0人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
1.黄昏
遠くの方に立てられたスピーカーから、夕暮れ空に聞き馴染んだメロディがこだまする。
西の空を見れば遠くの山へと日が落ちて、空を橙に染め上げていた。
県外の大学に通う青年が故郷の田舎へ帰ってきたのは三年ぶりのことだった。久しぶりの帰郷に、何があるわけでもない小さな村をあちらこちらと見回っていればこんな時間だ。いつの間にかすっかりと空が様変わりしていて、青年はひとり、家路につく。
どこか古ぼけた音色で村に響く音楽が、とあるクラシックの一節だと教えてくれたのは、青年がまだ少年だった頃、近所に住んでいた女性だった。
清楚なワンピースが似合う白い肌に優しげな眼差し、鈴を鳴らしたような軽やかで澄んだ声をした彼女は、遠いところからこの田舎へ引っ越してきた人だった。外から人がやってくるのは滅多にないことだったから、彼女のすべてが珍しいものに見えた。
彼女は礼儀正しい人だった。すれ違う人には必ず全員に挨拶をした。この村の古臭いしきたりに難色を示すこともなく、むしろ「とても良いお話ですね」と理解を示した。
そんな風だから、彼女から声をかけられることを嫌がるような村人もいなかったし、よく出来た娘さんだ、と村人たちからの印象もすこぶる良かった。
日が落ちてからは、時間が早回しにされたように夕闇が迫ってくる。
水田の脇道を、向こう側から男性がひとり歩いてくる。人がひとりすれ違うのがギリギリのあぜ道だが、なかなかに歩く人間は多い道だった。
「もしもし、こんばんは」
すれ違う間際、男性は頭の帽子を取ってそう声をかけてきた。薄闇で顔は見づらいが、その声は明るい。あぁ、懐かしいなと思う。
最初のコメントを投稿しよう!