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第二章 友達 3
「式自体は粛々と、つつがなく終了しました」
冬樹はここでまた、一呼吸置いた。拓海は保冷剤入りタオルを目に当てて俯いたまま、静かに耳を傾けていた。
「久々に顔を合わせる親族に何を言われるかと覚悟して行ったのですが、不自然なくらい誰も口を開きませんでした。……1人ぐらい来るかと思っていた父の愛人達やその子供達も……誰一人、顔を出しませんでした。あまりに何も起こらなすぎて、一体父は生前どんな手を使ったのかと正直ゾッとしましたよ。あの人の葬式が何事も無く終わるなんて、想像もしていませんでしたから」
淡々と穏やかに語る冬樹のことを不安げに見つめる瞳が、タオルの隙間からチラッと見えた。冬樹が大丈夫だと言うように笑ってみせると、彼はますます八の字に眉を寄せた。けれど物言いたげな瞳とはうらはらに、彼は何も言わずにタオルの中へと再び顔をうずめた。
「弔問客はほとんど初対面か、会っていても小学生以来でしたから、皆一様に俺の姿に驚いた様子でした。“他人の家の子供は成長が早い”なんて言ったりしますからね。……まぁ、もしかしたら俺は“居ない”事になっていたのかもしれませんが」
冗談めかして冬樹がそう言って笑うと、タオルを掴む拓海の手がギュッと強くなったのが見えた。
「……実は最初、葬儀はひっそり1人で済まそうと思っていたんです。自分なりの義理さえ果たせれば良いと思って。でも橋田先生……父の顧問弁護士に止められたので、父の生前の役職も考慮して、大きめの斎場でやることにしました。予想以上に多くの方が訪れてくださって、真剣に手を合わせてくださるのを見ていたら、密葬にしなくて良かったと思いました。自分が知らない所で、父が大事にされてきたのを感じることが出来ました」
だからといって生前のあの人の事を好きになれる訳ではないが、少なくとも何か肩の荷が下りたような気がした。
「精進落としの席では、本当に色々な人から父との思い出話を聞かされました……。そのどれもが初めて聞くことばかりで、自分の知っている父とはとても結び付かなくて、本当に不思議な気分でした」
あの日、冬樹自身や親族より、よほど憔悴したり傷付いたりした様子で来る弔問客を、冬樹はただただ不思議な気持ちで眺めていた。
“家とは違う父の様子を知ったら憎しみが増すのでは”と考えたこともあったが、かえって穏やかな気持ちになれたのが自分でも理解出来なかった。
「彼らが話す父の事を知って初めて、父が俺に無関心だっただけではなく、俺自身もあの人を知ろうとしてこなかったんだ、とようやく心から反省しました。俺達親子はどちらも、歩み寄る努力が足りなかったんですよね」
「っそんな……」
パッと顔を上げて何とかフォローしてくれようとする拓海を、冬樹は首を振って制した。
「ここからはもっと個人的な……聞いていて気持ちのいい話ではないかもしれないんですが…………」
と、冬樹が言いよどむと、拓海はその大きな瞳に強い意志を湛えてコクリと頷いた。
「父の実家はいわゆる地元の名士というやつで、親戚中がマウントを取り合うようなギスギスした家でした。母も俺も、とてもそこに馴染むことが出来なくて、あまり近付かないようにしていました」
冬樹は幼い頃に行ったあの家の、そこかしこから視線が突き刺さるような雰囲気を思い出した。囁くような冷たいざわめきが、そこかしこから漏れ聞こえたのを覚えている。
その光景を脳裏に浮かべながら、冬樹は彼にこんな話をして本当に大丈夫なのかと一瞬ためらった。だが拓海は動揺も同情も見せず、ただ静かな瞳を冬樹に向けていたので、冬樹は再び口を開いた。
「父自身も金融界では少し名の知れた存在で、俺はいつも“あの家・あの父の息子”という扱いだったんです。幼い頃からずっと、“自分”はどこにも居ないような気分でした」
「……」
「同級生にすら、そういうレッテルで見られる事もしばしばありました。電車で通うような距離だったのに、そういう噂ってどこから広がるんでしょうね?今もって不思議です。母からはそれに恥じぬようにと厳しく育てられました。自分でも、ある時期まではそれに応えようと必死でした」
詰まらぬ昔話だというのに、拓海の瞳には再び涙が滲んでいた。そんなに泣いてばかりいたら、その大きな瞳が落っこちてしまうのではないかなどと思って冬樹はクスリと笑った。
「……?」
拓海が不思議そうに首を傾けたので、冬樹は慌てて「何でもありません」と言って首を振った。
「……続けます。俺は小中高とエスカレーター式の学校に通っていました。ですが、ずっとその環境の中にいたら、ある時ふと、ものすごい虚無感に陥ってしまって……。……あぁ、そうだ。高2の夏ですね。その頃ちょうど嫌な出来事が重なったのもあって、夏休みの1ヶ月、母の実家であるイギリスに滞在することにしたんです。とにかく日本から逃げ出したくて。きっと、何か変わるきっかけのようなものが欲しかったんだと思います」
冬樹と視線が重なると、拓海はただ静かに頷いた。
「生まれてからほぼ会った事もない不義理な孫だったのに、二人はとても歓迎してくれました。存在そのものを祝福されるような感覚は初めてで、しばらくは居心地が悪くて仕方ありませんでした」
冬樹がその時のことを思い出してふっと笑うと、拓海もつられたようにそっと微笑んだ。
なかなか心を開こうとしない孫に、それでも祖父母はただただ温かく包み込むように接してくれた。ひと月経つ頃には、今度は日本に帰りたくなくなっていた。
冬樹はそこではただの孫で、高校生で、人間だった。
「祖父がね、ある日ポツリと言ったんですよ。『ずっとここに居ていいんだよ』って……。俺の辛さに気付いてくれていたのか、自分達が淋しかっただけなのかは分かりません。でもどちらにせよ、そう言ってもらえたことは嬉しかった」
「……はい」
とうとうポロポロと拓海の大きな目から涙が零れ落ちた。彼は慌ててそれをタオルで拭うと、自分の事のように嬉しそうに微笑んだ。
「あのイギリスでの日々は、何者でもない自分に接してもらえた初めての経験でした。だから…………なんと言うかその、そのご友人も嶋さんにただ傍に居てもらえるだけで、嬉しいんじゃないでしょうか」
「……えっ?!」
急に自分に話が戻ってきた拓海は、驚いたようにシパシパと目を瞬かせた。そしてこの長い話が自分を慰める為にあったのだとようやく気付いて、顔を真っ赤にして俯いた。
「ありがとう……ございます」
搾り出すようなかすかな声で彼が言うのが聞こえた。
赤の他人にはつまらないであろう話、しかも自分の恥部でもある話を思い切って話してみて良かった、と冬樹は思った。彼の為にした話ではあったが、話すことで自分の気持ちがスッと軽くなったのを感じたのだった。
「いえ……こちらこそ聞いていただいてありがとうございます」
冬樹がそう言うと、拓海はフフッと吹き出した。
「それ、さっき俺が言ったヤツですよ!」
「え?……あっ、本当だ……」
ハハハと潤んだ瞳のまま破顔する彼を、抱き締めたいと思いながら冬樹は眺めた。
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