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第二章 誰かの影 1
『今度の土曜日付き合って欲しい所があるのですが、お時間ありますか?
無理はしなくて大丈夫です。
もしお時間があるようでしたら、付き合っていただけたら嬉しいです。』
拓海を食事に招いたあの夜、我ながら自分らしくない回りくどい文章だと思いながら、冬樹はそうメールを打った。
断られる覚悟をして送信ボタンを押したのに、彼からは即答で『行きます』と返ってきて驚いた。
「はぁ……」
約束の当日、拓海との待ち合わせ場所のカフェで冬樹は無意識にため息を吐いた。
(何をやっているんだ、俺は……)
窓の外をぼんやり眺めながら、冬樹は同じことを何度も考えた。
あそこへ連れて行ったら、二人共さぞ驚くだろう。
そう、“二人共”。
何しろ冬樹自身が有り得ない行為だと思っているのだから。
きっと困惑させるし迷惑もかけるだろう。
やはり今からでも拓海に断りの電話を入れるべきだろうか。
(それでもやはり、一人きりでは受け止められる気がしない)
冬樹は何度目か分からないため息を吐いた。
きっと拓海をこんなことに巻き込んだらいけない。
それは分かっている。分かっていて、それでもやはり一緒に来て欲しかった。
(完全に、これはただのエゴだ……)
冬樹は再び深いため息を吐いた。
友人というものが何をどこまで許されるものなのか、正直なところ冬樹には分からなかった。だが、今日これから彼を巻き込む件がアウトであろうことだけは分かる。場合によっては関係を断たれてしまうかもしれない。それも覚悟の上だ。
けれど一方で、優しい彼にはそれが出来ないのではないかと冬樹は思っていた。
それを見越して、というより、それでむしろ“自分から離れられなくなればいい”という、ほの暗い思惑すら冬樹の中にはあった。
食事とは本来あんなに楽しいものなのだと、あの日初めて冬樹は彼に教わった。
食べ慣れた自分の料理の味が、こんなに美味しく感じられるものかと本当に驚いた。
そもそも“美味しい”とは何なのかを自分は全く理解していなかったのだと知った。
だから彼が帰った途端、ぽっかりと心に穴が開いたようになって、耐え切れずにメールしていたのだ。あの一瞬、冬樹は確かに「彼を巻き込んで、たとえどんな形であれ、自分から離れられなくなればいい」と、思っていた。
「最低……だな」
冷めきったコーヒーを見つめながら、ポツリと冬樹は呟いた。
彼の優しさと素直さに付け込んで、いったい自分は何をしようというのか。冬樹は自分でもその行動の意味がよく解らなかった。
(たった2回だぞ……?たった2回しか会っていない人間の、いったい何を俺は知っているっていうんだ?)
けれど理性でそう考えれば考える程、不思議と無条件に彼を信頼している自分がいた。
「それにしても、遅い……な」
腕時計を見ると約束の時間を既に5分過ぎていた。この間「少し遅れるかもしれない」と連絡してきて、結局ほぼ時間通りに来た彼のことだ。何の連絡も無しに遅刻するとは考え難かった。
(何かあったんだろうか)
そう思ってケータイを手にした時、彼からメールが届いた。文面から察するに、どうやら地下鉄の出口を間違え、それに気付かないまま、そこに在るはずのない店を探して道に迷ったらしい。
『今から迎えに行きます。そのまま動かずにいてください。GPSで検索をかけるので、許可を出してください』
冬樹は素早く返信をすると店を出た。
ビル街で所在なさげに佇んでいる拓海を見付けた時、冬樹は無意識のうちに頬が緩んだ。
そして同時に、やはり彼ならばあの話を聞かせてもきっと大丈夫だ、と何故か確信したのだった。
「すみません。もっと分かりやすい場所を指定すれば良かった……。ビジネス街だから分かり難かったですよね」
冬樹がそう言いつつ駆け寄ると、拓海はほっとした表情を浮かべると同時に、ほんの数秒、怪訝な眼差しで視線を上下させた。
それもそのはず。冬樹はスーツをかっちりと着込んでいたが、拓海はデニムにTシャツというラフな出で立ちだったのだ。
けれどそれは冬樹が「どこに」「何を」しに行くかを彼に一切伝えていなかったのだから、当然だった。休日のお出かけかと思って来てみたら相手がスーツだった、なんて驚いて当然だろう。冬樹がスーツを着たのだって気合いを入れたかったからだけで、冬樹自身も直前までは普通の服で来るつもりでいたのだ。
だが、彼はそのことには少しも触れずに笑顔で首を振った。
「間違えたのは俺が悪いんだし。遅れてごめんなさい。わざわざ迎えに来てくれてありがとう」
そう言って頭を下げてから、拓海は辺りをキョロキョロと見渡した。
「でも、何でこんな場所……?」
彼が疑問に思うのも当然だった。ここは無機質なオフィスビルの立ち並ぶビジネス街で、決して休日にわざわざ来るような場所ではない。それが証拠に、土曜日の今日は開いている店も歩いている人もまばらだった。
「ごめん。本当に申し訳ない。先に……謝っておきます」
少なからずどこか良い場所にこれから行くのだと思っているであろう拓海に、冬樹はいたたまれない気持ちで謝罪した。拓海は不思議そうに首を傾げた。
「今日来てもらったのは、本当にただただ俺のわがままなんです。今から行く先で聞く話は、拓海には全く関係の無いことなんです。むしろ聞きたく無い話かもしれない……。でも自分一人では聞く勇気が無くて、一緒に来てもらえたら……嬉しい、です」
“何を”と告げたら帰ってしまいそうで、ここでも冬樹はそれをボカした。当然、拓海は納得いかない様子で顔を歪めた。
「ち、ちょっと待って。どういうこと??」
「行けば分かります。とにかく向かいましょう」
冬樹がそう言って拓海の腕を掴もうとすると、拓海はビクッと体を震わせてそれをよけた。
「あっ……」
彼は青ざめて小さな声を上げた。こんな怪しげな誘い、怖がって当然だろうと思ったが冬樹はもう引き下がる訳にはいかなかった。
「ここから直ぐですので……付いてきてください」
不安と困惑と……もしかしたら怒りを滲ませているかもしれない彼の表情を見るのが怖くて、冬樹は早足で歩を進めた。
「どこへ向かってるんですか?」
小走りで追い付いてきた拓海が冬樹に訊ねた。
「すみません。正直に話したら来てもらえないと思って、わざと言いませんでした。騙すような真似をして、本当に……本当にすみません」
「だからさっきから……話が見えません!」
「きっと驚くと思います。でもお願いです、最後までいて下さい」
「それはいいけど……さ。ねぇ、どこに行くかくらい……」
一向に答えようとしない冬樹に拓海は苛立ちの色を見せた。冬樹はそれを分かっていながら、やはり答えなかった。
冬樹はそこから徒歩5分ほどの道のりを無言で歩き続けた。拓海は呆れたような顔をしながら、冬樹の半歩後を付いてきてくれた。
「ここです」
そう言って、冬樹はとある古びたビルの前で立ち止まった。
「えっ?ここって……」
冬樹が振り返ると、拓海はビルの看板に表記された文字を見つめながら、呆然と立ち尽くしていた。
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