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事件書誌1 失踪事変 皇帝
その日、また新たな失踪者が出た。
ふっと消えてしまったのだという。後宮で勤務をはじめた宦官の男だった。まだ若く20歳そこそこだと聞いた。ただ消えてしまい、死体が出たわけでもなかった。
「そしてこれはもう今年に入ってから30人めなのだ」
龍の紋様の入った衣装を着た青年が沈鬱な表情で語った。
彼は玉座におり、花蘭はそこから10歩ほど離れた場所に膝をついてかしこまっていた。"彼女"は胡服の上から甲冑を着込んでいた。
冬の気配が近づいた秋の日のことだった。
ここは"後夏"の国。
この大陸の国のひとつだった。
花蘭はこの国の武将の1人だった。そして或る事情から花家の長子という体裁で育てられ、宮中の人間は花蘭のことをあくまで線が細い男性であると認識していた。
花蘭はすっとその青年……後夏の皇帝の表情を見た。
玉座の間とはいえ警備兵が数名控えている他は誰もいなかった。
あくまで皇帝が個人的な話をしているのであって、ふだんはふんぞりかえっている宰相や文官たちもいなかった。
帝の表情は沈んでいた。
帝こそまるで宦官のような線の細い美男子といっても過言ではない青年だった。
しかし帝は後宮で起こっている事件について話をしているが、武将である花蘭に何を頼みたいのだろうか。
「花将軍」
「はっ」
「実は折いって頼みたいのだが……」
「何なりと」
花蘭は胸甲の前で左のてのひらと右拳をあわせて礼の形をつくった。
「花将軍は宦官であるから後宮に入ることができるであろう。率直にいうと朕じきじきの査察官として後宮の捜査をしてもらいたい」
花蘭はおそらく怪訝な表情をしていたのだろう。
後宮のことならば本来であれば宦官である侍従長などが対応するはずだ。
しかし皇帝は花蘭の表情を誤解したようだった。
「いや、すまない……気分を害したら申し訳がないのだが、朕が信頼できる人間で宦官として通用しそうな者が花将軍だけなのだ……」
宦官といっても中年となってからそうなった者は見た目は男性である。しかし疑われにくい者ということであればそういうことだ。
「そしてこの件はおそらく武の心得があるほうが良いとも思っているのだ」
なるほど、何らかの荒事が予想されるというわけだ。
「陛下がそのようにおっしゃるのであれば何なりと」
花蘭はそう答えた。
「よし……それでさっそくなのだが……」
花蘭は数日後、隣国の偵察に行くという名目で少数の騎馬隊をつれて都を出発した。
「先帝の妃である姜妃の幽鬼が出るという噂もあるという……後宮は朕にとってさえ魑魅魍魎の館だ……頼むぞ花将軍」
皇帝は宮殿を出ていく花蘭の姿と華やかな軍旗とを高台から見つめていた。
数日後、花蘭は国境に通じる関で騎馬隊を副隊長に預け、自身は商人風の服装に着替え、ひそかに都に戻った。
公式では花将軍は数ヶ月は戻ってこないということになる。
花蘭はその間、後宮査察官である宦官・花陵ということになった。
そうして彼女は後宮の住人となったのだった。
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