第1章 プロローグ(瑛太)

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第1章 プロローグ(瑛太)

第1話  星の終わり  この星が数十年後に無くなってしまうということがわかったのは、俺が三歳の頃のことだ。  まだなにもわからない時分のことで、『おわり』という言葉だけが子供心に強く印象に残った。  宇宙には無数の小惑星が存在していて、それがいつ隕石となって地球にぶつかってもおかしくないのだとテレビは語った。およそ六千六百万年前、恐竜を滅ぼす原因になった隕石は、わずか直径十キロだったと言われている。  そういった隕石となる危険な小惑星を事前に見つけるために、様々な技術を用いてNASAを始めとする機関で綿密に研究は行われていた。  とにかく小惑星の数は数え切れないほどあって、地球に接近するものをあらかじめ見つけるのは難しいらしい。実際スレスレをかすめたことも何度もあったそうだ。  今回、こんなに早く発見に至ったのは『幸運(ラッキー)』だと言える。でもこの約二十年の間、最悪の事態を避ける根本的な解決方法は見つかっていない。  ――わかったのは衝突までの時間、あと三年だ。  とにかく、この星は死ぬのだ。  いや、正確に言うとそれは星の死ではないかもしれない。どんな大質量隕石がやってきても死に絶えるのはこの星を支配しきれなかった動物たちで、星は生き残るのかもしれない。死の星となって。或いはガスの星となって。  地球がダメになると聞いた時、世界はそれなりに混乱した。  まず株価は大暴落し、ニューヨーク市場は大騒ぎに。それと同時にアメリカでは相当数の市民が暴徒化し、街は混沌とした。あらゆる宗教が終末論を叫び、悔い改めること、教義を守ることを強いた。  街は治安が悪くなり、麻薬が横行し、自殺者が増え、道連れを作る人もたくさんいた。  そんな中、困難な状況を共に穏やかに過ごそうと、宗教に依らないコミュニティが一九七〇年代のようにあちこちにできた。  その流れなのかある時を境に、こと日本においては人々は何かに目覚めたかのように毎日を過ごすことを好むようになった。  波風の立たない穏やかな日。  当たり前のように今日が来て、明日がやって来る。  多くの人はそれを望むようになった。  小惑星の衝突の可能性は一ミリも減っていなかった。  テレビは飽きもせず毎日新しいフリップを用意して衝突と、その回避の可能性について語った。核爆弾で映画みたいにぶっ飛ばせばなんとかなるということもないようだった。核の汚染は宇宙空間にも広がるらしい。  宇宙に逃げると言っても、現代の技術では地球の周りにステーションを飛ばすことが精一杯だ。隕石の影響を受けない遠くまで逃げられるとは思えない。  地球から宇宙へ飛び出す移民船はない。移民の住むコロニーももちろんない。  全人類が守られる地下シェルターなんてものもない。冷凍睡眠だってSF小説の産物だ。  もちろんどの方向からの可能性についても、日々、研究は続いているんだろう。なんとかして隕石から逃げようと。  でも俺みたいな一般人にはよくわからないことだらけで、たぶん他のみんなもみてもわからないから、誰もがそのうち真剣に情報をみることをやめてしまった。  そんなものをテレビで流すくらいなら子供向けの番組を流す時間を増やすべきだという意見がSNSで拡散した。小さな子供たちに将来への不安を煽るのは良くないことだと。  うちの親も同じようなもので、地球が終わるなんてことはもうわかりきっているからこそ、直接言われはしなかったが「普通に生きろ」と大学進学を勧めてきた。それも奨学金を借りてだ。  これから奨学金を借りても返し終わるまでにきっと死んでしまうのに、おかしなことだとその時思った。  だけど不安定な世の中で、無責任に楽しめる大学生活(モラトリアム)を送る機会をくれた親には感謝している。  もう大学も三年だ。  就職活動に迷っている。  なにも迷わずに就職を決められるやつはいないだろう。  あと三年だ。  なにをして過ごすべきだろう。  なにをしたら悔いを残さずに死ねるだろう? そもそも悔いってなんだ? そこに大きな意味はあるのか?
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