エウレカ

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 ドアが開きっぱなしの玄関に、頭を屈めて狭苦しそうに黒スーツの大人の男が立っている。マスクからのぞく瞳は爬虫類系だけど黒目勝ちではっきり言って多分顔がいい。お母さんは男にぺこぺこしている。え、これってどーゆーシチュエーション? てか私、今すっぴんジャージなんだけど。照。 「真由香さん、初めまして」  真由香さん、だってぇ。そんな風に異性に名前を呼ばれたことない。男はマスクを片耳外した。現れた口元もやっぱりイケメン。階段の途中で硬直している私に、長い腕を駆使してぐいと名刺を差し出してきた。このクソ暑い五月に引っ越し屋みたいな白い手袋をしてるのはなんでなんだろう? 私なんかに改まってる様子にこちらまで改まり、おずおずと両手で名刺を受け取る。 「NPO法人フミダスの藤田です。よろしく」  ヤバ。  一瞬硬直、身体を捻って階段をつま先立ちで駆け上がる。藤田の指がすかさず伸びて、手首やジャージの袖を掴もうとするのを寸前でかわして、部屋のドアを閉めて鍵をかける。 「真由香さあん。松井真由香さあん。すみませぇん。ねぇ。あけてくださいよぉ。怖くないですからぁ」  藤田がものすごい勢いでドアを叩いている音に混じって、お母さんのすすり泣く声が聞こえてくる。ごめんね、ごめんね真由香。泣くくらいなら最初から私を売るなよ。いや、金を払ったのはこっちだから、買ったのか。お母さんが、藤田を。 「見たんだから。テレビで、あ、あんたら、ひ、ぐ、引き出し屋って」  引き出し屋って、親からめちゃくちゃ金とって、引きこもりを更正させるって名目で拉致してタコ部屋にぶち込んで、めちゃくちゃこき使うって、死んだ人もいるって。頭の中ではすらすら言葉が出てくるのに、長い間他人と喋ってないから喉が固まって全く声にならない。かわりに、ぬいぐるみの熊太郎の耳をひっつかみ、ドアに投げつけた。 「話がはやぁい。さぁ、行きましょう。あなた、もう三十三歳なんですって? 十年も引きこもってるのに、これ以上、まだお父さんとお母さんにメーワクかけるんですか? 引きこもりを治療するためには環境を変えることが一番なんですから。私どもの施設に来ていただければ、美味しいごはんと、仲間たちが待っていますよぉ」  勝手に仲間に入れてんじゃねーよボケ。そんな感じでガクガク震えながら小一時間ぐらい藤田に耐えていたら、急に静かになった。階段をギシギシ下りていく足音が聞こえる。息を殺してそっとドアに耳をあてると、藤田とお母さんの会話が聞こえる。 「やはり時間がかかりそうですね。お母さまの許可さえいただければ、ドアを壊して開けることもできるのですが」 「それはさすがにちょっと、お父さんに聞いてみないと……」 「いいですか。しっかり自覚を持ってください。今が真由香さんを現実社会へ矯正してあげる大チャンスなんです。第三者の介入は絶対に必要なんです。それがたとえ強引な手段に見えたとしても」  この勝負ってもう私はほとんど負けていて、さっさと捕まって心を閉ざして「無」モードになったほうが楽だし効率的な気がする。「無」モード。でも。  外に出れば社会や他人によって現実の自分が引き摺り出される。  涙はやうめき声は次々と溢れてくるのに頭の中は妙にしんとしていて。伸び放題の髪をまとめて二年ぶりぐらいにポニテにしながら、次の手を考える。修学旅行のとき買ってもらったリュックの底に、柿澤悠弥の凶器とお揃いのサバイバルナイフが入っている。だいぶ前にアマゾンで買った。お守りだ。一緒にスマホと財布も入れて、窓から下の屋根瓦に降りた。真下に白いバンが止まってる。多分引き出し屋の車だ。反対の生垣目掛けて飛び降りれば、落ちたとしてもまだマシだろうか。四つん這いになり下を覗いて、高さにびびって顔をあげれば朝の太陽が私をスポットライトみたいに照らす。これって祈るとこだよね。悠弥くん、お願い。私を守ってください。人殺しだけど。
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