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第二章 友達 4
一通り笑い終わった後、拓海が真剣な顔で口を開いた。
「あの……」
「はい」
「俺と……友達になってくれませんか?」
「友達……?」
「はい。迷惑でなければ」
そう言って彼の赤らんだ目尻が優しく下がった。
冬樹はそんな事を言われたのは人生で初めてで、ドクドクと心臓が早鐘を打つのを感じた。
友達になる、ということはまたこうして会ってもらえるということだろうか。それは願っても無いことだ。しかし自分のような人間に彼の友達になる資格があるのだろうか?そもそも友達の基準とはいったい何だろう?
喜びと不安が一気に冬樹の中を駆け巡った。
「もちろん、迷惑ではないです。でも……恥ずかしながらまとまに友達が居たことがないので、ご期待に添えるかどうか……」
首筋をポリポリと掻きながら、冬樹は素直に不安を吐露した。今までの自分なら決してそんなことは出来なかったと思う。だが、彼には初対面から散々恥をさらしてきたせいか、ためらいなく不安を吐き出すことが出来たのだった。
拓海は冬樹の答えに一瞬キョトンとした後、ケタケタと笑い出した。
「ははははっ!“ご期待に添える”って!もう!!仕事じゃないんですから。今みたいに他愛のない話が出来たらそれだけで十分、嬉しいですよ!」
どこに笑いのツボがあったのかは分からなかったが、彼が心から楽しそうに笑うので冬樹はようやく安堵した。
「なるほど……それなら、はい。是非」
冬樹が頷くと、拓海はニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、早速なんですけど……敬語をやめませんか?」
「あ、はい……いや、うん?」
「あははっ!」
「いや、だから分からないんで……分からないんだ、よ?」
「ふふふふふっ」
ぎこちないおしゃべりを拓海が楽しそうに笑う度に、冬樹は胸の辺りがじんわり暖かくなるのを感じた。
「あ!そうだ、それからもう一つ……」
笑いすぎて出てきた涙を拭いながら、拓海が言った。
「?」
「蘭藤さんのこと、ユキ……って呼んでもいい?」
「…………ユキ??」
今まであだ名など付けられたことが無かった冬樹は面食らって聞き返した。
「あ、いや、もちろん……嫌だったら、蘭藤さんのままでも、冬樹さんでも何でもいいんだけど!この前……あんまり自分の名前が好きじゃないって、言ってたから……さ」
拓海がモゴモゴと訳を話すのを、冬樹は静かに感激しながら見つめた。
自分でも言ったかどうか定かでないような些細な事を、彼が覚えていて、しかも真剣に考えてくれたことが嬉しかった。
「嬉しいです。……あ、いや、嬉しい」
「ふふっ。良かった。俺のことはタクとか拓海とか、好きに呼んでください」
「はい。じゃあ拓海と呼ばせていただきます」
そう言って互いに深々とお辞儀をした後、二人して顔を見合わせて「あ!」と声を上げて笑った。
「敬語はまぁ、徐々に、徐々に……ですね!」
「ええ、無理せず追々、ですね!」
「とりあえずコレ、食べましょう!」
すっかり冷めてしまった料理を、拓海は嬉しそうに口にした。
「あ~やっぱり美味しい!どれ食べても美味しい!!本当に料理上手ですね!!」
冬樹が見たかったあの笑顔でバクバクと料理を平らげる拓海に、冬樹の顔も綻んだ。
「そうだ、全部は食べ切れないだろうから、良ければ少し持って帰りませんか?」
「え!いいの?嬉しい!!やったぁ!」
冬樹の提案に、拓海は目をキラキラさせて喜んだ。残り物など嫌がられるかとも思ったが、予想より遥かに拓海が喜んでくれて冬樹はホッとした。
そして立ち上がってタッパーを取ってくると、取り箸を持って拓海にどれが良いかを訊ねた。
「お好きな物を教えていただけますか?どんなものが好みか分からなかったので、つい作りすぎてしまって……」
冬樹の言葉に拓海は目を丸くした。
「えぇ?!それでこんなに?!ありがとうございます!!!」
「いえいえ。……で、どうします?」
「どれでも美味しいから迷うなぁ……」
顎に手を当てて真剣に悩みながら、「でも」と拓海が口ごもった。
「電話かメールで訊いてくれたら良かったのに……」
こんなに作るの大変だったでしょ、と呆れたような困ったような顔で拓海は言った。
冬樹はそれを聞いて心底驚いた。そういう発想が自分にはまるで無かったことに、今初めて気が付いたのだった。
「訊く……なるほど。その発想が全くなかった」
冬樹が呆然と呟くと、拓海はその大きな目をさらに大きく見開いた。
「えぇ?!遠慮してじゃなくて?」
