死にてぇ雨なら、憧れなんて捨てちまえ

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 すぐにつーんと鼻の奥が痛んで、私は目をつむる。  ソファの隣が重みで傾いて、私の頭が優しい手のひらに包まれた。 「なにか大切なものを、落としてしまったんでしょう?」  目を開けると、いつもより見えにくい視界に支配人さんがいた。 「でしたら、一度ご自分の気持ちと向き合ってみるのはいかがでしょう? ここはあなたの覚えている範囲の記憶をお見せする映画館ですから、覚えていない記憶をお見せすることはできません。ですが、あなたが前に進む、その手伝いくらいは出来るつもりですよ」  立ち上がると、支配人さんは懐から取り出した手帳をペラペラと捲る。  ちらっと見えたページには、私が知っている記憶がいくつもあった。 「例えば、あなたが初めて絵描きとして生きていくと決めたときの、楽しさや不安などはどうでしょう?」  よく覚えている。  たしか、中学を卒業する前の月のことだ。  でも、それも、 「少し、苦しいです」 「じゃあ、見ましょう」 「えっ?」  驚いて顔をあげる。  支配人さんはとっくに劇場のドアに手をかけていて、私は弾かれたように首を振る。 「あの、ホントに私、見たくないんです」 「好きよりも、嫌いという感情のほうが強く長く人を動かします。苦しいものを全部遠ざけるのは、自分を失くすことと同じなのではないでしょうか」  私が何かを言う前に、扉が開かれる。  誰もいない劇場は、私を待って手を広げているようだった。  私がいかなければ、何も始まらないのだと錯覚させる不思議な空白だった。 「ここは、不思議な映画館ですよ」  ああ、だったら、仕方ないな。  恐る恐る立ち上がって、歩き出す。  雨音の木霊する廊下から劇場に入ると、背後で扉が閉められる。  真ん中の席に座ると、すぐに照明が落ちて、スクリーンがぼうっと暗闇に浮かび上がった。  それは私が真っ当に悲しんだ、最後の記憶だった。
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