奈落

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*    私の名前は清永(きよなが) (りん)。  決して裕福とは言えないけれど、愛の溢れる家庭で育った26歳。  夢は、両親のように、慎ましくも幸せな家庭を築くこと。    職業は、小さな派遣会社の営業事務。  一応、正社員。  サービス残業あり。  賞与なし。    だから、本業とは別に、週末に交通整理のアルバイトをしている。  そしてここは、とある工事現場の詰所。  「はよーございまーす」  お馴染みの警備員の制服に身を包み、一歩足を踏み入れたところで、場違いに高級そうなスーツが目に入り、思わず足が止まった。  うわっ。  また来てる。  そんな私に気づいた男が口を開く。  「なんだ、凛。お前、また奉公に来てるのか?確か先週も来てたよな?相変わらず苦労人だな」  息を吐くように悪口を言われ、すかさずこちらも応戦する。  「…夏目さんこそ。いくら末端の末端とはいえ、仮にも天下の夏目グループの子会社の社長なのに。よっぽど暇なんですね。羨ましいです」  七月のプレハブ小屋に、嘘みたいに冷たい空気が充満する。  「全っっ然暇じゃないけどな。この間ろくに水分摂らずに熱中症で倒れて労災起こしかけたバカがいるもんで。現場の安全確認も俺の大事な仕事なんだよ」
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