エピローグ

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エピローグ

 盗んだ車を乗り継いで、北へ逃げた。  差し向けられた殺し屋とはこれまでにニ度遭遇している。  真夜中にカーチェイスをした事もあった。人ごみに紛れようとしている時、ナイフが脇腹を掠めた事もあった。恭介の鋭い嗅覚が働いて、すんでの所で危機を脱したが、しつこく追い掛けてきた殺し屋ともみ合いになり、恭介は左腕を切りつけられて傷を負った。  その男は私が仕留めた。恭介ともみ合っている男を背後から襲い、ワイヤーで首を絞めて絶命させた。そこには大勢の目撃者が居た。お陰で警察からも追われる羽目になる。  逃亡先は溢れる程に人が多いか、人が全く存在しない所が良い。だけど私も恭介も疲れていた。神経を張り詰めて人ごみに身を置く事はもう出来ない。警察と裏組織、両方に追い詰められ、辿り着いた場所は最北の地、宗谷岬だった。   逃亡は一ヶ月に及んだ。夜毎繰り返される恭介との交わりが生きている事を実感させてくれる唯一の営みになった。でもそれも終わる。  青白い光に照らされた岬のモニュメントが目に沁みた。肌を刺す夜風が冷たい。暦はまだ八月の終わりだというのに、最北の地は、日が沈むと冬のように冷えこむ。逃亡により、時間と場所が移ろい、気付いたら噎せるように暑かった夏が終わり、秋を飛び越えて冬が迫っている。  北の果て、冷たい風が吹きすさぶ最北の岬、この先には道が無い。終焉の地としては悪くないように思えた。肩を並べてモニュメントにもたれ掛かる。温かい缶コーヒーを両手で包んで細い息を吐いた。 「ねぇ、名前教えてくれない?」  私が言った。一ヶ月も命を削って生きてきたのに未だにお互い、名前を語っていない。 「今さらか」  恭介と名付けた男が苦笑いを浮かべる。 「地獄へ落ちた時、名前くらい知っておかないと呼び出せないでしょ」 「君は地獄へは行かないよ。君が殺してきたのは殺し屋だ、咎められる事は無いだろう」 「そうかしら…… でも私が天国へ行けたら貴方を救ってあげる。蜘蛛の糸を垂らしてね」  ふん、と恭介が鼻を鳴らした。そして笑みを浮かべてポツリと零す。 「俺の名はクライド。クライド・バロウだ」  頬が自然に緩んだ。この期に及んでこんな冗談を言うなんて。  クライド、それは映画『俺たちに明日は無い』の逃亡者だ。 「それなら私はボニーよ、ボニー・パーカー」  二人で顔を見合わせて笑い、抱き合い、そして熱いキスを交わした。 「ここで終わりなのね……」  クライドの瞳を見つめて言った。透き通った美しい瞳だった。瞳に薄っすらと涙が滲み、拡散されたライトが涙に散りばめられている。 「終わりは次への始まりだ。ここは寒すぎる、夏を取り戻しに南へ向かおう」  クライドの瞳から涙が引いて、代わりに力が漲った。一度は死を覚悟したのに往生際の悪い男だ。でもこの男とだったら、どこまでも逃げられそうな気がする。  また始まるのね、私はそう言って、クライドの胸に顔を埋めた。  クライドの向うに道が浮かんで見えた。どこまでも続く道。終わりの無い旅が今始まる。
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