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エウレカ
柿澤悠弥の裁判には傍聴席の整理券目当ての通称カッキーギャルたちが汗だくで、日傘を差したり手帳でぱたぱたと顎を仰ぎながらずらりと列をなしていた。眉間に力を入れて神妙な顔つきの女、不謹慎な期待を隠そうともせずはしゃいで写メを撮りまくる女、半年前に発売された柿澤悠弥の著書「逮捕のその日まで」を付箋だらけにしてこれ見よがしに握り締めている女、女、色々な女たち。を、テレビカメラたちが面白がって舐めるように撮っている。所詮は有象無象のカッキーギャルのワンノブゼムだったことにしっかり落ち込んでいることに落ち込んで、私は東京の裁判所から尻尾を巻いて浜松へ逃げ帰ったのだった。十二年が経った。世間はあっという間に柿澤悠弥を忘れた。でも、私は、私だけは、柿澤悠弥を覚えている。今日も部屋で一日中柿澤悠弥について考えている。
逮捕されたとき着せられていたジャケットのフードから覗く鋭い目つきとか、くるんとカールしている前髪だとか、もちろんビジュアルも完璧なんだけど、そこは一番大事なところじゃない。ガチで人を殺したところがカッコイイ、とかそんな古いマンガの中二病キャラみたいなことを言うつもりもない。ヘビを捌いて食べたりしながら、果ては沖縄まで渡り歩いたサバイバル力に、現代の草食系男子にはない男気を感じて惹かれたんじゃないかな、なんてテレビで分析している精神科医もいたけれど、正直その筋は私にはピンとこなかった。
むしろ柿澤悠弥の二年七カ月の逃亡生活は、「逆引きこもり」的だ。私みたいな引きこもりは、親や周囲に期待されて植え付けられたり、自分で掲げて引っ込みがつかなくなった「我、かくあるべし」のプラカードがあって、そこからかけ離れている現実の自分から逃げている。外に出れば社会や他人によって現実の自分が引き摺り出されるから、家の中に逃げている。柿澤悠弥は人を殺した現実の自分自身と向き合うことから二年七カ月逃げていた「逆引きこもり」なのだ。真夜中この考えにたどり着いたとき私は、わぁっと声をあげて、部屋中を何周かぐるぐる回ったあと、日課であるブログ「悠弥くんへ」を更新する。こんなの世間に褒められる趣味じゃない。大発見を話せる友達もいないから、ブログに想いのすべてを書く。
悠弥くん。
やっとわかりました。どうして私があなたにこんなにも惹かれるのか。悠弥くんはやっぱり、私と同じだったんですね。
エモが極まって書いては消し書いては消ししていたら、このたった一文を投稿する頃にはいつのまにか窓の外が明るくなっていた。けたたましい鳥の声に混じって下の階からテレビの音が聞こえ始めたので、パソコンをシャットダウンしてベッドに潜り込む。だらだらスマホをいじりながら、突然のエウレカでギンッギンに冴えていた頭がぼーっとして落ち着き始めた頃、
「まゆちゃん、起きてるぅー? ちょっと降りてきてー」
一階からお母さんに呼ばれる。お母さんってこんな声高かったっけ? 機嫌がいいのかなにか企んでいるのか。私はベッドから這い出して部屋の鍵を開けて、階段を素足でぺちぺちぎしぎし降りていく。
男だ。
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