「いや、本当に人付き合いが無さすぎて、考えもしなかった」
そんな簡単なことだったのか、と冬樹は目を瞬かせながら口元を押さえた。
「あっははははは!ユキって本当に面白い!」
今日一番の笑い声が拓海の口から溢れた。何が面白いのか冬樹自身にはさっぱり分からなかったけれど、彼が嬉しそうに笑っていることがただ嬉しかった。
「あの日、出会ったのが拓海で本当に良かった……」
言葉を発した自覚も無いほど、冬樹は自然とそう口にしていた。
「えっ?!何なに??急に!」
拓海は顔を真っ赤にしてうろたえた。冬樹はそんな彼が可愛らしくて思わず顔を綻ばせた。
「拓海が俺の本当の気持ちに向き合わせてくれたから、ああして後悔なく見送ることが出来たんだなと改めて思って。……本当にありがとう」
冬樹の心からの感謝の言葉に、拓海はますます顔を赤らめて首を横に振った。
「そんな!俺は何も……」
「いや。こんな面倒な人間に真摯に向き合ってくれる人なんてそうそういない」
冬樹が力を込めてそう言うと、拓海は気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「ううん。さっきは言えなかったんだけど……本当は、あの日の事はたぶん、自分自身の為でもあったんだと思う」
拓海は視線を落として申し訳なさそうにそう言った。
「え?」
「俺もあの日ちょっと辛いことがあって、ユキに泣きなよって言いながら自分が泣きたかったんだと思う。だから……」
「いや、それでも……そうだったとしても、あの日のことは感謝しかない。ありがとう」
偽善だってなんだって冬樹にとっては構わなかった。冬樹にとって、あの日拓海の言葉で救われたという、それだけが事実だった。
いや、あの日だけじゃない。あれからずっと、拓海が自分の辛さに寄り添ってくれたという事が全てで、理由は何だって構わなかった。
「……うん」
もしかしたらどこかで罪悪感すら感じていたのだろう。冬樹の言葉に、そっと微笑んだ拓海の瞳に涙が滲んだ。
「さっき話した友人にも、連絡をとってみます。事情は話してくれないかもしれないけど、何か別の形ででも、力になれることがあるかもしれないから」
別れ際、玄関で振り返った拓海はそう言いながらどこかスッキリした顔で微笑んだ。
「ええ。具体的に何かしなくても、その気持ちはきっと伝わると思います。それに……無理に何かしない方が相手にとって救いになることもありますし」
「そうですね。ありがとうございます。今日、ユキと話しが出来て良かった」
「こちらこそ」
互いに微笑んだまま、一瞬の沈黙が流れた。名残惜しさで別れの言葉が出てこない。
冬樹は今日が平日の夜なのが悔しかった。もっと彼と話したり笑ったりしたくてたまらなかった。彼もそうであってくれたら嬉しいと思った。「泊まりたい」と言ってくれたらいくらでも泊まらせるのにとすら思った。
そのぐらい、冬樹の人生で今日ほど楽しい時間は無かったのだった。
けれど無情にも、拓海は別れの言葉を口にした。
「……では、また」
「ええ。……また」
深々と頭を下げる拓海を、冬樹は再び抱き締めたい衝動に襲われた。抱き締めて、引き留めて、ずっと自分の側に彼を置いておきたかった。
だが冬樹はそんなことは微塵も態度に出さず、ただ静かに笑顔で彼を見送ったのだった。
冬樹は片付けの終わったリビングをふと見渡した。
やけに静かに、そしてやけに広く感じた。両親が離婚して以来ずっと住んできたこの部屋をそう感じたのは、今が初めてだった。
(そう言えばさっき言っていた友人って……)
拓海があんなに取り乱す程、近しい関係の友人とはどんな人物なのだろう、と冬樹は思った。友人と言ってはいたが、本当は恋人もしくは彼の想い人なのではないか。そんな考えが頭をよぎって、冬樹の胸をチクリと痛めた。
(そんな事、自分には考える資格も無いのに……)
冬樹はギリッと奥歯を噛み締めた。と同時に、無意識にガシガシと頭を掻きむしった。髪がボサボサになったが、冬樹はそれに構う余裕もなく深いため息を吐いた。
「色々と、片を付ける時期が来た……ということだろうか」
己のこれまでの行いを思い返して、その全てに嫌気が差して吐き気がするようだった。
(一つ一つ……そうだ、一つ一つ。きちんとけじめを付けていこう)
拓海の前で堂々としていられるように。
せめて友人として、彼に恥ずかしくないように。
そんな事を考えながら、冬樹は拓海にある“お願い”をする為のメールを打った。
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