水に沈む

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水に沈む

 アラームで起きたら、胸からお腹を覆うくらいにクラゲが成長していた。成長速度に少々驚きつつ、お腹の上のクラゲを撫でる。 「ずいぶん大きくなったね」  チィチィ  泣き声は変わらない。  まだ雨の音がする。襟の伸びた部屋着のTシャツを着てベランダを開けたら、道路が冠水してた。タイヤ半分くらいまでありそうなのに、水をかき分けて走る車がちらほら。それ以外は静かな雨の音しか聞こえない。 「クラゲ」  チィチィ 「このままずっーと雨が降ってさ、ぜんぶ水に沈んで、結婚式もなくなればいいのにね」  チィチィ 「ぜんぶ沈んで、私もクラゲになりたいなぁ」  チィチィ  あの動画みたいに、水の中をふよふよ泳いで。  当然のように電車は軒並み運休で、会社に電話をしても誰も出なかった。みんな出勤できないんだろう。異常だと騒ぐニュースを見てもどうでもよくて、クラゲと一緒にヨーグルトを食べた。  大きくなったのにくっついてくるから、犬みたいだなと思う。クラゲ型の犬。  ベッドに寝転がると、1人で登れるようになったクラゲも登ってきて私の上で体を伸ばす。触手でTシャツを捲り上げて肌に密着したがった。フニフニサラサラと触手が肌を撫でる感触に、ふるりと体が震える。  くっついていても温度の感じないクラゲは気持ち良く、雨の湿り気も夏の暑さも遮断してくれた。クラゲは触手で私を包み、スリスリ肌を撫でる。優しく甘い、ささやかな官能。  懐いてくっつきたがるクラゲが可愛くて、抱きしめたらプニプニして心地良い。  クラゲはチィチィ鳴きながら口の中へ触手を入れてきた。フニフニサラサラの触手がヨダレに濡れてプニプニになる。その手で口の中を撫で回し、舌に絡みついてくる。  クラゲは水分摂取のつもりかもしれないけど、口の中を遠慮なくワサワサされるのはエッチだと思う。いじられて出てくるヨダレは、飲み込む前に吸収されて消えていった。  口の中の触手は味がしない。ホントに何の味もしないのか気になって、触手をチュウチュウ吸ってみる。  私のヨダレの味? んんん?   わからないので、頑張って味わおうと吸ってたら、なにかラムネみたいな味が混ざった。薄いラムネ味が不思議でチュウチュウ吸って飲み込む。  クラゲの体液?  よくわからないし疲れたので、触手を口から引き抜く。  チィチィ  なんとなく抗議されてる気がした。 「もう、口が疲れたの。それより、クラゲはラムネ味なの?」  チィチィ  クラゲはおとなしく濡れた触手を口から離し、そのまま首を撫でた。  口の中をいじられながら体をサラサラ撫でられて感じてた淡い官能に、濡れた感触が小さな波を起こす。  すり合わせる太もものあいだからクチクチと小さな水音がし、クラゲの触手が水音の先へ伸ばされていく。この部分の水分も摂取するのかと、少し面白い気持ちになった。  水分を分泌する私の中へ触手が潜り込む。群がって奥へ進み、私の中を触手でいっぱいにした。  空っぽの私をクラゲが埋めていく。体中を触手に包まれてクラゲの雨音を聞いてると、意識が半分溶けるように境界があいまいになった。  喉が乾いたと言えば、触手を口に突っ込んできて薄いラムネ味の水分を与えてくる。クラゲは離れることなく体液を求め、私は求められるまま体液を分泌した。  朝から薄暗かった雨の降る空は、いつの間にか真っ暗になっていた。 「今日はもうおしまい」  怠い腕で触手を引き抜いたら、チィチィ抗議される。クラゲを撫でて頬ずりしたらおとなしくなり、触手で優しく私を包み込んできた。 「クラゲ」  チィチィ 「クラゲ」  チィチィ  クラゲは律儀に返事をしてくれる。面倒がったりしない。  私はクラゲの中の雨音を聞きながら抱きしめられて眠る。ふよふよする触手は、いつまでも優しく私を撫でていた。  アラームが鳴る。  電子音が消えたあとの静かな部屋には、外から入り込んだ雨音が満ちていた。  くっついてるクラゲから体を起こして、足を下に降ろすとパシャリと水に包まれた。床は水に覆われ、脱ぎ捨てたTシャツが水の中でユラユラ揺れている。  私と同じくらい大きくなったクラゲが水の中にポチャンと入り、ふよふよと触手を振った。  窓を開けて外を見たら、5階にある私の部屋の床から水平線まで水に沈んでいる。ところどころ水から頭を出すマンションやビルも、足元を沈めたまま静かにたたずんでいた。  薄暗い空の下、静かに降る雨が水面に細波を立てている。雨の音しか聞こえない。誰も存在していないみたいに。  クラゲが私の隣でユラユラ揺れる。私とクラゲは水に沈んだ街並みを並んで眺めた。 「ねぇ、クラゲ」  チィチィ 「雨が降ってるね」  チィチィ  クラゲは大きくなった体で立ち上がり、濡れた体で私を抱きしめた。そのまま触手を使ってベランダを乗り越え、私を抱えたまま水にもぐる。  私は水の中から自分の家のベランダを見た。少しも怖くないしちっとも苦しくない。  クラゲ、と言った私の声はチィチィという鳴き声に変わる。ふと手を見たら触手になっていて、揺らしたらふよふよ動いた。  私を抱きしめていたクラゲがいつの間にか隣にいて、触手を絡めている。クラゲは、とても楽しそうに笑ってる気がした。  町が沈んだ水の中、クラゲと私は触手を広げてフワフワ泳ぐ。触手をふよふよ振ったり絡めたりして、チィチィ鳴き合いながらどこまでも泳ぐのだ。
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