死にてぇ雨なら、憧れなんて捨てちまえ

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 雨音を聞くと、人生で一番短かった梅雨を思い出す。  長雨にも水たまりにも、紫陽花の上にもいない。  それはもう死んでしまった雨の話だ。  二〇〇七年の桜が青い葉に変わって、私は通っていた画塾を辞めた。  二十歳の四月なんて中途半端な時期だから、まともな選択じゃなかったことくらいはきっと誰にでもわかると思う。  同じ塾生たちも戸惑っていたし、美大に行く夢も果たせなかった。ただカッとなって「辞めます」と叫んだ私に、塾長だけが静かに「残念です」と書類を手渡した。   未練は、たぶん、ある。  それでも同い年の皆が卒塾していく中で、一人だけ置き去りにされる自分が許せなかった。  もともと才能なんてなかったんだと思う。だって、こんなにも弱いんだもの。 (私なんかが描かなくても、きっと誰かがこれからも描き続けるんだ)  しとしとと憂鬱な雨にうたれながら、寂れたアーケード街を歩く。  小道の向こうに見える生け垣には紫陽花が咲いていて、その方向からパーカッションのような蛙の声が聞こえてくる。  二十年通ったこの商店街も、近くに出来たショッピングモールに負けてシャッターばかりになった。  あそこのお肉屋さんのコロッケは美味しかったとか、電球ぐらいしか売っていないちっぽけな電気屋さんがあったとか。思い出す記憶はどれも鮮明で、それなのに現実の景色はぎゅうっと胸を締め付けるほど何もない。  それが絵で何も残せなかった私と重なって、嫌になって。私は足早に去ろうとする。  ふと、視界の端に見覚えのない看板が見えたのは、そのすぐあとだった。
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