死にてぇ雨なら、憧れなんて捨てちまえ

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 照明が緩やかに暗闇の奥から滲み出してくる。  支配人さんの声がした。 「これにて逢瀬はお仕舞です。お還りの方は後ほどご案内致しますので、この場にてお待ち下さい。ご両名共にお疲れ様で御座いました」  すっと流れるように頭を下げた支配人さんの隣で、私も咄嗟に振り返って頭を下げる。  なんだか二人の綺麗な思い出に水を差してしまったみたいで、いたたまれなかった。 「ありがとねぇお兄ちゃん。もう思い残したこともないわぁ」 「僕が生きてるんですから、ミツエちゃんはまだ先ですよ〜。もっと長生きしてくれなきゃ」 「はいはい、順番ねえ」  おばあさんは晴れた日みたいに微笑むと、そのまま劇場を出ていく。  二人は夫婦だったのだろうけれど、感傷らしい感傷はなかった。  それが信頼関係なのかはわからない。何にしても、私には一生かけても手に入れられそうにない。  ばたんと劇場の扉が閉じて、残ったスーツの男性がかすかに腰を折る。 「お世話になりました。おかげでうちの婆さんもしばらく往生せんでしょう」 「ええ。還り路はお一人で?」 「もちろん、もうガキじゃないですよ」 「これは失礼を。懐かしい人とお会いすると、今がいつだか忘れてしまうのです」  不思議な会話だった。  青年同士の会話に見えるのに、その言葉にはどこか古いニュアンスが含まれている。 「では、またのお越しをお待ちしておりますね」  支配人さんが綺麗に腰を折って、私もつられて頭を下げる。  顔を上げると、もうそこに男の人はいなかった。  やっぱり、幽霊だったんだ。  首にかけたタオルをぎゅっと握り、力を抜いて、水気を飛ばすように腕を降ろした。 (ここでは、みんな過去に向き合わなくちゃいけないんだ)  みんながその存在を当たり前に受け入れている中で、私だけが受け入れられていないような。私だけが「間違えている」ような気がした。
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