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第二章 友達 1
冬樹は目の前で繰り広げられる光景をどう解釈したら良いのか分からず、首筋に手を当てた。人付き合いが無さ過ぎて、こういう時の対処法が分からない。
己の不甲斐なさを恨みながら、冬樹は様子のおかしい拓海を眺めた。
父親の葬儀が無事に済んだあの日、冬樹は礼服を脱いだ瞬間に改めて「彼にお礼がしたい」と思った。こんな夜更けにという考えが一瞬頭をよぎったが、それより拓海との約束を一刻も早く取り付けたいという気持ちが勝ってケータイを手に取った。
しかもメールを打つのもなんだかもどかしくて、気が付いたら電話を掛けていた。
しかし、お礼などというものはやはり自分のエゴでしかなかったのかもしれない。テーブル越しに向かい合って座る拓海の様子を見ながら、冬樹は胸が痛くなった。
どうして水曜日の夜など選んでしまったのだろう。
自分の予定が落ち着く日だからと、相手の都合も考えずに誘ってしまったのがまずかった。自分の我を通すのがあまり得意じゃなさそうな彼のことだ、忙しくても断れなかったに違いない。
(どうして彼が関わると冷静でいられないんだろう?)
普段の自分なら絶対にしないことを彼の前では次から次としてしまう。冬樹は初めて味わう感覚に、為すすべもなく振り回されているのを感じた。
「はぁ……」
拓海のふっくらとした形の良い唇から、何度目かの小さなため息が漏れた。おそらく本人はそのことに気が付いてはいないのだろう。
先ほどから彼は一口食事を口に運んで「美味しい!」と目を輝かせては、飲み込んだ後でふっと目を伏せてため息にも満たない小さなため息を吐く──そんなことを何度となく繰り返していた。
冬樹はそれをつぶさに眺めながら、それがどんな感情を表すのか考えあぐねていたのだった。
テーブルに並ぶのは冬樹が拓海の為に腕をふるった手料理の数々だ。本当はレストランにでも招待しようと思っていたのだが固辞されてしまった。そこで交渉の結果、再び冬樹の家に来てもらうということで落ち着いた。
冬樹は彼を迎える準備をしていたこの数日の間ずっと、拓海の豪快な食べっぷりを思い出していた。どんな料理を振る舞えばまたあんな風に「美味しい」と目を輝かせてもらえるだろうかと考えているうちに、およそ二人分とは思えぬ量の品数になってしまったのだった。
彼の食の好みなど分かるはずもなかったから、色々考えあぐねているうちに気が付けばアッサリしたものからコッテリしたものまで様々な料理でテーブルが埋まっていたのだった。
しかし、先ほどから彼の箸があまり進んでいない。どれを食べても美味しいとは言ってくれるものの、ほんの少し味わうだけで終始ぼんやりとした様子だった。
「……お口に、合わなかったですか?」
冬樹が恐る恐る訊ねると、拓海はハッと我に返った。
「えっ、あっ、違います!すみませんっ!!」
すごくすごく美味しいです、と常より大きな声で叫ぶように答えたあと、彼はガクリとうなだれた。
「俺がワガママ言ってわざわざ作ってもらったのに……何やってんだろ~。本当にすみません!」
両手を顔の前で合わせて拓海は頭を下げた。
「いえ……。それより何かあったんですか?」
我が儘を言ったのはむしろ自分の方だと思いながら冬樹が訊ねると、顔を上げた拓海は泣きそうな顔をして笑った。
「友人が……ちょっと、何かあったみたいで」
「ご友人が?」
彼にこんな顔をさせる人物はどんな人間なのだろう。冬樹は胸の奥がチリッと痛むのを感じた。けれどそんな冬樹の心情になど気付くはずもない拓海は、ポツリポツリと苦しげに事情を説明し始めた。
「はい。昔からの大事な友人なんです。いつも俺が困った時には力になってくれて……。彼には今まで何度も助けられてきたんです。だから俺も彼が困っていたら力になりたいんですけど、そういうの一切見せてくれないタイプだから……。様子がおかしいのは分かるのに、どうしたらいいのか分からなくって」
決して背が低くはないはずなのに、背中を丸めてうなだれる彼がその時の冬樹には一回り小さく映った。
「様子がおかしい、というと?」
冬樹がそっと訊ねると、拓海は怯えたように目を泳がせた。
「……知り合いを、その…………殴ったんです、彼。普段は絶対そんなことしない奴なのに。何度理由を訊いても、教えてくれなくて……」
「そう、でしたか……」
冬樹は結局何と声を掛けて良いのか分からず、拓海が土産に持ってきてくれたワインを静かに口に運んだ。
冬樹を安心させようとしたのか、拓海はパッと顔を上げて無理に明るく笑ってみせた。
「すみません!こんな話。忘れてください!こんな状態で来るなら、今日はお断りするべきでしたよね」
そう言って、彼は情けなさそうに眉尻を下げた。
「いえいえ、そんな!やめてください!こちらが無理を言って来ていただいたんですから……!」
冬樹は思わず語気を強めた。お礼どころかかえって気を遣わせてしまったという後悔が胸に広がった。こういう時に、今までまともに人付き合いをしてこなかったツケが回るのだと思った。
冬樹の言葉に、拓海は静かに首を振った。
「違います。俺が……俺がもう一度あなたに会いたかったんです」
「えっ?!」
拓海がそんな事を言って切なげに微笑むので冬樹は驚いた。同時に自分の口からうわずった声が出たのにも驚いて、冬樹は慌てて口を押さえた。拓海は特にそれを気にする素振りもなく、話を続けた。
「あなたに『マスターにきちんとお金は渡しました』っていう報告をしなきゃと思っていたんです。本当はお金を預かっておいて何のご連絡も出来ていなかったことが、ずっと気になっていて。でも、いつだったらあなたの邪魔にならないかとか色々考えているうちに連絡しづらくなってしまって……。だから、ご連絡いただけて嬉しかったです。それに写真集のお礼も、したかったですし」
「あ……はい」
一瞬上がった気持ちがストンと落ちて、冬樹はギクシャクと返事を返した。
拓海はどこか遠くを見るような目で、さらにとつとつと話し続けた。
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