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epilogue 3 再会
「高梨せ~んぱい♪」
裏口のドア付近で隠れるように泣いていた高梨に、雅尚は声を掛けた。高梨はグイッと腕で涙を拭うと、雅尚を睨み付けた。
「……なんだよ、お前」
「アハハ。ま、覚えてないデスヨネー」
数多いる部員の中で雑用ばかりだった自分の事など覚えていないのも仕方ない、と雅尚は思った。
「貴志川雅尚です。先輩と同じサッカー部員だったので、一方的にですけど先輩の事は知ってます」
雅尚がとびきりのよそ行きの笑顔で近付くと、高梨は目を泳がせた。
「きし……かわ?……って、あの病院の?」
どうやら当時「病院の息子が入ってきた」と騒がれたのが、彼の耳にも入っていたらしい。こういう時には本当に“便利”な実家だと、雅尚は内心笑った。
「お久しぶりです」
「お前が……なんで?」
高梨はこんな姿を“昔の自分”を知っている人間に見られたくはなかったのであろう。先ほどまでの弱々しい姿とは打って変わって、急に背筋をピンと立てた。
「なんでって、それはこっちの台詞ですよ。俺はあの二人の友人で、今日元々あの二人は俺と会う約束してたんです。先輩が俺達の邪魔したんじゃないですか。今日は二人のお祝いをする予定だったのに」
台無しです、と雅尚は肩をすくめた。
「お祝い……?」
怪訝な顔をする高梨に、雅尚は威圧的な笑顔を向けた。
「あの二人の関係、知ってるんでしょ?」
「……っ」
「結婚祝いですよ」
「けっ……こん?!」
高梨の瞳に改めて絶望の色が浮かんだ。それを見た雅尚の口から思わずハハハと渇いた笑い声が漏れた。
「残念でしたね」
拓海にあんな態度を取られてなお諦めきれないのか、と雅尚は呆れた。
「やっぱり先輩も拓海が好きだったんですね~。昔もやたら拓海にベタベタしてるなぁとは思ってましたけど」
高梨は雅尚の言葉に苦々しげな表情をした後、ふと不思議そうに首を傾げた。
「……“も”?」
「ははっ」
あんなに近くに居て気が付かないなんて本当に鈍感な男だ、と雅尚は呆れながら高梨を眺めた。
拓海は本当に優しいから、昔からモテるのだ。その優しさに救われたいと、危ない人間も寄ってきてしまう。時折そのお人好しなところに付け込もうとする輩も現れた。だから雅尚は再会してからのこの数年、拓海がそうしたトラブルに巻き込まれないよう、出来るだけガードしてきたつもりだ。
(そのタクがあれだけ冷たくするって、いったい何やらかしたんだ?この男……)
あの様子から察するに、大方マスターも高梨も強引に拓海に迫ってフラレたというところなのだろう。そして、この男の方がより酷い方法を取ったのだろうと雅尚は思った。
「祝いの席を台無しにした責任、取ってくださいね?先輩」
「責任?」
「拓海は忘れるって言ったけど、俺は忘れませんから。拓海の代わりに、俺が先輩の事をずーっと恨み続けて、見張っててあげます」
嬉しいでしょ?と雅尚は冷ややかに笑った。
「はぁ?!」
眉を釣り上げて怒る高梨を、雅尚は静かに睨み返した。
「アンタさっきから被害者ぶってるけどさ、タクに酷い事したのはそっちでしょ?」
「……お前」
ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
「どこから知ってるんだ……?」
高梨は怯えたような目で雅尚を見つめた。その様子に雅尚の胸がザワザワと嫌な予感に揺れた。
(もしかして……)
カマを掛けてみようか、と咄嗟に雅尚は思った。
「…………高校時代……から、って言ったら?」
雅尚の言葉を聞いた途端、高梨の顔からサッと血の気が引いた。
「マ…………ジで、か…………」
膝に手をついてガックリとうなだれる高梨を見ながら、雅尚は体中の血が煮えたぎるような怒りを覚えた。
(コイツだったのか……)
昔、拓海に紹介した男友達から「どんなに好きでもヤレない人とは俺は無理って言ったじゃん!」と怒られたことがある。その時はその人が性急すぎただけなのだと勘違いしていた。けれど、根本的に問題が違ったのだ。
毎回拓海が破局する度、互いに「自分が悪い」と気まずそうなのが不思議だったが、それはそうだろう。こんな事、言える訳がない。
(ランにはきっと、言えたんだ。ランは知っていたから、出会い頭にあれだけこの男を怒鳴りつけたんだ)
先ほどはあの冷静な冬樹があんな風に激昂するのかと驚いたが、理由を知ってしまえば至極当然の事だと雅尚は思った。
(良かった……)
冬樹が拓海を愛した事を、雅尚は改めて嬉しく思った。
「拓海の強さに甘えるのもいい加減にしろ」
雅尚の腹の底から怒りを込めて低い声で言った。その声に、高梨がビクッと体を震わせた。
「たまたま、拓海が強かったから、死ななかっただけだ」
「死……?」
オロオロとうろたえるばかりの高梨を睨み付けながら、雅尚は血管が沸騰しそうだった。
高1のほんの一時、拓海が笑わなくなった時期があったのを雅尚は覚えている。高梨が調子を崩したのと前後して、拓海も部活でのミスが増えた。雅尚は当時まだそこまで拓海と親しくなかったのもあって、勝手に部活のプレッシャーに苛まれているのだと思い込んでいたのだった。
(あれがコイツのせい……)
そう考えれば色々と辻褄が合う。どうしてあの時気付いてあげられなかったのかと、雅尚は自分を呪った。
「あの頃……拓海が自殺してても、全然おかしくなかったんだからな」
「……っ!!」
そんな事に一度も思い至ったことが無いという顔で、高梨が驚いた。
「お前のした事は、そういう事だよ。分かってんのか……?」
「ご……ごめ…………」
「俺に謝って、許された気になるな。俺をお前のオナニーに使うんじゃねぇ」
高梨に怒りながら、雅尚はあの頃の自分に対する怒りを自分自身にもぶつけていた。
「…………っ」
ガックリとうなだれながら店に戻っていく高梨の後ろ姿を、雅尚は静かに見送った。
その時、ポケットの中からケータイの着信音が響いた。
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