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プロローグ
胸元を一筋の汗が伝う。たった今、仕事が終わった。
数分前まで男は生きていた。だけどもう男はこの世に存在しない。
美味そうに生ビールを飲み干し、汗ばんだ私の浴衣の背に腕を回してきた男。彼の瞳をうっとりと見つめ返した私は、その逞しい腕に抱かれ、濃厚なキスを交わして…… 殺した。
腕時計に仕込んでおいた針で、首筋の急所をひと刺し、即死だった。苦しむ事無く恍惚の表情を浮かべて男は死んだ。
夜空に花火が舞い上がる。人々の視線は宙を漂う。賑わう観衆、チェアに腰掛けて静かに眠る死者に気付く者など居ない。私は浜辺の会場を後にした。何事も無かったかのように。浴衣を脱ぎ捨ててドレスに着替え、夜の街に消えた。それで終わりだ。過ぎた事は振り返らない。
真夏の夜空を彩る花火と爆音、拍手と歓声。私がここに居たと言う痕跡をそれらが消し去る。後始末は片付け屋に任せる。この男の死を悼む者など存在しない。
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