱き付いてきた。この短時間にどれだけ飲んだのか、呼気が既に酒臭い。 「ナオちゃん、どうして……どうしてダメなの……?」 雅尚に顔を擦り付けるようにしながらブツブツと何かを呟いていたが、大半が聞き取れなかった。 「…………はぁぁ~~」 雅尚はもう答える気にもなれずただ深いため息を漏らした。 泣きそうな声でしがみつくユウタを鬱陶しく感じて苛立ちが募った。雅尚はどうにか自分から引き剥がそうとしたが、強く抱きつかれた腕を外すことは出来なかった。 「ユウタ、いい加減にして。離して」 「ナオちゃ~ん……うっ……うっ」 ユウタは雅尚の首元に顔をうずめたまま、シクシクと泣き出してしまった。 「マジでいい加減にして…………」 雅尚は途方に暮れて天を仰いだ。 「ナオ、ゴメン!お待たせ……って、えぇっ?!」 電話を終えて戻ってきた拓海が、雅尚を見て驚いた声を上げた。そして慌てて辺りを見回して、どこかへ走っていった。 「ナオちゃんって本当はタクさんの事────」 雅尚の耳元でユウタがそっと囁いた。 「ふざけんなっっ!!!」 雅尚がそう叫んだ次の瞬間、ゴッという鈍い音が店内に響いた。
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